第8話
「異なことを申す輩よ。21世紀とやらは、南蛮式の勘定か。しからば、いまは何世紀に当たる」
鵄は、人間の声帯を有していた。
「九郎の時代は15世紀」
「成る程、後の世であるな。合点がいった」
鵄の姿の崇徳院は、頷いた。
「流石は、聡い」
「して、その女御の力と申すわけか。時を経駆けるその不可思議な術は」
崇徳院と次郎の掛け合いが続く。
「間違いない。俺たちもその能力に引きずりまわされている」
金の鵄は、頸を千恵に向ける。
「ふうむ。その額の環よな。太陰の力を媒としておるようだが」
「上皇さん」
千恵は、崇徳院に思い切って語りかけた。
「実は、私たちの時代が、大変なことになってて」
「大変とな」
崇徳院は頸を捻った。
「いつの時も、穏やかなる御代などはない」
「争いや飢えや天災なんかは、いつの時代もあるのかもしれない。でも、私たちが経験してるのは、そういう災厄じゃないんです」
「ほう、如何な」
問われて千恵は絶句した。本当にあれは、自分たちの暮らしていた時代のことだっただろうか。何がどうしてそうなったということはない。ただ漠然と世の中が混乱し出したのだ。いまとなっては、まるで夢の中でもがき苦しんでいたかのようだ。いま千恵の感覚の中では、夢と現実との隔たりが極力少ない。こうして室町時代で、次郎や九郎と右往左往している自分こそが、夢の中と言えないこともない。只今覚醒中と声を大にして公言出来ないもどかしさ。あやふやな自分の感覚に、千恵は情けなくなった。
「娘、汝は何かを悟りつつあるようじゃ。善かろう。この崇徳院、汝らに加担致す」
「な・・・崇徳院、戯れも程々に致せ」
太郎坊は些か慌てた素振りを見せた。
「太白様に何と申し開くつもりだ」
「貴公こそ日羅、善海に何と詫びようというのじゃ。こたびの大乱は、長引き過ぎた。挙げ句、九頭龍権現の逐電に至ったのじゃぞ。これでは直に人の世は滅ぶ。人皇であった朕には堪え難きこと。魔王尊には朕が直々に奏上致す」
鵄は、猛禽よろしく捲し立てた。太郎坊は、仮面の下で苦笑いを見せた。
「たかが冤鬼と思うていたが・・・そこもとにも、それなりの矜持なるものがあるか」
「朕は何処までも、この大八洲の民のことを案じておる。世世あちこちを経巡って参ったものとは、考えが異なるのよ」
ふたりの「天狗」の口論を耳に、三人は、
「なんか複雑な背景がありそうだが・・・とにかく、味方になってくれそうな気配だ」
「何なの、この人たち、本当に」
「我々が天狗と呼び習わしてきたものは、もっと掴みどころの難しい、捉え難いものらしい」
言うなり九郎は太郎坊に向かい、
「愛宕栄術太郎坊殿、その面は迦楼羅にござるな。貴殿、出自は何処なりや」
「聡明丸。愛宕の術を会得せんとするおぬしに伝えておこう。儂らは、謂わば陰の気よな。西洋にては星気体とも呼ぶ。おぬしら人の住まう次元とは異なる境に暮らすものよ。人の世界に関わらんとするとき、儂らは大抵その次元の生き物に宿り、憑く」
「じげん、とは何でござる」
「あとで連れに訊くがよい。後の世の言葉だ」
「何の話してんの?」
千恵は怪訝な顔で、次郎に耳打ちする。
「知らねえょ」
「こやつ崇徳院の為りを見て、何か思い浮かばぬか」
太郎坊は、その右腕にしがみついている金色の鵄をずいと九郎の眼前に押しやった。
「金色の鵄と言えば」
「神武東征か」
「さよう。禽獣と申せ、鵄やら野干やらの脳波には、我らの生涯を通して辿り着いた境涯に近いものがある。我らの依代となり易い訳だ。この国の始まりから既に我々、謂わゆる天狗族が関わっておることを知るがよい」
「して、貴殿は詰まりは何なのでござる。仏道に入らんとして天狗道に迷い込んだ輩の仲間か」
「ふん、知った口を利くでない。儂は謂わば、生え抜きの天狗。高皇産霊とも呼ばれることもある、古来の霊体だ」
「矢張り。すると、無住法師の記すように、伊邪那岐伊邪那美の神と密約を交わした第六天の魔王とは、貴殿か」
「日羅のことじゃな。ひとが仏道に入るを妨げる役目を仰せつこうておる魔のひとり」
「仰せつかる?誰に」
「太白様よ。仏道とて、行い無くして形ばかり経典の辞儀に囚われ、寧ろ感得を遠ざけ、徒らに死後の魂がこの次元にとらわるるを忌避せんとしての」
「むう。極楽往生、輪廻解脱よりも現世利益に流され易いのは解るが」
「欲界にあって、技巧や術に嵌まり、まだその向こうの大事に気づかぬようでは、人の世はいつになろうと浮かばれぬ」
「大事、とは畢竟?」
「愛というと、おぬしには語弊が多かろうな。後の世ではこの語に意味合いが付加される。自らを顧みず、他を思い遣る心ぞな」
「天狗が愛を語るとは」
次郎は呆れ顔だ。千恵は取り残された感でいっぱいで、
「どうでもいいけど、助けてくれるってんだよね。じゃ、早いとこウチに帰して」
「空気読めよな、千恵坊。いま俺たちは天狗界の深奥に居て、その秘密を知り得る立場にあるんだ」
「どうでもいいじゃんよ、ったく」
不満を囁くように託つ。鵄がばさばさと翼を叩いた。
「崇徳金翅鳥、そなたの考えは承知した。九頭竜がどのような力を具え、民にどれだけの災厄を齎しうるのか計り知れぬ。古き国つ神に祀り上げられているからには、相当の験を秘めているやも知らぬ。太白さまに言上してみるがよい」
「言われるまでもない。八郎冠者、おるか」
暫く静かだった周囲から、返事があった。
「この者たちに力を貸すがよい」
「院のご意向にあらせられれば」
声だけが答える。崇徳院の身体が帯電する。
「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の・・・」
太郎坊の腕を蹴って飛翔する。そして千恵の額の環に喰らい付いた。
「きゃっ」
千恵は悲鳴を上げた。環が、崇徳院の発光を受け継ぐ形で光りを放つ。その光は千恵を経て、次郎、九郎へと波及していく。
「別れても末に 逢わんとぞ思ふ」
崇徳院の声が谺した。
幻月 深皐豊 @fucka
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