ときめきとは


 そして怜とアオイはお互いの姿を見ないまま、午後五時。

 舞踏会が始まった。

 長い長い夜の始まりだ。


 王宮の外には貴族の男性に見初められようと、とびきり良い洋服や和服を着てソワソワ街を歩いている平民の女性達。

 それをきらびやかなドレスに身を包み、馬車の中から口元を扇子で隠しながら見下す貴族の女性達。

 何処を見回しても汚い心の人間ばかり。


 赤茶色のレンガで造られた大きな宮殿の、その奥の小宮殿。

 同じくレンガ造りの豪華な建物は、ラモーナ公国の城より遥かに大きい。

 小宮殿まで続く白いレンガ道も丁寧に整備され、国の象徴である松が美しく植えられている。

 小宮殿の前にある噴水はランプの火でゆらゆらと水が煌めき、それを取り囲んで多くの馬車が次々に停まり、御者達はお互いの馬車がぶつからぬよう馬を制するのに必死だ。


 怜がホテルから出たのをシェーンに確認してもらった後で出発したアオイは、そんな馬車達もまばらになった頃、小宮殿に辿り着いた。



「ふぅ、やっと着いた」

「馬車だとやはり少し時間が掛かりますね。犬の方が速いや。アオイ様はこれからだと言うのに疲れていませんか?」

「大丈夫! スバルこそ、付き合わせてごめんね?」

「いやいや……、流石に一人で行かれる方が困ります」

「あはは~……」



 小宮殿まで直ぐだからと当然の如く馬に跨がり出発しようとしたアオイ。

 「馬車なんて時間が掛かるし、小回り利かないし誰かに付き合わせるなんて……!」と確かにその通りなのだが、小宮殿で開かれる舞踏会に、令嬢が馬に跨って登場とは想像するだけで恐ろしい。

 頼むからそれだけは、とシェーンとステラは全力で引き留めアオイを馬車に放り込んだ。

 御者役を頼まれ別行動をしていたスバルは、アオイが逃げ出す前にと慌てて馬車を走らせたのだ。

 仲良さげに暫くスバルと話していると、「やあ、こんばんは」と後ろから耳元で囁く声。



「わ……! あ、ごめんなさい、お待たせしてしまって!」



 振り返るとハモンド侯爵の姿。

 品の良い高そうな黒いピンストライプのドレススーツに身を包み、優しく微笑んでいる。



「滞在しているだけなのに御者と仲が良いんだね?」

「え? あ、えぇ、皆良い人達ばかりなの!」



 御者と言われ一瞬誰の事だと思ったアオイは、ハモンド侯爵がちらりとスバルを見たので、それで察した。

 一方ちらりと目線を送られたスバルは、男性同士特有の牽制だと分かり、直ぐ様「じゃ、アオイ様、楽しんできて!」とその場を去る。



「では、行こうか」

「はい」



 掌を差し伸べられたので指先を乗せると、慣れたように自然と腕組み。

 勿論アオイとしては家族以外の男性に、こんなエスコートをされるのは初めてなものだから照れてしまう。

 ランプの橙色の火で顔が赤く染まっているのがバレなければ良いのになと頭の端くれで思っていたアオイだが、ハモンド侯爵は彼女の顔を見て口元が緩むのを抑えきれなかった。


 先日アリスに、心臓が不整脈な感じで苦しいのですと相談したところ、「その心臓がどきどき苦しいのは異性に対するときめきですね!」と返されたばかり。

(これが、トキメキ……??)なんて自分でも初めての感情に気が付いたのだ。



──「ルイ・ハモンド侯爵並びにオーランド王国男爵令嬢、ヒューガ・アオイ様!」



 入り口で招待状を確認すると、受付の男性は会場の中に居る人達に聞こえるよう大声で名前を読み上げる。

 そんなに大声では注目されてしまうではないかと背筋を伸ばしたが、小宮殿自体が凄く広いので皆にその声は届いていない。

 それに同フロアの奥の方にドレスの塊が「きゃあきゃあ」と甲高い声を上げているせいもあってか、ハモンド侯爵と普通に話すのでさえ少し近付かないと聞こえない位だ。



「何だか今日は騒がしいなぁ……。先ずは、王族の方々にご挨拶しようか」

「はい!」



 ハモンド侯爵に任せながらフロアを歩いていくアオイ。

──「まぁ、ルイ様だわ……!」

──「はぁ……、惚れ惚れする御方だわぁ……」

 なんてちらほら女性の声が聞こえてきて、同時にエスコートされるアオイの話まで聞こえるものだから堪ったものじゃない。

 それに狼森本邸とは比べ物にならない位の人の数。

 緊張しないわけがない。



「うぅ……お隣に並ぶのは私で良いのでしょうか……」

「私が誘ったんだよ? もっと自信を持って欲しいな」



 にこりと悪戯に笑いかけるハモンド侯爵に、アオイは少し頬を膨らませて「ずるいです」と一言。

 約束をすっかり忘れていた身でありながらハモンド侯爵に誘ってもらい、隣に並んでおきながら、相応しくないですなんてこれ以上言えない。

(私が私を否定したらルイ様にも失礼になるもの! これ以上何も言えないもの! そんなのズルい!)



