第十一話

「これさ、春香ちゃんのだよね?」


 すぐに、イヤホンを耳から離し、松山くんが自分の耳元に近づける。


「この曲が流れてたから、そうかなって思ったんだけど、一応、美鈴にも確認してさ。そしたらすぐ届けに行ってあげて!って」


 美鈴が。


「…うん。失くしたと思ってた。なんで」

「またライター忘れてさ、戻ったら掘りごたつの下に落ちてて。春香ちゃん、もう帰るんでしょ?駅まで送るよ」

「え、二軒目は?」

「俺も明日早いから。この曲聴いてもいい?」


 私が頷くと、松山くんは躊躇なく、片耳のイヤホンを右耳に付けた。


「この曲、映画の主題歌だよね」

「やっぱり、知ってるんだ」

「そー、だね。一回さ、うちで勉強会したことあったじゃん」

「うん」

「その前に、春香ちゃんと美鈴が、あの映画の話してるの聞こえちゃったことあって」

「そーなの?」

「うん、俺も小さい頃にその映画見てて、すげー記憶に残ってるんだよね。で、勉強会の時に、机にその小説置いとけば、春香ちゃんと映画のこと話すきっかけになるかなって思って置いてたんだけど」

「えっ、私もそれ気づいたけど、話すタイミングなくて」

「まじかよ」


 お互いの笑い声が、通りに響き、喧騒の中に馴染んだ。今になって、自然に話すことができるアルコールの恩恵を受けれているかもしれない。


「タバコ、吸うんだね」


 聞いてはいけないと思いながらも、もうセンサーは何の仕事もしなかった。


「あー、やっぱ印象良くないよね」


 そんなことなけいどと、いつかと同じような台詞が出る前に、彼の口が動いた。


「実は今回帰ってきたの親父の三回忌でさ」

「え?」

「親父まとめ買いする人だったから、遺品整理してた時に2カートンくらい出てきて、そんな吸ってるから早死にしちゃったんだけどさ、まあ形見ってわけじゃないんだけど、それがきっかけで」


 彼のトーク一覧が見えた時、もう随分通知が鳴ることのなかった私達のグループは、今もお気に入りに登録されていた。


「そうなんだ。さっきそう言えば良かったのに。」

「いやー、気使われるのやだし、向こうの友達にも言ってないしさ。それに吸わない人が居るとこでは吸わないって決めてて。」

「え、さっき金山くん迎え行った時」

「あの時も吸わなかったんだよね。やっぱり匂いが一番嫌じゃん。でも、俺の話ばっかになってて、なんか居づらくなったから煙草口実に抜けた。二軒目は一緒に吸わなきゃ吸ってるやつが悪いみたいになるのもなーとか考えちゃって、それもあって抜けてきた」


 松山くんはずっと私の隣に座っていたけど、煙草の匂いが気になることはなかった。


「やめなきゃなとは、思っとるんやけどね」

「あ、方言」

「え、出てた?」

「今初めて出た。すごい気使ってるじゃん」

「だって、みんなにいじられるの恥ずかしいからさ」

「方言もだけど、話してる時も聞き役に徹するみたいな、ずっと雰囲気読みながら言葉選んでる感じあったよ」

「そう?」

「うん。タバコの話が出た時以外、ほとんど聞き役だった。優しいなって思ったよ」

「ありがとう。でも」


 イヤホンを付けている左耳の音には、中々集中できない。


「それは春香ちゃんもそうじゃない?」

「え?」

「いや、なんか」


 松山君は少し自嘲気味に、言葉をゆっくりとふるいにかけるように言った。


「高校の時から思ってたんだけど、春香ちゃんって人と話すときは聞いてくれる側に回るっていうか、相手に安心感を与える人なんだと思うんだよね。それが俺と被るって言ったら変だけどなんとなくシンパシーは感じてた」


 私が言葉を選んで話すように、松山くんが放つ一つ一つの言葉も本心ではない選ばれた言葉たちだったのだろう。でも、その選び方一つ一つが、私と似ている。


「俺も言葉を選んだり、相槌の打ち方とか表情とか、人と話すときに気を付けてるところいっぱいあるんだけど、春香ちゃんを見れば見るほどその気を付け方が一緒だなって思うんだよね」

 

 だから、松山くんが、今、話していることは本心だってわかる。


「だから、今、春香ちゃんが褒めてくれたのは本心なのかなって」


 ────何考えてるかずっと分かんなかった。


 人生で何度も付けられた傷跡が、美しく元通りになった気がした。


「私さ、先週彼氏と別れたんだよね」

「え、そーなの?」

「それをインスタのストーリーに出しちゃってさ、みんなそれ知ってるはずなのに誰もそのこと言わない感じも、話したいのに話せない自分も、気持ち悪くて」


 ずっと言えなかった本心が、言葉になっていく。


「しかも今日の飲み会も、みんなとちゃんと本心で話そうって決めてきたのに、全然できなくって」


 センサーは機能停止したかのように、何も反応しない。


「自分は人の目気にして、気使ってる雰囲気出してるのに、SNSで恋愛の愚痴吐くとか一番キモいことしてるの自分じゃんとか思って」


 だめだ。これ以上口を動かしたら泣いてしまう。悲劇のヒロインを気取ってはいけない。


「でも、今は本心で話せてるじゃん」


 そうかも。


 涙を必死に堪えている喉は音を出さず、代わりに首が動いた。


「人の目を気にしちゃうって、殆どの人が持ってる感情だと思うんだけどさ、それって誰かに変に思われないようにって怖さと、誰かに気づいてほしいって願望が混じったものな気がしてて、その一番外側にあるのがSNSなのかなあって」


 私は、自分の本心を誰にも気づかれないようにしていることを、誰かに気づいてもらいたかったのかもしれない。


「できるだけ、気づいてほしいって思いが見えた時は、口にした方が良いんじゃないかって思ってて。だから、聞き役に回ってるって春香ちゃんが気づいてくれたことが嬉しいんだよね。それに」


 松山くんが、イヤホンに指をあて、音楽を噛みしめるようにして言った。


「本心で話せる相手なんて一人いれば充分だよ」


 その一言で少し肩の力が抜けた。キザな一面があるのが私との違いかもしれない。


「松山くんは彼女居ないの?」


 最も引っかかった記憶を不意にぶつけてみる。


「うーん、居た。こっち来る時くらいに別れ話出て、昨日完全に別れた。でも、最後のLINEに既読付けちゃったら、もうほんとに終わっちゃう気がして、まだ付けれてない。」

「そーなんだ」

 

 松山君も美鈴も、私だって、今どきの若者になった。


「でも、本心ではもう分かってるんだけどね」


 でも、あの頃に培ったものが無くなったわけじゃない。


「春香ちゃんに本心でとか言ったし、俺もそこと向き合わないとね」


 松山君が右手でスマホの画面をタップして、トークルームを開いた。その表情は少し寂しそうだけど、どこかすっきりしているようにも見える。


 多分、私が初めて本心で話せたように、彼も、自分の本心と向き合う努力の最中なんだ。でも、今日はお互いに成長できた。


「あのさ」

「ん?」

「今日最初に会った時、なんて言ってたの」


 彼が照れるようにはにかんで笑った。


「大人っぽくて、すごい綺麗だよ」


 今度は、イヤホンの付いていない右耳に、直接その言葉が届いた。


 繰り返し流れていた曲は、ラストのサビを終えて、美しいピアノの音色が最期を飾っている。


 私がポケットから右手を出すと、彼もポケットから左手を出した。


 ハッピーエンドにもバラードはよく似合う。

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片耳のイヤホン 谷 友貴 @taniyuki

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