異世界のダンジョンで、君と「赤いきつね」を。
氏家るる
第1話
「ファイアー・ボール!」
青年の呪文詠唱が完了するや、かざしていた右手からまばゆい光球が飛び出す。それはダンジョンの薄闇を切り裂く光の矢となって宙を駆け、牛のような顔をした巨大な魔獣の身体を貫いた。魔獣は地響きを立てて崩れ落ちる。
「さっすがサトウ様!」
私は、魔獣を倒した冒険者の青年、サトウのもとに駆け寄った。
「いや、イナリがうまくアシストしてくれたからだよ」
そう言って頭をなでてくれる。この青年はいつもそうだ。自分の手柄をひけらかさず、仲間を気遣い、立ててくれる。優しいというか、お人好しというか。
「だいぶ地下深くになってきましたね。現れる魔獣も手強くなってきましたし……」
この「帰らずの迷宮」の奥深くには、魔王を倒し得る伝説の武器が眠っていると言い伝えられている。
狐の獣人である私と、パートナーである冒険者サトウが、たったふたりでこの魔所に足を踏み入れてから、すでに3日が経過していた。
グ~……キュルルル……。
魔物の咆哮のような音が周囲に響いて、私は慌てて自分のお腹を押さえる。
「あ、あの……! これはその……! あ、あははは……」
顔が火照って熱くなる。冒険者とはいえ女の子。いついかなる時でも、意中の男の子にはしたない姿を見せたくないものなのだ。
「無理もないさ」
サトウは静かに微笑むと、その場にどっかと腰を下ろした。
「はい、お腹空きました……。正直、ペッコペコです……」
私は観念して、本音を口にする。
実際、食料はすでに底をついていた。もう丸一日、水しか口にしていない。
サトウは背負っていた道具袋をゴソゴソとあさっていたかと思うと、おもむろになにかを取り出した。
「イナリ、これを――」
そう言って差し出してきたのは、赤い紙で蓋をされた、白い器だった。振るとガサガサ音がする。何か入っているようだ。食べ物だろうか。いや、それより――。
「これって……、サトウ様の大事な思い出の品じゃないですか。向こうの世界のもの……ですよね?」
向こうの世界。それはかつてサトウが暮らしていたという異世界のことだ。彼はなんらかのきっかけで、ひとり、こちらの世界にやってきてしまったのだという。事実、サトウは見たこともない道具を数々持っていたし、聞いたこともないことを知っていたりした(例えば「ケータイ」という手のひら大の板は、遠くにいる人と会話をしたり、在りし日の光景を切り取って保管したりできるそうだ。「今はデンチギレで動かないが」と、彼はさびしげに語った)。
私は、森で魔獣たちにいじめられていた所を彼に助けられ、以来、魔王を倒すために一緒に旅をしている。
「いいんだよ。確かにこれは向こうの世界のものだけど、食べ物なんだし、こんな非常時にまで大事に取っておいても仕方ないしね。それより、キミが魔法で湯を沸かしてくれ。俺はさっきの一発で魔力切れだからさ」
ためらいはあったものの、私は言われた通り鍋に水を入れ、手早く火の魔法を唱える。ややあって、温かな湯気が立ち上った。
「さ、せっかくだから自分でやってごらん。まず蓋を半分まで外して、中から袋を取り出す。袋を破いて中の粉を振りかけたら、内側の線のところまで湯を入れるんだ」
器の中には小さな袋以外に、白い紐のかたまりみたいなものと、茶色い軽石みたいなものが入っている。……これが本当に食べ物なのだろうか?
