第6話
朝餉が済み、暫く休むと、九郎が顔を出した。
「早くに、申し訳ない。実は、東山の将軍塚が鳴ったというのでな。京兆として捨ておけぬ。ついては、ご同道願えると心強い」
「ツカが・・・鳴る?」
千恵には意味が皆目分からない。
「将軍塚ばかりではない。前には石清水八幡も鳴動したと聞く。穏やかではない」
「どういうハナシ?」
千恵は次郎に耳打ちした。
「昔は塚や墓、神社仏閣などが音を立てることがしばしばあったらしい。良くないことや変事が起きる前兆だとかいうんじゃなかったかな」
「音を立てるって、軋んだりすんの?」
「知らねえょ。『鳴る』と表現してっから、唸るとか啼くに近いんじゃないのか。いずれ不吉な感じはするが」
次郎は緊張の面持ちだ。
九郎は頷きながら、ふたりを促す。
「ご足労かけるが、何卒」
屋敷を出る三人に向かって、家人が馬を引いてきた。
「乗れるか」
九郎の問いに、思い切り首を横に振るふたり。
「よい。徒歩で参る」
九郎は門をくぐった。次郎と千恵も続く。
「九郎だけでも、乗ればいいのに」
千恵が言うと、
「そうはいかぬ。お手前どもに失敬というものであろう」
最初逢ったときはもっと横柄な人物かと思いきや、存外に折り目正しい青年らしい。次郎は千恵に目配せした。千恵も微笑む。
「将軍塚はな、保元の戦や源平の戦が始まったときなどに、朝廷の政危うからんと告げるべく鳴動したという。平安の京が造られたおり、都を護らんがために、八尺の土人形に甲冑を着せ矢を持たせて、西向きに埋めたと伝えられている」
九郎は道すがら、講釈する。京の都には復興の兆しが見えるようで、焼けた館が片されて新しい建造物が築かれている。戦を避けて疎開していた都人も徐々に戻りつつあるのか、新たな民衆の息吹きが感じられる。
「ときに、次郎殿」
九郎は振り返って、
「私は如何に生涯を閉じるのであろう。そなたらに逢うてより、一晩中そのことを考えておった」
問われて次郎は、返答に窮した。
「何か存じてはおられまいか」
九郎政元は、無念にもその養子によって暗殺される運命だ。その不名誉と言ってもよい最期を、本人を前に口走るのは躊躇われる。更に言えば、この場で自分が事前に示唆したことで、歴史の歯車がひとつ狂う虞がある。
「俺も・・・よく知らない」
次郎は苦渋の顔で告げた。九郎は微笑んで、
「なれば、詮無い」
と言った。
咄嗟に思い至った考えではありながら、次郎はそのタイム・パラドックスの迷宮の入り口で頭を悩ませた。歴史とは、必然に縛られているものなのか。どんなに紆余曲折を経ようと、畢竟ひとつの果てに帰結する定めなのだろうか。無論、次郎や千恵にも知る由はない。
鳶が上空に輪を描いている。好天に恵まれ、三人は条里を進んだ。
「今年、河内に出張って思いを強くした。私は元来、戦や争いごとは好かぬたち。政とて・・・管領の務めとて、しかと身を入れる気にはなれぬ。乱れに乱れた浮世など、私にとって進んで関わりたいものではない」
嘆息して九郎は、吐露する。
「将軍さまが誰であろうと、もはや変わりはない。さき様も、東山に山荘を拵えるおつもりのようだ。京を焼き尽くした争いの火種を自ら持ち込みながら、なんと雅なこと」
足利義政に対して皮肉を託つ。
小川のせせらぎを渡り、芒生い茂る路を辿って、昼近く一行は花頂山の麓に到着した。
「どこまで歩くかと思った」
千恵はブラウスの襟をはためかせながら、
「都の外れまで来ちゃったのかしら」
「女子の脚で、大したものだ。いや健脚」
九郎は素直に褒めた。千恵も剣道で足腰を鍛えてきた手前、安易に弱音は吐けない。
さすがに次郎は疲れを見せた。
「俺も少し休みたいところだ」
「近くに清水が湧いていたはず。どれ、涼をとるとしよう」
竹の水筒を振って、
「水を汲んで参る。そこもとらは、日陰で休んでおられよ」
千恵と次郎は、近くの石に腰を下ろした。ヒヤリとした感覚が、尻に伝わる。
「やれやれだ。風が心地よい」
「次郎にい」
千恵は、汗を拭う次郎に声をかける。
「実は昨夜、九郎のお父さんに逢ったんだ、私」
「細川勝元に?死んでるはずじゃないのかよ」
「それが生きてたのよ。それでね、気になることを喋ってた」
「気になること?」
次郎は眉根を寄せた。
「都の結界が壊れつつあるとか、何とか。その事前工作として、九郎に魔法を習わせたんだ、とか」
