第56話:悪役令嬢と聖女9

 グランノーズ公爵家王都別邸に到着した私たちは、眠ったままのアリスを来賓用別館へと運びこむ。

 医術師の診察の結果、幸いにも、長時間拘束された事による擦過傷と内出血程度で、我が家専属癒し手の奇跡によって瞬く間に癒された。

 

 疲労は十分な食事と睡眠で回復したようで、翌朝には元気になっていた。

 湯浴みをさせ、折角だからと香油を塗りたくられ、私の服を着せられたアリスは、見違えるような美少女になり、とても下町の娘の雰囲気はない。

 胸のあたりがやや窮屈そうなのが、なんとも悔しい。

 前日は馬車で寝入ってしまい、そのままだったので、数日振りの再会となった両親は涙を流し、アリスを抱きしめていた。

 うん、愛されてるねえ。

 聖女や貴族よりも、下町での両親との生活を望んだ少女の気持ちも、分からなくもない。


 「本当に、なんとお礼を申し上げたら良いかっ……」

 「こちらにはこちらの思惑があってのこと、気にするな。同じ娘を持つ親として、案ずる気持ちは理解できる。無事で何よりだった」


 絨毯に頭を擦り付けるテリー夫妻に対して、鷹揚な態度のお父様。


 「では、これからの事を少し話そうか。ティアはしばらくアリスの相手をしておくように」

 「はい、お父様」


 お父様とミレーネ母様はテリー夫妻を連れて部屋を出ていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 『すっごいわね。さすが公爵家。うちとは大違いだわ』

 「人払いしてるからこっちの言葉でいいわ。いまさら日本語も面倒だし」

 

 目が覚めてからここのかた、きょろきょろと興味深そうに部屋の隅々を観察していたアリス。

 ときどき日本語で『すごい』とか『高そう』とか小声でぶつぶつ言っていた。

 自室に入った私は、メアリにお茶の用意をしてもらったのち、退室させた。

 平民とふたりきりになることを心配されたが。


 「私が平民如きに、どうこうされると思って?」


 と微笑むと、やれやれという感じで出て行ってくれた。

 それを聞いたアリスは、青い顔をしていた。

 つまり今この部屋には、私とアリスのふたりきりというわけだ。


 「我が家ほどは無理でも、貴族になれば相応に良い暮らしが出来るわよ」

 「それは嬉しいけど……今の両親と離れるのは嫌」

 「そんなに好きなの?あの人たちのこと」

 「当たり前じゃない。あんただってそうでしょう」

 「まあねえ。前世の親はろくでもなかったしね」

 「うちも似たようなものかな」


 アリスが、少し寂しそうに笑った。


 「ねえレイティア。聖女って貴族にならないと駄目なのかしら」

 「どうかしらね。詳しいことは私も知らないけれど、平民出身の聖女候補は貴族の養子になるのは慣習みたいなものだと聞いたわ。癒し手も聖女候補も所有する貴族のステイタスみたいなものだし」

 「嫌な世界ね」

 「癒し手なり聖女候補なりを、社会的に保護するための仕組みだからね。平民のまま家族ごと保護する奇特な貴族でもいてくれればいいけど」

 「アンタのとこじゃ無理なの?公爵閣下随分優しそうだったけど。イケメンだし」


 アリスが頬を赤らめた。


 「ちょっと、人んちのお父様に惚れないでくれる。我が家としてはアリスたちを保護するわけにはいかないのよ」

 「なんでよ」


 私の返答にアリスは不満顔。

 私は大きなため息を吐いた。


 「私もね、失敗してるの。私の学院での二つ名、なにか分かる? 測定不能よ」

 「測定不能?なにそれ」

 「初等部入学早々、魔法能力の測定があるのよ。そこで魔法能力が高すぎて測定が出来なかった」

 「うそ……だってえたぱのレイティアは」

 「公爵令嬢として、貴族の中では高い魔法能力を持っているが、第二第三王子殿下にはとても及ばない。だったかしらね。だからこれは、転生者特典みたいなものだと思ってる。貴女はいつから聖女の力使えたの?アリス」

 「物心ついて、自分がえたぱのアリスだと知ったとき……いや逆だ。聖女の力が使えたから、あたしは自分がえたぱのアリスだと気付いた」

 「私の場合、もうひとつ理由があるけど。まあ今はいいわ。そんなわけで、公爵家長女は王立学院創立以来初の魔法能力測定不能というありがたくない二つ名持ち。そこに聖女様が加わったら、他の貴族はどう思うかしら?」

 「たぶん嫉妬するわね」

 