私の疑念に反して、湯を注ぎ入れるやいなや、香ばしい匂いが辺りに漂った。食欲が強烈に刺激されて、腹の虫がさっきよりも一層やかましく鳴き出した。
しかし、ここに来てサトウは「蓋を閉めて少し待て」という。こんな状態でお預けを食わせるとは、この青年、見かけによらずドSなのだろうか。
しっぽをフリフリ、待つことしばし。
「――そろそろ開けていいよ」
待ちに待ったその声に、私は飛びかからんばかりの勢いで蓋を剥ぎ取る。
立ち上る湯気の向こうには、みずみずしい白い麺が、ランプの灯りに輝くスープに浸っていた。そして、その麺の上には……。
「サトウ様! こ、これは一体……?」
私の視線は、先ほどまでは軽石のようにカチカチだったもの――そして、今はふっくらと柔らくなったもの――に、釘付けになる。
「それは『お揚げ』だよ。さ、お食べ」
私はフォークでお揚げなるものを、おそるおそる口に運ぶ。
ジュワ――!
「あふいっ!」
一口噛んだ瞬間、お揚げから熱々の汁が飛び出した。風味溢れる甘じょっぱさが、口の中いっぱいに広がる。
なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ――!
こんな美味しいもの、食べたことない! 今や、私の全身がこれを求めている! まるでずっと探し求めていたものに出逢えたかのような満足感……!
「こっちの世界でも、やっぱり狐はお揚げが好きなんだなあ……」
サトウの言葉の意味は理解できなかったが、私はそれどころではない。
お揚げも、スープも、小さなかわいい黄色い卵も。そして、弾力があり、のど越しの良い麺も。すべてが暴力的なまでの食欲を生み、また、同時にそれを満たしていく。
気付けば私は器の中身、その半分以上を瞬く間に胃の中に納めていた。そして、そこで初めて気がつく。
「あ、私ったら自分ばかり……。サトウ様もお腹空いてるのに……」
サトウは微笑み、私の頭を優しく撫でた。
「――俺さ、向こうの世界では、母親と妹と三人で暮らしてたんだ。父さんは俺がまだ小さい頃に死んじゃってさ。生活は楽じゃなかったけど、家族仲良く暮らしてた」
青年は遠い目をして語る。その視線の先に、かつていた世界を見ているかのように。
「歳の離れた妹が、そのカップ麺好きでさ。でもお湯を入れるのは危ないから、いつも俺が作ってやってたんだ。出来上がるとさ、イナリみたく勢いよく食べるもんだから、しょっちゅう口の中火傷してたな――」
私の頭を撫でる、温かい手のひら。彼の妹にも、同じようにしてあげていたのだろう。彼のさびしげな笑顔に、胸が締め付けられる想いがした。
「はい、サトウ様も食べてください。半分こ」
きょとんとした顔のサトウに、器を押し付ける。
「このダンジョンの奥には、魔王を倒せる伝説の武器があるんですよね? 魔王を倒せば、サトウ様は元の世界に戻れる……かもしれないんですよね?」
「あ、ああ……、この世界に来る前、夢の中で誰かにそう言われた、ような気が……」
私は勢いよく立ち上がる。
「なら急ぎましょう! とっとと伝説の武器を手に入れて、ちゃっちゃっと魔王を倒して、元の世界に帰らなきゃ! ……待ってる人が、いるんでしょう?」
私の顔をぼんやり見ていた青年は、不意にうつむいたかと思うと、ぎこちない笑顔を作って顔を上げた。
「ああ……。だけど、俺が元の世界に戻るってなったら、キミと別れることになるんだぞ……?」
ああもう、この人は。どこまでも優しくて不器用なんだから。
「なに言ってるんです! もちろんそっちの世界には、私もついて行きますよ! こんな美味しいものの味を、私に覚えさせたのは貴方なんですからね!」
私の言葉に、青年は笑った。私も笑う。
「ところで、この美味しいの、なんて名前なんですか?」
いつまでも「これ」とか「美味しいの」では呼びにくい。
「ああ、これは『赤いきつね』って言うんだよ――」
青年は可笑しそうにそう答えた。
〈完〉
異世界のダンジョンで、君と「赤いきつね」を。 氏家るる @watanukihajime
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