第55話:悪役令嬢と聖女8

 「大丈夫?アリス」

 『あっ……「えっと」いやちがっ……「だから」あたしっ』


 あー、バグってるバグってる。

 気持ち分かるわ。

 自分の目の前で明らかに混乱している少女を見てしまうと、むしろ頭の芯が冷えてきて冷静になれにようだ。

 

 「どうやら錯乱しているようですね。よほど酷い目に遭ったのでしょう。アリスの面倒は私が見ますので、マルチナさん達は、倒れてるごろつきたちの後始末をしていただいてよろしいかしら?」

 「始末しちゃってもいいっすか」

 「言葉の綾ですよ。本当に始末してしまったら後味が悪いので、縛り上げるくらいにしておいてくださいな。ついでに私兵の皆にも、声を掛けておいてください」


 私の言葉に、マルチナさんとアンゲリカさんは頷いて、その場を離れていった。

 私はアリスの方へ向き直り、腰を落とした。


 『さあ、私たち以外にはいなくなりました。安心なさいアリス』

 『えっ……レイティアが、ニホンゴを、あれ?……なんで』

 『懐かしいわね。7年ぶり……くらいかしら?日本語で話すのは。何者かは知らないけれど、アリスの姿をしている貴女、落ち着きなさい。震えているわよ』


 私はそう言いながらアリスの頭に手を伸ばし、青く美しい髪を撫でた。

 アリスは触れられた瞬間びくりと振るえたものの、私の手を振り払うことはしなかった。


 『アンタは……レイティア?なの』


 アリスの声に落ち着きが戻ってきた。

 私は微笑む。


 『ええ。正真正銘、グランノーズ公爵家令嬢レイティア。もしかして悪役令嬢って言った方がよいかしらね。アルセリーナ・ブルックワンドさん』

 『……その名で呼ばないでよ、レイティア。あたしはまだ、アルセリーナでもブルックワンドでもないただのアリスよ。今までも、これからも』

 『ふーん。やっぱりなにか貴女にも思うところがあったのね。道理でおかしいと思った』


 えたぱでのアリスは、14歳のとき聖女候補として選ばれ、ブルックワンズ家に養子に入り、翌年王立学院高等部に入学。

 聖女候補として選ばれるきっかけは、事故によって大けがをした幼馴染を、癒し手の奇跡によって治療したことだ。

 間違っても、聖体創造美味しいパンではなかったはずだ。

 今回の誘拐事件がなかったとしても、遅かれ早かれレシピを巡ってのトラブルによって、アリスの存在は誰かに知られていただろう。

 たまたま前世の記憶によって、次代聖女の存在を知っている私が、いち早くそこに辿り着いただけの話なのだ。


 『アンタに……レイティア会わないように……聖女候補になんて選ばれないように頑張ってきたのに……なんでっ……なのよ』

 『ん?聖女候補になって学院に来たら逆ハーレムでうっはうはなのに?』


 私の言葉にアリスは俯き、絞り出すような声で言った。

 私はそれに構わず、さらに質問を続けた。

 

 『だって、聖女候補になんてなったらっ……貴族の養子になんてなったらっ……お父さんたちと別れなきゃいけないじゃないのっ!!』


 アリスは可愛らしい顔を歪めて、私を睨みつけた。

 なるほど、なんとなく言いたいことが理解できたわ。

 けれど。


 『だとしたら、ちょっと迂闊だったんじゃない?貴女のとこのパン、あれ……聖体でしょ』

 『そうだけどっ、なんでよ。効果が出ないよう、ばれないよう、しっかり調整したのに。ただの美味しいパンだったでしょ』

 『そうね、平民やマルチナさん辺りにはそうだったかもしれないわ。ああ、知らないかもしれないけど、マルチナさんも一応貴族よ。けどね、お父様たちにとっては、そうね……一言で言えば天にも昇るような味、だったみたいよ』

 『嘘っ……』


 私が肩をすくめて答えると、アリスは驚きに目を見張る。

 相手によって感じる味が違うのだとしたら。

 それも上級貴族に効果てきめんだったとは、さすがのアリスも気付きようがない。

 逆にトラヴィスとマルチナさんの感想を加味すると、もしかして本人の血統とか魔法能力がパンの効果に関係しているのかもしれない。


 『例えば、あのレストランに卸したのは、間違いなく貴女たちのミスね。あそこは中心部のはずれだけど王族も来る隠れ家的なお店。貴族の口に入った時点で、遅かれ早かれ誰かが貴女に辿り着いたでしょう。経緯は分からないけれど、今回の貴女の誘拐だって同じこと』