 アリスが、なるほどと頷いた。


 「でしょう。だから、父様の従兄にお願いして、アリスを隠し子ということにしようとしてくれていたわ」

 「隠し子って……」

 「まあ待ちなさいよ。それはあくまで貴女の誘拐事件がもつれた場合の切り札。幸いあっという間に解決したでしょう、主に私のおかげで」

 「それは、そうね。言ってなかったけど、ありがとう助けてくれて」

 

 アリスがしょんぼりと語気を弱めるのを見て、私は満足げに頷いた。


 「いいのよ。こっちも打算あってのこと。でなければお父様だって動いてはくれなかったわ。助けてくれたら、両親共々、悪いようにはならないと約束するわ」

 「で、あたしはなにをさせられるのかしら」

 「それはね——」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 お母様の眠る豪華なベッドの脇に立つ、青髪の美少女と私。そして、それをやや離れて囲み、心配そうに見守る大人たち。

 あれから一度も目覚めないお母様は、黒い痣がすでに頬まで達しており痛々しいが、寝息は安らかなのはせめてもの救いだ。


 「魔獣瘡だ。過去に一度、聖女様の奇跡に頼ったが、今は君だけが頼りだ、アリス」

 「はい……」

 「大丈夫?アリス」

 『任せて、覚えてるから』


 私がアリスに声を掛けると、アリスは私にだけ聞こえるぐらいの小声で答えた。

 アリスは一度大きく頷くと、大きなベッドに乗り上げ、手を伸ばしお母様の頬に触れた。


 「魔獣瘡を怖がらないのですわね……」


 ミレーネ母様が呟いた。

 魔獣瘡が感染力をもたない病気であるとは、それなりに広く知れ渡っているものの、見た目の悪さから忌避する者は多い。

 ましてや、アリスは子供。

 なんの躊躇もなく、黒く染まった肌に触れるとは、ここにいる誰もが思わなかっただろう。


 アリスが目を閉じると、お母様の頬に触れた手がふんわりと光りだした。

 それは徐々に広がり、やがてお母様の全身を包むように広がっていった。


 「これは……確かにあの時見た聖女様の……」


 お父様が声を漏らした。

 辺境前線で目にした聖女の奇跡を思い出しているようだ。

 お父様のみならず、奇跡の光を目の当たりにした皆の目には、涙すら浮かんでいる。

 お母様の頬の黒い痣はしだいに薄くなり、首元へと後退。

 ついには、見える範囲には黒い痣が無くなってしまった。

 反対に、アリスの腕は袖を通り胸元まで黒く染まっていく。

 

 「アリスっ」


 たまらず、エリーゼさんが声を上げた。


 「お母さん大丈夫。もうちょっとだから」

 「けどっ」

 

 エリーゼさんがアリスに駆け寄ろうとしたのを、テリーさんが抱きとめた。

 お母様を包む光は、さらに強くなっていく。

 そして光は目の眩むほどになり、次の瞬間細かい光の粒となって部屋の中に舞っていった。

 やがてその光の粒が消えると、アリスはお母様の頬から手を離す。


 「これでたぶん、大丈夫です。痣はすべて消えいていると思うので、確認してください」

 「わ、わかった。しかしアリス、君が」

 「なんの問題もありません」


 お父様の心配そうな声に、顔半分まで黒い痣で埋まったアリスは微笑み、その直後に倒れこんだが、アリスの両親が抱き上げたときには、黒い痣は既に消え、静かな寝息を立てていた。

 お母様は眠ったままではあったが、体中くまなく確認すると、黒い痣はどこにも見当たらなくなっていた。

 その日の晩、お腹が空いたと欠伸をしながら現れたお母様に、お父様が手に持ったグラスを放り投げて駆け寄り、抱きしめていた。

 アリスは丸二日眠ったのち目覚め、やはりなにごともなかったかのように空腹を訴えた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「アリスのことは、ひとまず皆、他言無用で。陛下と相談の上、最終的には閣議にかけることになるだろう」


