第7話
「てやッ」
気合いとともに司箭の錫杖が空を裂いた。すんでのところで九郎は体を翻した。錫杖の頭には刃が仕込んであり、矢継ぎ早の突きが繰り出される。九郎は器用にそれを避ける。
「お師匠、何卒御勘弁」
「ふふ、巧く逃げよるの。しかし無駄じゃ。辿れば源九郎義経に行き着く、この京今出川鬼一法眼の御技。聡明丸様とても躱す術はござらぬ」
司箭は大きく杖を薙いだ。九郎もどうやら後がない様子。
「手向かうつもりもないか。流石は義を重んずるお人柄。じゃが、もはや師も弟子もない。遠慮なく向こうて参るがよろしい」
錫杖の先を九郎に突きつける。
司箭の頭襟に、小石がぶつかった。
司箭は振り返る。いつの間にか背後には異装の男女が居た。次郎と千恵だ。千恵は、二弾めの石飛礫を投げつける構えだ。
「なんじゃ、貴様ら」
「待て、来るでない、次郎殿、千恵殿」
九郎の叫びに次郎は、
「何故闘わないんだ、九郎」
「師に刃を向けられぬ」
「バカ、殺されちゃうよ。暢気なこと言ってないで」
千恵も叫ぶが、九郎は尚も躊躇を見せる。
「話さば解らぬこともあるまい。お師匠、御眼を醒まされよ。慈悲深い元のお師匠にお戻り下され」
「ダメだ、こりゃ」
次郎は頭を抱えた。司箭は無表情で構えを解かない。
追い詰められた九郎を、再び切っ先が掠めた。
「見てられない」
千恵はそこいらに落ちていた手頃な木の枝を拾うと、上段の構えで背後から司箭に挑みかかる。
「せいや」
振り下ろされた枝は、振り向いた司箭の錫杖に難なく受け止められた。司箭は憤怒の形相で、矛先を千恵に向けた。
「おのれ、小わっぱ、邪魔だて致すな」
槍を扱くように杖を突き出す。千恵は間一髪のところで避けた。
「千恵殿!」
九郎はようやく腰の刀を抜いた。
「そうこなくてはの」
再び司箭はゆっくりと九郎に向き直る。
「お覚悟」
「さて、どちらが」
司箭は右足を踏み出すと、半身を作る。右手を下から杖先に添えた。貫心流発之表形だ。その体勢からの鋭い突きに、九郎は些か怯みながらも辛うじて躱す。
三度ふたりは双方中段に構えて対峙した。
「ていッ」
踏み込んだのはまたしても師の側だった。上段に振りかぶった錫杖を気で制し、九郎は糸引きの動きで腰を沈めた。正面に切り込む司箭に、九郎は瞬間せり上がり、錫杖を左側に切り落とした。
その瞬間。
ガガッという音とともに、稲妻がふたりの頭上に炸裂した。
むろん両人は互いに後方へと弾かれた。千恵と次郎は袖を顔に翳しながら、これもまた尻餅をついた。
いつの間にか空は黒雲に覆われていた。地鳴りがする。これが将軍塚の鳴動なのか。
黒雲は帯電しながら、渦を形成している。時折り地上に向けて、金色の触手を伸ばす。
「どうやら、時が参ったようじゃ」
ひと筋涎を垂らしながら、司箭は錫杖に縋り、ゆらりと立ち上がった。
「聡明丸様、命拾い致したな。邪神が拙者を喚んでおる」
「お師匠」
「時が到れば、また逢うことになるやも知れぬ。それまで暫し、休戦と致そう」
司箭は哄笑とともに錫杖を天に掲げた。その身に無数の火花が纏わりつく。
「さらばじゃ」
落雷とともに、司箭の姿は忽然と消えた。
千恵は悲鳴をあげて屈んだ。間近に雷が落ちるのを、二度までも目にしたのだ。
雷雲は急速に北の方角へと引いていく。
「やはり、愛宕山か」
九郎は独り言ちた。
「愛宕山に何が」
次郎は質す。九郎は刀を鞘に収めながら、
「師はな、そこをば拠点に致しておられる。『太平記』に記されるが通り、日本無双の霊地だ。天下を乱さんとする天狗たちの評定の場とも言われる」
「聞いたことがある。愛宕山栄術太郎、その正体は色々と言われているが」
「第六天魔王すなわち他化自在天」
「もう・・・何が何だか」
半べそをかいている千恵の額の環が、鈍く光を発している。九郎の目は、その異様な光に釘づけになった。
「なんじゃ、千恵殿、その光りの筋は」
千恵は胸を押さえて、地べたに蹲った。肌は紅潮し、珠の汗が顔をつたう。
「か、身体が、熱い」
千恵は苦しそうに悶え、地面をのたうった。
「じ、次郎にい、なんとかして」
次郎は狼狽えた。切なげに身体を捩る千恵に駆け寄ったものの、彼女に手を添えることすら憚られた。
「ど、どうすればいい」
九郎も不安げな表情で、無言だ。揃いも揃って、無能な男子である。
千恵は咄嗟に手を伸ばし、次郎に向けた。次郎は思い切ったように、その手を握る。