 『あっ!!』

 『な、なによ。大きな声上げて。日本語で喋ってるんだから変人と思われるでしょうに』

 『そうじゃないっ。この誘拐って……アンタが仕組んだんじゃないの!!』

 『……なわけないでしょう。はっ倒すわよ』

 『だって、貴族が絡んでるって、あの連中が。あたしに恨み持ってる貴族ってアンタぐらいしか思いつかないし』

 『さすがに出会ってもいない、婚約者を寝取られもしてない貴女に、恨み持つわけないでしょう公爵令嬢が』

 『あー……それもそうね』


 誘拐されたことでいろいろ混乱していたらしい。


 『ならよかった。ところで大事な話』

 『なによ』

 

 私が真顔になると、アリスが一歩後ずさる。


 『アリス、貴女……聖女の力は使える?』

 『聖女にはなりたくないわ』

 『それは諦めなさい。協力はできるかもだけれど』

 『う……』


 アリスが言葉に詰まって俯き、しばしのちに顔を上げた。


 『……使えるわ、たぶん』

 『だったら……お願いが——』


 「ティア!!!!大丈夫か!!」


 本題を言いかけたところで、聞きなれた、大好きな声が倉庫に響き渡った。

 私はそちらに視線を向け、溜息を吐いた。


 『はぁ。タイミングが良いのか悪いのか。お父様が来たようね』

 『アンタのお父様って、まさか』

 『ええ、そのまさか。クランノーズ公爵閣下ご本人よ。それくらい大事おおごとなの、貴女の誘拐は。アリス、立ち上がれるかしら?それと——』


 私はアリスの腕を取って無理矢理立ち上がらせ、耳元で囁く。


 『——生き延びたかったら……今しばらく演じ切りなさい、アリスを。分かった?』


 私の言葉に、アリスは目を泳がせたあと、頷いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「ティア、その子が?」

 「ええ、アリスです。先ほどまで錯乱していましたが、ようやく落ち着いてくれたようです」

 「誘拐されたとあっては仕方あるまい。医術師に診てもらうために我が家へ連れて行こう。ああ、安心したまえ、君の両親も既に保護済みだ。アリス、口はきけるかね?」

 「アリス」

 

 私はアリスに声を掛けながら、肘で小突いた。

 

 「は、はいぃっ」

 「はは、貴族相手では無理もない。歩くのが無理なら抱えていってもよいが」

 「だだだ大丈夫でひゅっ」


 アリスが噛みつつお父様に返事をしている。

 呂律が回っていないようにも見えるが……。


 お父様に連れられて、私とアリスは倉庫の外に出た。

 入れ替わるように私兵がどやどやと倉庫に突入したが、中のごろつきはマルチナさんとアンゲリカさんが捕縛してくれているので、運び出すだけで済むだろう。

 入り口で眠らせたふたりも、巻き付いた荊は解かれ、縄で縛られている。

 ふとアリスの方を見ると、お父様を見上げて、顔を赤らめぽわんとしていた。

 アリスって、こういうのが趣味だっけ?

 確かにえたぱでもカール先生を口説いていたから、年上好きもあるんだろうけど。

 お父様を攻略されるとかは正直勘弁してもらいたい。 


 私兵の皆さんはボビー一味の残党を捜索して、捕縛するために現場に居残り。

 マルチナさんたちはお父様が帰りの馬車を用意するとの提案を丁重に断り、我が家の私兵と共に残党狩りに協力してくれるそうだ。


 「食べ放題楽しみっすねー」


 そう言い残して駆けていった。


 パン屋へ時間と場所を伝えに来たメッセンジャーは、貧民街の子供だったらしく、既捕縛したものの、依頼者との関係はなさそうとのこと。

 どちらにしても既にアリス本人は保護、そして誘拐の実行犯は確保。

 貴族が絡んでいるというアリスの台詞が気になるが、誘拐犯のボビーたちの口を割れば、おそらく事件は解決となるだろう。

 馬車の中でそんな話をお父様と話しながら、アリスの方を見ると、いつの間にかアリスは馬車の揺れに合わせてしずかな寝息を立てていた。

 その幼い寝顔は、いつか画面の中に見た青髪の美少女になることを、十分に予想させた。

 だが、その中身は私と同じくえたぱを知っている者。

 つまりは、この世界と別のところから来たということ。


 「——それにしても、こんな無謀なことはしてほしくないものだね。結果として間に合ったわけではあるが」

 「重ね重ね、申し訳ございません」

 「しおらしく謝っても、次もきっとそうしてしまうのだろうね、ティアは」

 「なるべく、心配はおかけしたくはないのですが……」

 「そんなところまで、ロザリアに似てくれなくても良かったのだがね。君を見ていると、昔のロザリアを思い出すよ。あの頃は本当に胃が痛かった」

 「せめて私が無茶した分、お母様には良くなっていただいきたいですわ」

 「ああ、その為のアリスこの娘だ。ティアと同い年の下町の娘が、頼みの綱というのも、我ながら情けない話ではあるがね」

 

 寂しそうに笑うお父様に、私は苦笑いを浮かべながら頷くことしかできなかった。

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