 お父様はあの場にいた者すべてに、きつく言い渡した。

 当代聖女様が現役の間に、聖女様と同等の力を持つと思われる者が存在するということが政治的にどれだけ危ういか。

 例え試練に認められていなくとも、その価値は計り知れない。

 最上位の癒しの力、聖体創造、そして——。


 「ねえアリス。貴女、聖女の最終兵器、聖女爆弾使えそう?」

 「出来るんじゃないかしらね。もちろんやったことはないけれど」


 聖女爆弾とは正しくは聖光降臨せいこうこうりん

 邪悪なる存在全て消し去る、ゲーム中一度しかできない必殺技だ。

 これは王宮禁書庫に保管されている、古めかしい歴史書にのみ記されており、少なくともこのこの国が開国以来使われたという記録はないはずだ。

 聖女本人が望めば、国ひとつ程度は滅ぼせる威力というから恐ろしい。


 「駄目よ使っちゃ」

 「両親を助けるためなら躊躇わないわ」


 今、私とアリスは私の部屋にいた。

 アリスの両親は、今後の処遇について、お父様と話し合っている。

 両親と離れたくないという、アリスの願いを最大限に考慮して落としどころを決めてくれるそうだ。


 「ああ、そういえばアリス」

 「なに?レイティア」

 「前世のこと聞いてなかったわよね」

 「親のことぐらいだったわね。忘れてたわ」

 「私は岩清水小枝いわしみずこえだ。OLだったわ」

 「年上だったのね。あたしは向島茜むこうじまあかね。高2」

 

 私が差し出した手を握り返したアリスの姿をした向島茜。


 「JKかー。私が言うのもなんだけど、早すぎない?死ぬの」

 「早すぎって……岩清水さんだって似たようなものでしょ」

 「いやあ、私はさあ……」


 私はアリスにそっと耳打ちした。


 「うわ、大先輩じゃないですか。失礼言ってごめんなさい」

 「あ、傷付くなー。今はタメなんだから敬語はなしなし。ところでさ、聞いていい?なんで死んだの」

 「それがさぁ」


 アリスは肩をすくめて大きなため息を吐いた。


 「イベント用の同人誌、頑張り過ぎちゃって寝不足でさ。足滑らせて転落死。笑えないよねー」

 「それは……」


 笑えないわね。

 私の死因に負けないくらい


 「そうそう、そういえば落ちた時さ、真下に誰かいたみたいなのよ」

 「え」

 「手すりに 掴まってたから、その間にほとんどのひとは逃げててくれたみたいだけどね。いやあ、運のないひともいるものね。今度会ったら土下座してお詫びしたいぐらいよ」

 「……へえ。ところで、それってどこ?」

 「〇〇駅前の……ってだけじゃ分かんないわね。△△市よ」

 「それって……随分暑い日だったんじゃないかしら」

 「そうそう、5月だったしね……って、あれ?」


 アリスは首を傾げた。

 私は頭がすうっと冷えていくのが分かった。


 「よかったわねえアリスさん、土下座できる相手が目の前にいるわよ」

 「なにを言ってるのレイティアさん…………あのぅ、もしかして?」


 その後、アリスは渾身の土下座を披露してくれた。

 まさか私の死亡原因が、よりによってアリスの姿で目の前に現れるとは、夢にも思わなかったわ。


 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 おそらく別室で喧々諤々けんけんがくがくな大人たちをよそに、呑気に茶などをしばく転生者ふたり。

 この世界で殺される運命を回避するために頑張ってきたが、よもや前世で殺されていたとはなんと因果な話。

 もっとも私を殺した張本人も死んでいるのでは、怒るに怒れない。

 目の前の青髪美少女は、先ほどから謝りっぱなしだ。


 「……ほんと、ごめんて」

 「もういいわよ、もう気にしてないし。それに、今もそれなりに楽しいしね」


 私は苦笑いを浮かべ、窓の外に視線を移す。

 この窓から見える、一年中花の咲き誇る庭園が私のお気に入り。

 屋敷の壁の向こうに広がる、家庭菜園と呼ぶにはやや大げさな田園とその先の王都外壁も随分と見慣れた。

 畑いじりの好きな奇人公爵と陰口を叩かれても、どこ吹く風のお父様。

 北の鬼神と呼ばれて恐れられても、なお気高いお母様。

 ちょっと厳しいけれど、実に貴族らしいミレーネ母様。

 可愛らしい弟妹のケヴィンとエリザベス、そして駄狼ブラウ。

 実は優しかったおじい様とおばあ様。

 ルドルフさんやアマンダをはじめとした、本邸別邸の家人たち。

 優しい婚約者も出来たし、たぶん友人と呼んで問題ない相手も出来た。

 順風満帆とは言わないけれど、まあそれなり。


 「悪役令嬢な人生も悪くないって?」

 「……いや、それ貴女にだけは言われたくないのだけれども」

 「まじごめんなさい」

 

 悪役令嬢始めて約7年。

 こんな人生も悪くなかったと、いつか思える日も来るのだろうかしら。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 これにて第一章閉幕となります。

 書き溜め分が尽きてしまったので、再開には少々お時間をいただきたく。

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悪役令嬢な人生も悪くない じょん @cap_ori

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