犬まみれ


(あれ……私……)

気が付けば昨晩のベッドの中。

爽やかな朝に、頭を抱えるヒロインがひとり。

一体全体、己は何故此処に居るのだろう。

(あ。そうだ。次から次へと出るわ出るわの使用人ならぬ使用犬に、本気でぶっ倒れたんだ……)


 今一度思い返してみよう。

 ジャイアントシュナウザー、執事の〈ナウザー〉

 ボーダーコリーの、メイド長〈コニー〉


 オーストラリアンシェパードのメイド達

 〈ステラ〉〈アン〉〈シェーン〉の三頭


 グレイハウンドのシェフ達

 〈英人〉〈アラン〉〈伊太郎〉〈チズル〉の四頭


 庭師

 チワワ〈鬼塚〉

 ロットワイラー〈ローラ〉の二頭


 警備兵の柴犬

 〈ハヤテ〉〈スバル〉〈ハナ〉の三頭


 ざっとこんなもんだったか。

 御邸の広さに対して使用人、否、使用犬の数が少ないように思う。

 そう、そして忘れちゃならないのが旦那様である超絶大型犬、名は〈狼森おいのもり れい〉という。

 伝記などで聞く山犬の類いだろうか。

 怜の姿を思い出しよだれを垂らすアオイは、ノックの音で正気に戻った。

 失礼致しますと入室してきたのは、使用犬のステラだ。



「あら、お目覚めでしたか!」

「なんか倒れてしまったみたいで、申し訳ないです」

「いえいえ。それよりどこか痛むところは御座いませんか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」



 にこりと笑うオーストラリアンシェパード。

 なんと可愛い生き物か。

 じゅるりと涎を拭き取るアオイに、ステラは少々苦笑い。



「それよりお客様! 今から旦那様がお食事をとられるのですがご一緒に如何ですか? もう姿を隠す必要はないですし」

「いいの!?  是非!! あと私のことはアオイでいいのよ? いやむしろ呼んで?」

「はい畏まりました、それではアオイ様! こちらに着替えてお食事に行きましょう」

「はい!」



 

──「旦那様、失礼致します。アオイ様をお連れ致しましたので、ご一緒にお食事を」



 準備が整ったアオイが通された広間。

 そこは使用人の食事場とは比べ物にならないぐらい広く、贅沢な空間だった。

 落ち着いた深い木の色、オレンジの光がキラキラ美しいシャンデリア。

 大きな窓の上部にはステンドグラスの装飾が施され、蒼やら朱やらの差し込む光が幻想的だ。

 そんな空間にキリリとお座りしている怜の姿。

 誠に惚れ惚れする。

 しかし可愛いところが、怜専用とみられる大きな大きなクッションの上にきちんとお座りしているではないか。

(なんって愛おしいのかしら……!)

 アオイはまたじゅるりと涎を垂らす。

 一方、当の本人(犬?)は、うっとりと自分を見つめているアオイに少々怪訝な顔をしながらも、「あぁ」と素っ気ない返事をした。


 改めて、どうぞとステラが案内したのは、主人の真正面の席。

 これまたキリリとした眉を堪能出来る真正面のアングルも素敵だが、長テーブルが故に遠すぎる。

 アオイ的には直角ぐらいの席が丁度良いだろう、ここなら美しいマズルを拝みながら食事ができる。

 だが客が案内した席に着かず不躾にも主の隣に座らせろと言うのだから失礼な話である。

 それでも言葉にしなければ何も伝わらないから、これでもかと眉を下げ、瞳を潤つかせ願い出た。

 するとステラは「えぇえぇ勿論ですとも、えぇえぇ!」と思ったよりも好意的だった。



「お近くにお座りになった方が宜しいですわ! ねっ、旦那様!」

「い、いや、別に私は……」

「旦那様ったら、恥ずかしがらなくたっても良いんですのよっ! ささっ、アオイ様、此方へ」



 アオイが席についたのを確認し、ナウザーは食事の合図。

 何十年振りかに他人と食事を共にする怜は少し居心地が悪い。

 しかしそんな事はお構い無しで、グレイハウンド達が作り上げる見た目も味も美しい料理が次々と運ばれる。

 顔を上げればスープを上品に舌ですくって戴いている大きなわんこ。

(あぁ……可愛いわぁ……なんて上品に食べるのかしら……)

 ぐふふと涎を垂らすアオイの視線に気が付いた彼は、「お前も食え。冷めてしまうぞ」と一言。



「あ、つい……。あと、私のことは遠慮なくアオイって呼んで?」



 距離を縮めてこようとするアオイに、何だか怜はくすぐったかった。

 以前はどうやって他人と話していたのかも、忘れかけていたのだ。

 もうすっかり、獣だった。



「ふん……気が、向いたらな」



 素っ気なく返事をしたが、直ぐに後悔した。

 これが最後のチャンスだと分かっていたから。

 だがアオイは、怜が思うよりも、ずうっと変わった少女だった。



「私も怜って呼んでも良い?」

「何を気軽に、しつれ」

「ねぇ怜」

「は? お前図々し、」

「何で怜はそんなに食べ方も美しいのかしら?」

「ふふん、それは幼き頃からしっかりと作法をだな、」

「所作に上品さが滲み出てるわっ!」

「まぁな勿論だ。美しい男は、美しい身のこなしを怠ってはいけない」

「表情も凛としていて、うっとりしちゃう」

「はっ! 勿論。男は常に堂々としてこそだ」

「はぁ……美しい犬……、暫くここで滞在しても良い?」

「ふんっ! 勿論だ。…………………なに?」



 静止する大きな犬。

 間髪入れずに、「皆さん聞かれましたか!? さぁ、急いでお部屋の準備を!」とコニーが指示する。



「えぇ勿論ですわ!」

「はい、全力で!」

「それはもう!」

淑女レディに必要なものはこの執事ナウザーが纏めましょう。皆さんは兎に角お部屋の準備を。久し振りですからね、報連相を怠らない事が重要です。さぁ今晩からアオイ様は私共の正式なお客様ですよ」

「「「はい!」」」



 ばびゅーんと飛び散っていくメイド達を、ぽかんと見送り、ぼそりと呟く。



「今更期待したところで……」

「ん? 何か言った?」

「いいや、何も」

「そう。……えっと、ありがとう、快く歓迎してくれて」

「別に良いさ」



 ふふ、とアオイは微笑み、彼の頬をさらりと撫でもふるのだった。

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