4 【AM10:38 残り時間 8時間22分】
しばらく園山と話し合っていた花苗君が、DNAサンプルを持って教授室を出て行く。おそらく、最短時間での解析を依頼されたのだろう。長くても2時間はかからない。病院の検査室で解析結果が出次第、警察のデータと付き合わせて捜査に用いるはずだ。
と、部屋の端で携帯を使っていたらしい槇原刑事が声を上げた。
『小野寺悟、消息がつかめました。この大学を解雇されて以来、JOメディカルという医療メーカーの「先進生命科学研究室」に勤務しています。ただ、3ヶ月ほど前から姿を消しているそうです! いま、本庁の人間が調査に向かっています』
これで、遺体の送り主が小野寺だと確定したわけだ。
3ヶ月……姿を消したその間に、この異形の遺体を完成させたのだ。
JOメディカルは国の成長戦略の一環で作られた、国産技術の革新を推進するための企業複合体だ。小規模、中堅の製薬会社や医療機器メーカーから能力の高い研究者を集め、開発部門を作った。将来性が高いアイデアを具体化して、国際的な競争力を持った医療技術を創設するのが目的だ。
遺伝子工学を応用した創薬、iPS細胞を用いた先進治療などをメインに研究し、患者数が少ない難病の研究も行うことを条件に多額の国費も投入されている。
そこには、これからの日本は独自のアイデアや技術を守り通すという決意も込められている。
日本の根幹を蝕む現実への対抗策でもあった。
昨今は、戦後日本の復興を支えた鉄道や自動車産業、家電や電子産業、そして原子力技術までもが国際化の圧力の中で他国へ流出し、それが国力を極端に弱める結果になっている。
そもそも、日本の高度な光学技術や精密機器などは注目度が高く、技術的、学際的交流を望む海外企業は数知れない。強引なヘッドハンティングや違法なハッキングにより、常に核心技術を〝盗まれる〟危険にも晒されている。
実例にも事欠かない。
新幹線技術は安易に中国に供与したことで模倣品の氾濫を招き、血がにじむ思いで作り上げた日本が逆に苦境に立たされている。安泰といわれた巨大企業も、構造改革の名の下に系列間の連携を絶たれ、長引いた円高で国際競争力を失った。大手電機メーカーのいくつかも解体されて、他国にブランドを奪われた。理不尽な訴訟で巨額の賠償金を支払わされたり、解体を余儀なくされた自動車関連メーカーもある。
日本企業側に不祥事や付け入る隙があったことも否めない。リスク計算の甘さや、雇われ経営者の官僚的思考が墓穴を掘った事例も多い。〝和〟を重視して決定が遅れることは、海外から見れば〝責任逃れ〟にも見え、それが弱点にもなってきた。
しかし、多くの国民が忸怩たる思いを噛み締めながら基幹産業が溶解していく現状を見せつけられているのも、また事実だ。
互いを信用して妥協点を探りながら関係を広げていくという日本の商習慣は、隙あらば相手を食い尽くそうとする他国の流儀の前には無力なのだ。しかも、その背後には国際金融資本家などの陰湿な企みが蠢いているという指摘も多い。
羊は、羊飼いに守られていなければ狼の群れに喰われる。その冷徹な現実が、グローバリズムの美名の陰で日本に襲いかかっている。 世界は〝性善説〟では生き残れない場所のだ。
だから、せめて次世代を支えうる医療技術は守り通そうという強い意識が産業界に芽生え、JOメディカルという企業体に結実した。
長期政権となっている現首相の肝いりで創設された、経済浮揚策の目玉でもある。ジャパン・オリジナルの医療システムの確立を目指し、卓越した技と頭脳の囲い込みを図ったのだ。
過去の反省に立って、JOメディカルでは海外資本の導入や合弁は厳しく規制されている。国家プロジェクトであるために情報の管理は徹底され、秘密主義が貫かれているのだ。国際競争力を高めるために開発段階ではむしろ積極的に情報を封じ込め、完成した技術を特許で守った上で海外へ発信していこうという、戦略の大転換だった。
サイエンスの世界は、先発見主義ではなく先発表主義なのだ。先に発見していても、発表が遅れれば二番煎じとみなされる。だからといって未完成のまま迂闊に発表してしまうと、基幹技術を容易に模倣されてしまう。
このジレンマを解決するためには、研究成果を発表する際に〝いかに学術的に興味深い発見だったか〟を前面に押し出さなければならない。細部の技術的内容については主要先進国で関連特許を取り、プロテクションを完璧にする。その後に正式発表して、マネービジネスに徹していくのだ。