「~~……それはこちらの台詞だよ。君は今日も美しいね」

「い、いえいえ、ルイ様程では……」

「ははっ、それは嬉しいと捉えて良いのかな?」



 恐らく、と苦笑いするアオイにハモンド侯爵は「ねぇ」と、色気のある瞳で近付いてくるので、思わず身体が固まった。



「………アオイって呼んでも?」

「っはい、どうぞっ……!」



 ざわざわ周りが煩くて、耳元で優しい声で名前を呼ばれたらそりゃあ誰だって少しはドキッとするだろう。

 アオイも例外ではなく、ばくばく煩い心臓が、ざわざわ煩い周りに掻き消されてて良かったなと、そう思うのだった。

 こんな心臓の音、聞かれたら間違いなくもの凄く恥ずかしい。

 これが、ときめきと言うものか。



「お、ルイじゃないか。そちらが例の?」

「やあ、今日はありがとう。そうだよ、前に話した子さ」



 ハモンド侯爵が仲良さげに話しているこの男性、第一王子の蒼明 陵。

 まさかハモンド侯爵が第一王子と親しいとは。

 ナウザーはそこまで教えてくれなかった。



「初めまして。私は蒼明 陵。ルイから話しは聞いているよ」

「はい。お招きいただき有難うございます。ヒューガ・アオイと申します」

「オーランドから遙々ようこそ、アオイ嬢。どうぞ私も気軽に名前で呼んでくれ。私は他国の人と交流するのが好きだから今度また話を聞かせてね」

「では陵様と。勿論喜んで、いつでもお聞き下さいませ」



 暫しの会話の後、「じゃ、楽しんで~」ひらひらと手を降り人混みの中に消えていく。

 「陵様まってぇ~!」「わたくしとダンスを踊ってぇ~!」と女性達を後ろに引き連れながら。

 柔らかくて、なんだか良い人そうだ。

(私のお兄ちゃんもラモーナを出てから女性の引っ付き方が尋常じゃないと知ったけど……。さすが王子様、すごい人気だ。あ、お兄ちゃんも王子か。一応)


 陵を呆けて見つめているとハモンド侯爵が視界を遮るように覗き込んでくるので、「ふわっ!?」なんて恥ずかしい声を上げたアオイ。



「あまり私の幼馴染みを見つめられると嫉妬しちゃうな」

「え、あ、ご、ごめんなさい……!」

「可愛い声が聞けたから許してあげる」

「もうっ、からかってますねっ……?」

「さぁ、どうかな」



 ハモンド侯爵は、今年二十七歳。

 恋愛なんてしてこなかったアオイにとっては、恋に慣れた大人の男性。

(いや私の方が実際長く生きているんですけどね!?)


 しかしアオイだって、恋愛とかに興味がないわけではない。

 ラモーナは何処を見ても幸せなカップルばかり。

 アオイの両親だって仲睦まじ過ぎるぐらいだ。

 みんな幸せな国だから、アオイだってそんな関係に憧れる。

 しかし『やり方』が分からない。

 どういう風に相手を好きになるかも分からない。

 己も恋人とあんな風に過ごしてみたいなと思うけれど、相手はと、考えても思い付かない。

 そもそも人である理由はないし、動物達に対しての愛しい気持ちが恋人に対する気持ちと何か変わりあるのかとも思う。

 そんなまま怜達と出会ったのだ。

 そしてもふもふは正義だった。




 ────午後九時頃、

 始まってからだいぶ時間が経ったが、まだまだ舞踏会は終わらない。

 ハモンド侯爵とも随分とお話しして、以前のようにダンスも踊った。

 着ているドレスはくるくると回っても脚が見えないように、何枚かのチュールが重ねられている。

 ただ胸元は慣れていないせいもあってか、ちょっぴり気になる。


 この国でのパーティーは、同じ人と二度以上踊って良いのは恋人か婚約者、もしくは正式に周りに発表していないけれどお互いに気持ちがありそれを確かめるように二度目を踊るんだとか。

 それが暗黙のルール。

 最後のはなんだか素敵だなと思う。

 ハモンド侯爵は「私はアオイと何度も踊りたいけどね」なんてまたからかったりして、そろそろ心臓がドキドキしすぎて疲れてきた時間だ。

(ときめきも中々体力使うんだなぁ……)


 小夜さよにもなると、お酒も入り皆話す声も大きくなる。

 恋人同士であろう男女は二階の奥にある休憩部屋や庭等に姿を消し、きっとふたりだけの大切な愛を囁いているのだろうなと、穢れがない心で優しく見送るだけのアオイは知らない方がいい世界だ。


 アオイとハモンド侯爵が一度ダンスを踊ったのを見ていた他の令嬢達は、「今度は私と踊って!」とルイの周りを取り囲んでいる。

 勿論、舞踏会でエスコートされてても社交は社交だ。

 己の国ではないのだしアオイだってそれぐらい分かってる。

 「私ばかり独り占めしたらバチが当たっちゃいます!」と送り出して、やっと一息ついた。

 一息、と言うか、からかわれ過ぎて心臓が持たないから本当のところ休憩したかった。

 だが馬鹿正直にそんなこと言えないので『逃げた』が正しいだろう。

(ちがうちがう! これは休憩っ! 休憩大事っ! 失礼な事を思ってはダメっ!)