「何のこった。よく分からん」
千恵も緘黙した。
「塚が揺れるのと、何か関係があるってか」
「分からない。でも何か不吉な予感がする」
「これ以上の面倒は、ごめん被る」
うんざりした様子で、次郎は言った。千恵は洛内の方角を眺めた。雲は西に流れていく。周囲の木々の枝が、風にそよいでいる。
「こちとら、面倒はごめんだ」
次郎は繰り返した。
九郎は清水に辿り着いた。水面に竹筒を静かに沈める。両手でひと掬い、水を飲み干した。冷たくて気持ちいい。
九郎はそこで、人の気配を感じ取った。後ろを振り向く。山伏の身なりの屈強な男がひとり、立っていた。
「政元様、今日は何のお越しか」
九郎の師、宍戸司箭家俊だった。
「お師匠」
九郎は驚いて、一礼した。
「いや、塚が鳴ったと聞きましたもので。お師匠こそ、何ゆえここに」
武芸の一派、貫心流を極めた司箭は、九郎に請われてその技を教えている。武術のみならず、謂わゆる修験の術も教授していた。
「こんな所で、行ですかな」
静かに九郎は問うた。
「いかにも、そんなところでござる」
背負った笈を揺らして、司箭は笑った。
「ところで、政元様」
「何か」
「お連れの方々は、一体どちらの者でござる」
「あ、ああ。先般行き合うての。見どころのある御仁たちでして」
「只者ではない、と見受けるが」
「さすが目が高い。いささか曰く付きの衆」
「よもや、政元様の修行を妨げる輩ではありますまいの」
「先の世から参ったと申しております。よもや天狗の眷属かとも思い、逗留させております」
「誑かされておるのではござらぬか。番の天狗など、聞いたこともない」
笑って九郎はいなした。
「塚が鳴るとは、不穏なこと。石清水も鳴動したと聞きおよびまする。応仁の戦も何とか果てたと申すに、この期に及んでまだ何か変事が」
「結構なことにござる。武士の世になって久しい。もののふの力がまた、大きゅうなろうというもの。この国の民は、もう内裏を畏れてはおりますまい」
司箭の口元には、笑みが浮かんでいた。九郎はそこで、背筋にぞくりと冷たいものを感じたが、気丈に返す。
「如何でしょうか。民を一番思うておられるのは天子様ではございませぬか」
「さて、どうでござろうかな。民が敬い、崇め奉るは見せかけの権力ではないと存ずるが」
「それなら私は、武士として民の不安を除きたい。武士同士での戦に明け暮れるばかりでは、余りにも能がござらぬ」
「ほほう」
司箭は含み笑いを漏らした。
「それは誠にござるか。政元様とて、薄々気づいておられるのではないかと思うておりましたが」
「何を」
九郎は、司箭の錫杖をまじと見つめた。
「御台様を御覧遊ばせ。ゆくゆくは、銭を崇める世になる。値のないものに値を。そして貴きものは卑しく、卑しきものは尊ばれ、下は上に剋ち、上は下に阿る。もののふの世は、続きまするぞ。戦は形を変え品を変え、とこしえに廃れませぬ。まことの泰平の世など、決して訪れは致しませぬ」
「お師匠」
何かが、師の身に起こっていることを察知した九郎だった。
「どうなされた。いつものお師匠では」
「それこそが天魔の国じゃ」
司箭は叫んだ。
「何が国の平和じゃ。民の安寧じゃ。そんなもの、いっときのまやかしに過ぎぬ。さきの戦で、儂は厭という程思い知ったわ。儂はもう、この世を見限った」
「何を申されます」
「儂は見かねた。誰一人として、幸せが何かを知ろうとしない。うつけどもが揃うておるわ」
「天狗に毒されたかッ」
司箭は愛宕山に出入りしている。愛宕山は天狗の巣窟として、つとに名高い。
「これからは、儂が自ら、民を治めまする」
「正気か、司箭」
「この司箭院興仙、正気も正気」
そう言った司箭の顔は、この上なく狂気じみている。汗が九郎の頬を伝う。
「外つ国からその昔来たりし魔が、この都の結界に封じられていた。儂はそやつと契を交わした」
九郎の総身の毛が怖気立った。
「それは民の恐怖を喰らい、邪気を吐く妖魔。修羅の世に終わりを告げる魔神。されば未来永劫、儂はこの世を統べる」
錫杖を振るい、
「神となるのだ」
司箭は哄笑した。風がつむじを作って、白い浄衣をはためかす。九郎は舌打ちした。
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