その〝手法〟を確立して他の国産工業技術にも応用していくこともまた、JOメディカルの役目の1つだといえた。
確かにそこでなら、小野寺の免疫制御技術は必要とされるだろう。
グレーゾーンの研究には、防壁のある環境が必須なのだ。実際に、倫理的に敏感な問題をはらむ霊長類を使った実験や、副作用の発現率の高い新薬の臨床試験は、先進国では法的にも倫理的にもハードルが高い。これらは中国やインドなど、まだ規制の行き届いていない国にシフトしている。
JOメディカルがその種の危険を冒しているとは思えないが、秘匿性が高すぎると非難されることが多いのは確かだ。我々医師の世界にさえ、JOメディカルが何を研究しているかの情報はなかなか漏れてこない。
医師としてのレールを踏み外した小野寺にとっては居心地がいいはずだ。小野寺が必要とする設備や機材、そして研究材料も臍帯血程度なら充分に提供されていただろう。
まさか、胎児の死体まで与えられているとは思えないが……。
倫理的なトラブルを起こした小野寺が準国策の研究室で働けたことは意外だが、発想や実行力がずば抜けている天才だという事実は疑いようがない。新技術を創出することを主眼にするなら、見逃せない頭脳だ。手をこまねいていれば海外へ流出する恐れも大きい。医師としてではなく、一介の研究者として招聘されたのだろう。
だが、だからといってこのような〝遺体〟を作ることが許されるものか?
それは考えにくい。曲がりなりにも国が関与する企業の中で、そんな身勝手が許されるはずはない。しかも、3ヶ月前から姿を消しているというなら――。
園山の声がした。
『秋月先生、そのJOメディカルの技術があればこんな死体をこしらえることができるんですか?』
「会社の了解があれば、試みる能力はあるかもしれません。ですが、認められるはずはありません。小野寺はJOメディカルで基礎研究のデータを収集して理論を完成し、それを別の場所で実行したんでしょう。実際に四肢を接合した病院は他にあるはずです」
『秘密の研究室――みたいなものですか? なんだかホラー映画みたいな現実離れした展開ですね……』
「現実離れしているのは、この死体そのものなんです。まともな医者なら、誰一人として可能だとは思わないでしょう」
『それほどのことなんですか……?』
「かなり大規模な設備が必要ですから、個人病院以上の建物を使っていると考えたほうがいいでしょう」
『1人でできそうなことですか?』
「小野寺は昔から1人で研究するのが好きでしたけど……。この場合は患者の容体に常に目を光らせていないと、いつ致命的な拒否反応を起こすか分かりません。いったん状態が悪化すれば、数分で死を迎えることもあります。24時間の監視体制を保つには、それなりのスタッフが必要になります」
『それにどれだけの資金が必要になるんでしょうね?』
考えてみた。
「クリーンな手術室に人工呼吸器や人工心臓などの最新機器は不可欠でしょうし……体内に様々な仕掛けを残すという変則的な手術ですから、個所によってはダ・ヴィンチのような支援ロボットも必要になるかもしれません。スタッフは看護師6人で3交代、腕の良い整形外科医を助手に付けるとして……正確には分かりませんが、数億から10億円レベルにはなるでしょうね。研究者のポケットマネーで賄える金額ではないとも思えますが……」
『資金の流れも洗わないといけませんね。それと、助手か……。ですが、小野寺の他に犯人の心当たりはありませんか?』
「四肢の接合ができそうな医師なら他にも数人知っていますが、私に個人的な関わりがある者はいません。彼らにしても、ここまで完璧に免疫を制御できないでしょう……。まして、妻を拉致するなんてあり得ません」
『分かりました。我々の方でも調べてみましょう。まだ犯人を限定するわけにはいきませんので』
私はうなずいて、解剖の準備に取り掛かった。
教授室に花苗君が戻った。手に小さな封筒を持っていて、ガラス越しにそれを振って見せる。表情が緊迫している。
『先生、事務室にこれが届いていました。宅配業者が時間指定で届けてきたそうです……』
封筒を園山に渡す。
園山が宛先を確かめてから私を見た。
『教授宛てです。送り状と同じ、角ばった文字で書いてあります……』
犯人が直接何かを送りつけてきたのだ!