千恵と次郎の輪郭がぼやける。
九郎は目を瞠った。ふたりの姿が消えてゆく。
「ままよ」
九郎は次郎の腰にしがみついた。千恵のカチューシャが一層、光を放つ。三人は一様に心地好い浮揚感を感じた。
最初に意識を取り戻したのは、千恵だった。自分の「気」が消耗しているのを密かに感じつつ、辺りに目をやった。
次郎と九郎も、そばに横たわっていた。
少しほっとしながら、ここは何処だろうかと思った。見覚えのある場所ではない。というより、辺り一帯靄が掛かっていて、景観がわからない。
茫然としていると、九郎も呻き声とともに起き上がった。
「ううむ、どうなっておるのだ。何処だ、ここは」
「判らない」
千恵はぼんやり応える。
「ここは、愛宕山だ」
不意に、靄の彼方から大音声が届いた。一同、大いに狼狽える。
「なんじゃ、何者ぞ」
「愛宕山って、さっき話してた・・・」
「うむ、私やお師匠の、修行の場だ」
九郎は警戒を保ちながら、千恵に説明した。次郎は、口を挟む。
「そして、天狗たちの巣窟」
「ようく存じおるの」
笑い声と同時に、再び声が響く。
「貴様ら、さては件の天狗どもであるな」
どっと笑い声が起こる。
「天狗、か。おぬしらの識るところでは、せいぜいそんなところよな」
可笑しそうに言い放つ声。
「ここは、愛宕山と申したな」
「さよう。第六天と呼んでも宜しい」
九郎の問いかけに、また別の声が答えた。
「よくぞ、生身の身体で此処に参ったものよ。おぬしらこそ、天狗ではないのか」
「戯れを申す。天狗ども、さては噂に聞く、評定の最中と見受けた。まず、その姿を顕せい」
「おぬしらには、我らのほんとうの姿は見定められぬよ。まあ特別に、かりそめの対面、叶えて進ぜるか」
宙に、ぼうと火が灯った。激しく燃え盛っていく焔を、じっと見つめる三人。次第に炎は収まっていく。すると鈴懸姿の、異様な仮面を付けた人物が、現れた。
「お初にお目に掛かる。太郎坊と申す」
「お手前が・・・」
その神々しさに、思わず九郎は居住いを正す。
「現し世で、おぬしの修行ぶりは目にしておる。聡明丸と申したな」
「は。細川九郎政元にござる」
慇懃に名乗る。そして、続けた。
「いや無礼をば致した。天狗と申すからには、もそっと卑しく野蛮なものかと、勝手に思うてござった。なんの大したご貫禄」
素直な物言いではある。太郎坊と名乗る人物は、はははと笑って、
「世辞も余り巧くないの。まあよい。おぬしら、あの司箭院とかいう行者を追うてきたのじゃろ」
「追うて参ったというよりは、半ば成り行きのようなもの。しかし、都合が好いことは確か。お師匠をお引き渡し下され」
「ここには、居らぬ」
太郎坊は、言った。
「奴は、古のものに操られておるようじゃ。いま、どこに在るかは存ぜぬ」
「貴公の出自の、唐天竺でも周っておるのではないのか」
靄の向こうから別の声がした。
「何か知っておるのか、崇徳院」
太郎坊は後ろを振り返るようにして、声に質した。
「崇徳院?」
次郎が反応する。
「いや、知らぬ。だが、あの手のものは大概、唐天竺が似合いだ。このような島国にては窮屈というものであろうぞ」
崇徳院と呼ばれた声は、言う。
「もし。崇徳院に座すか」
九郎も身を強ばらせ、問うに及んだ。姿は見せぬまま、重々しく声だけが答えた。
「いかにも」
思わず九郎は跪いた。
「保元の戦さにては、余りに不運な御処遇をお受けと聞き及びまする。誠、お気の毒にござります」
「次郎にい、ストックインて?」
「崇徳上皇だ。日本史で習わねえのか」
「上皇・・・」
千恵は必死に既習の教科書日本史を脳内で繰ろうとしたが、あいにく貧弱な記憶では如何ともしがたい。次郎は仕方なく、更に加える。
「怨霊になって日本を守ろうとした、悲劇の上皇だよ」
崇徳院はその威厳に満ちた声で、
「そちどもは、朕の本意を解しておるのか。そも何者よ。能くこの異界に出入りするとは、少なくとも現し世の者ではないな」
「こちらに座す千恵坊の、感応性質のせいみたいだけど。図らずも愛宕の秘所に迷い込んだ、21世紀人ですよ」
ばさばさと翼のはためく音がして、目映いばかりの金色の羽を有した大きな鵄が、太郎坊の差し上げた右腕に停まった。
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