 それでも周りの喧騒から逃れるように、ホールから続く裏庭へと夜風に当たりに行く。

 やはりこの国は魔法を使わない国だけあって妖精はあまり彷徨いていない。


 今日も風は気持ちが良い。

 頬を撫でる風はいつだって心地が良いものだ。

 全く姿が見えないけれど、怜は今誰と居るのだろう。

 もちろん出会わない方が良いのだが。



「はぁ、」



 思わず声を漏らすと、左手奥の方で、カサカサと服の擦れる音がした。

 柱で見えないが、どうやら誰かいるらしい。



──「ふ、んん……、見られちゃうわ……!」

──「どうせ俺たちと同じことしに来た奴らだ、よっ……」

──「や、ぁ、そんな、だめっ」


「!!?(こ、これは、だ、だんじょが、ふかくまじわっているやつでは……!? こんなところでなんで……!)」



 アオイは驚いて、逃れてきたのにまた逃げなければと急いでこの場から立ち去ろうとする。

 いつかの時みたいに振り返ると、ぼすんと誰かの胸に収まった。



「きゃ、あ、ごめんなさっ……、」



 このデジャブはまたルイだろうかと、申し訳なさそうに顔を上げればなんと怜だった。



「へっ!? 怜っ!? なんで……!」

「それは私の台詞だろう」



 ムッとする表情に、「え、あ、そのっ、えと、」と焦っていればまた柱の奥から「ああん!」と女性のいやらしい声が聞こえてくる。

 色々恥ずかしくて顔が真っ赤になっているのが自分でも分かって、思わず手で顔を覆う。



「ほら、行くぞ」



 腰に手を回され、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、ハモンド侯爵に触られる以上に心臓が破裂しそうで、がちがちに身体が固まる。

 ぐっと動かないアオイを見て、ふふんと悪い顔で怜は笑う。



「何? それともここで聞いていたい?」



 その言葉に、ぶんぶん頭を振って意思表示。



「じゃあ、ほら、早く」



 なんとか脚を踏み出して、ふたりホールへと戻った。

 戻ると同時に、「きゃあきゃあ」と怜は女性に取り囲まれていく。



「どこ行っていたの怜様ぁ!」

「わたくしとお話しましょう?」

「あなたさっきダンス踊ってたじゃない! 今度は私の番よ!」

「何よ! そんな、怜様のお隣に似合わないドレス着て! 怜様に失礼だわっ!」

「こんな煩い子達は放っておいて、わたくしと踊りましょう?」



 ドス──!と、どの御令嬢かにアオイは肩を押され、瞬く間に怜と離れていく。

 「あ、」と思わず名を呼ぼうとしたが、いや、そもそも今日は大事な舞踏会。

(社交の為なのだから、私は関わらない方が良いのか……)

 そう思って、呼ぼうとした声を飲み込んだ。

 なんだか今度はチクチクと心臓が痛い。


 ホールの中心ではお酒に合う楽しい音楽が演奏されている。

 その曲に合わせて、酔って楽しくなった人達がケラケラと笑いながら踊る。



「やぁ、オーランドのお嬢さん。私と一曲どうかな?」

「え?」



 へらへらとアルコールの臭いを漂わせながら、20代前半の男性がアオイをダンスに誘う。

 するとそれを見た周りの男性達が、「いやいや、私と」「先に俺と!」と囲まれた。

 五、六人の男性に囲まれると流石にちょっと怖い。

 確かにこれではルイも陵も、きっと怜も大変だろう。


 他にすることもないので最初に誘ってきたのは誰だったかなと、相手の手を取ろうとしたその時──、



「悪いけど、私が先に口説いていたんでね」



 覚えのある手が腰に回った。

 どうやってあのドレスの塊とこの男性達をすり抜けたのか、いつの間にか隣には怜がいる。



「お嬢さん、私と一曲踊っていただいても?」

「………っはい、」



 『先に』なんて嘘なのに、アオイはそれを断れなかった。

 また心臓が煩くて、でも分からないけれど、少し、嬉しい自分がいる。



「ちぇ、」

「その次は私と……!」


「怜様やだぁ!!」

「わたくし達と踊りましょうよ!」



 手を引かれ、ホールの中心へと誘われる。

 周りが何を言ってるかも、今は耳に入ってこない。

 音楽はゆったりとした曲調に変わり、ホールの中心へ連れられるほんの三秒。

 微笑んで、見つめられ、アオイは怜の瞳から目が離せなかった。

 まるで吸い込まれるように。

 そのエメラルドの瞳に閉じ込められるように。


 目が、離せなかった───………

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