私は教授室のドアを開けて中に飛び込んだ。
「開けてください!」
うなずいた園山は棚から使い捨てのラテックス手袋を取ってはめると、封を切った。指紋を消さないないためか、不自然な持ち方をしている。すでに何人もの手を経ている封筒だろうから、指紋が残っている可能性は低いだろうが……。
槇原が身を引きながらつぶやく。
「爆発とか……しませんよね……」
園山はにやりと笑った。
「爆弾は死体の中だ。さらに送りつけてくる理由はないだろう」
テーブルの上で逆さにした封筒から出てきたのは、USBメモリーだった。
思わず口をついた。
「他には⁉」
園山が封筒の中を覗く。
「手紙や写真のようなものは入っていませんね。槇原、持ってきた業者、探り出せ」
槇原はすでに廊下へ出ようとしていた。
「分かってます!」
私は机の脇に置いてあったカバンの中から個人所有のMac Bookを取り出した。
大学内でも民間企業と関わりを持っていたり研究開発を行う部署では、情報漏洩を防ぐために個人のパソコンや記録媒体の持ち込みは禁じられている。しかし、その規定は法医学教室までは及んでいなかった。
蓋を開けてパスコードを打ち込む。起動画面が出たところで、無線LANの接続を遮断した。
「USBをここに入れてください。中を確認します」
園山がMac BookにUSBを差し込む。
「ウイルスとか、仕込まれていないでしょうね……?」
それを心配したから無線LANを切ったのだ。今このMac Bookはスタンドアローンの状態になっている。
「Macが壊れても構いませんから」
デスクトップに外部記憶装置のアイコンが表示される。アイコンをクリックすると、一つのファイルが現れた。・mov――動画ファイルだ。嫌な予感がする……。
ファイルを選択してスペースキーを押す。すぐに画像が再生された。
モノクロの画面だが、不自然さが目立つ。暗視カメラの赤外線画像だろう。
がらんとした冷たそうな部屋に、ベッドが1つだけ置いてある。女が座っていた。顔を伏せている。両手には手錠のようなものが嵌められ、その間の鎖にさらに太い鎖が通されてベッドにつながれている。縛り付けられてはいないが、ベッドから離れることはできないようだ。
画面の下、カメラの前のテーブルに小さな筒が並んでいる。その筒から伸びた細いコードが、傍らの時計のような装置につながっている。装置には数値が表示されていた。
11:54
残り時間だ。
当然、時限装置だ。画面からは音がしない。
女が当然、はっとしたようにカメラを見た。怯えて大きく見開かれた目が、怪奇映画の役者のように白く光る。
雅美だった。
私は、思わず目を固く瞑ってしまった。
覚悟はしていたが、映像を見せ付けられるのはつらい。これで、逃げ道は塞がれた。雅美は不安そうだったが、傷つけられてはいないようだ。
それだけが、救いだ。
だが、助けられるのか……?
いや、だめだ……。こんなことじゃだめだ。
これは、明らかに私への挑戦状なのだ。
私が弱気になれば、雅美が殺される。送りつけられた猟奇的な遺体にどんな罠が仕掛けられていようとも、雅美が捕らえられた場所を探し出さなくてはならない。
小野寺は私に挑んできた。
これは復讐だが、一種のゲームでもある。
と言うより、〝決闘〟なのか……。
私に挑んできた以上、小野寺は本質的な部分では嘘はつかない。何度もチェスの手合わせを行ってきた私は、ゲームでの小野寺の性格を知っている。定石通りの手堅い展開を好む私に対して、小野寺はトリッキーな技で相手を出し抜くことを狙う。
私は概ね、詰めの一撃で負かされていた。
だが小野寺は、アンフェアな真似はしない。ハンデを得て自分が有利になることも潔しとしない。あくまでも、対等な闘いで勝つことに喜びを感じる男だ。小野寺がルールを決めたのなら、自らそれを破ることは絶対にない。
だから私が時間内に罠を退けられれば、必ず雅美を助けられるはずだ。
もはや、対決は避けられない。ならば、命を賭けて挑戦を受け止めよう。
そして、必ずゲームを制する。
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