腕の話
男は静かに涙した。ただ、ひとつの人形の前で。
彼は今己が力の完成を見た。そして悟った。これ以上の傑作は今生作り出す事は出来ないだろうと。
いつの間にか辺りは昏く、陽が落ちた部屋の中。それはひっそりと部屋の隅に現れた。男はそれを見ても驚きはしなかった。まるでよくある事の様にその影に問い掛けた。ただそちらを見もせずに人形だけを見詰めたままで。
「なんだ、お前も軀がほしいのか?」
『 ―ギ、ギギギ、ギギギギギ― 』
闇は嗤う。
『 ―ギギ、ギ、・・・欲シ、イ― 』
「残念だが、これはお前にはあげられないよ」
『 ―欲、シ…イ、欲シイ、…ソノ、― 』
不穏な気配を感じて、男は初めてその闇を見据えた。
嗤う。
ただ、嗤う闇と目が合った。
『 ―命ヲ紡グ、ソノ、腕ガ欲シイ― 』
「…それならば……」
嗤う闇を、嗤い返した。
「それならば、お前は一体、俺に何をくれるんだい?」
『あの痛ましい
ブツン、と音声はそこで途絶えた。振り返ると、テレビのリモコンを投げ捨てる
「つまんなーい!今日このニュースばっかー」
「大きな事故だったからね。そっかぁもう2年前か」
菲屶の前にゴンッとどんぶりを置く。今日のお昼はインスタント素ラーメンだ。
「お昼はニュースしかやってないのに、何処も同じ内容で嫌になっちゃう」
ぶーぶー言いながら彼女はラーメンを啜り始めた。
その様を思わずじっと見つめる。
「……何?
「あぁごめん、いや…不思議で」
菲屶は鴉鳹が造り出した人形だ。人形、だった。それがあの日から、動く、喋る、食べる、泣く、笑う。契約通りに生命を得た。それが不思議で、感激で。思わずじっと見つめてしまう。
「…ン」
私も、と小さく洩れた。
「私も、なんでも食べられて、たくさん動けて、思いっきり笑えて…楽しいよ。ありがと、鴉鳹」
「しまっちゃうの?」
小さな布人形をひとつひとつ丁寧に箱に詰めていた鴉鳹を覗き込んで菲屶が問う。
「ううん。寄付する事にしたんだ」
近くにある大病院の小児科に、鴉鳹は自分の作品の一部を寄付する事にした。布で出来た簡素なものだが女児ウケは悪くない筈だ。
菲屶が出来て以来、鴉鳹は自分の作品の多くを手放している。
「俺には菲屶があるし」
その度にこう呟き、それを聞く度に菲屶は複雑な表情を見せた。
「納品、一緒に行くか?」
「…え」
「菲屶、よくあの病院眺めてるだろ」
偶に静かだと思うと、彼女は大概窓から病院の方角を眺めている。
「う~ん、いい。行かない。お留守番してるから、いってらっしゃい」
「おや。ふたつとも気に入ってくれたのかい?でもひとりひとつが約束なんだ」
鴉鳹の持っていった人形を2体抱き締めて去ろうとする少女に声を掛ける。彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「いっこはわたしの。いっこはひーちゃんの」
「ひーちゃん?」
看護士が寄ってきて、鴉鳹にひーちゃんの事を説明してくれた。意識が戻らず寝たきりになってしまった女の子がいるらしい。取りに来れない彼女に代わって、持って行ってあげようと思ったようだ。私が届けておくね、と看護士に人形を取り上げられ、少女は不服そうに口を尖らせていた。
「ただいま菲屶。良い子にしてたかい?」
玄関で靴を脱ぎながら居間へ問いかける。返事はない。菲屶は居間のソファで眠っていた。苦笑を浮かべつつ鴉鳹はその寝顔を確かめる。まるで人形の様な──いや、そうだ。菲屶は人形だ。コロコロと表情を変え元気に過ごしているから、寝ている時くらいしか人形らしさがないのだ。そのままずっと眺めているとその内肌は血の気を取り戻し、静かに呼吸が再開する。瞼が震えて、菲屶はゆっくりと目を覚ます。
「ん……あれ。鴉鳹帰ってきてた。おかえり」
「ただいま。夕飯買ってきたから、もう少ししたら食べよう」
小さく頷き返しながら菲屶は目を擦る。
「鴉鳹の人形、私も貰う夢見た」
「あれ。欲しかったなら言えば良かったのに」
「うーん…でも私は、もう貰ったし」
キッチンへ向かった鴉鳹の背に向けて、菲屶はそう独りごちた。
それから2年も経たない内に、菲屶は動かなくなった。ただの人形に戻ってしまった。あの陰にクレームを入れてはみたが、やたらと流暢になった口で生命の有限について説明されるだけだった。即ち、全ての生命には限りがある。その寿命の長さは其々で、選ぶことも知っておくことも出来ないと。
とんでもなく不器用な男は、とてつもなく精巧な人形の頬にその手を当てて。長い間、とても長い間、涙を流し続けていた。
黒人形は死を望む 炯斗 @mothkate
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