第3話 憂鬱に微笑む夕日

「ぶはあっ」

執政室から出た瞬間、盛大に息を吐いた。

「お前の首を初日で飛ばせなかったのが残念だ」

 シズカは冷徹だ。

「というか、最後ユリウス様も微妙に笑っていたような…」

 シズカは目に殺気を込め、

「それはない、ユリウス様は! 困ってる人を勇気づけるために! あれは激励の意味だ!」

「『傑作ですね』と言っていたような…」

「馬鹿め! 執政官のユリウス様だぞ! 傑作というのは、サーカス団の芸のことだ!」

 シズカは執政官を崇拝しているようだ。


「さて、ここが噂のキャンディズさんの生活する、聖アントワニ学園か」

 ワニが聖王の王冠を被っている文様の旗が立つ、私立の名門校だ。

 お嬢様学校のようで、着ている制服も高そうだ。


「待ってください、キャンディズさん!」

 瞳を滲ませた、幼顔の少女が走ってくる。

 キャンディズ、つまりホフマンと「不倫デート」の疑惑のある少女は、

「なんです? メンレイ」

と振り向いた、青白い顔の美少女だ。


「私のことはもう、忘れてしまったの? あんなに楽しく、お散歩したり、サーカスを見に行ったり」

「とんでもない。メンレイは大切な友達よ」

「友達? ただの友達なんでしょうか?」

 キャンディズは、美しく微笑して、

「あなたの恋文は嬉しかった。けれど、私はそこで運命の人と出会ったのです!」

「まさか、キャンディズさん!?」

「でっぷりとしたお腹、かわいらしい顔、そして最後に、喉と尻にいくつの棒が入るかという、この大陸の未来を占うようなアヴァンギャルドな芸!」

「ち、違いますわよ! あのデブのピエロはそこまでの考えは!」

「ホフマンさんこそ、私の未来の旦那様なのです!」

「キャンディさんは、国内で将来を嘱望される画家なんですよ!?」

 メンレイは涙をこぼしている。

 シズカは「キャンディズ・キャンディか、そういえば画集の『期待の新人』コーナーによく出てくるな」と言う。

「気持ちは嬉しかったけど、私だけがホフマンさんの、現代アートの理解者なのよ!」

「キャンディズさんは、悪夢を見てるのよ! きっと目を覚まさせます!」

 メンレイはだっと駆けだしていった。


「ウーム、キャンディズさんは、本気であのホフマンさんへの恋心を? うん?」

 シズカは横で体を震わせているゲーラーに気づいた。

「グハッハッハ! あんな美少女が! なんかの誤解で、あんなピエロのおっさんに、グハハ! っは?」

 

 シズカは体を半回転させながら、剣をゲーラーの喉を突き刺すように一直線に伸ばした。

(死!?)

 巨大グリフォンの爪を思い出させるような、雄大で素早い突き!

 ギン

 なんとか槍のガードが間に合った。

「おい、ここは執政室の外だぞ?」

「乙女心を笑うからだ」

 シズカは剣を鞘に直した。

(今のは九分の力で突いたのに、またしても余裕で)

 

 一方のゲーラーは、

(人間の剣士でここまで速いのは初めてだ。大陸最速の名は伊達じゃないな)

 シズカはキャンディズに近づいていき、

「少し、お話をしませんか?」

 と笑顔で声をかけた。

 さっき、ゲーラーの首を突こうとしたのとは違い、見るからにいい人に見える笑顔だ。

「はい?」

 キャンディズは少しおびえているようだ。

 無理もない。シズカもゲーラーも武器を帯びているし、戦いに慣れた肉体だ。

「私たちは、ホフマンさんの友達です。素晴らしいサーカス団ですよね」

 キャンディズはぱっと顔を明るくした。

「お二人とも、ホフマンさんの芸術心が分かるんですね!?」

「芸術?」

 ゲーラーは尻にモップが突き刺さっているホフマンを思い出した。


「ホフマンさんの口に棒を三本も入れて一気に吐き出し、同時に尻からモップを吐き出す、前衛アートを見た瞬間、私は感動に打ちひしがれた!」

「前衛アート? 感動?」

 というか、あの尻モップは普段からの芸だったのか。


「この中原大陸が三つの”火炎の書の国”と”意思と石の塔”と、そしてこの”灰と雪の国”に割れてしまっていることへのアンチテーゼ! ホフマンさんこそが、この”三つの冷戦”に終止符を打つ勇者だと思って、デートに誘ってしまい」

 ぽ、と頬を染めるキャンディズ。

「じゃあ、下心とか、略奪愛をしてやろうとかいう気持ちは?」

シズカが聞くと、

「それもあります。ホフマンさんはカワイイんですもの」

と、きっぱり言うのであった。

「うーん、君は壮絶に勘違いをしているよ、というか、略奪とか不倫とかそんなのダメに決まってるじゃないか」

「私は、ホフマンさんの現代アートをさらに昇華させることができます!」

 思い込みが激しい娘だ。

「よし、じゃあキャンディズさん、執政室まで来てもらおう。不倫は許されることじゃないが、勘違いをしているようだからな」


「ふんごオ。おいらのケツがもう我慢の限界だよお!」

 ホフマンは叫ぶ。

「もう少し、私の信頼する槍と剣が調査を終えるまで待ってもらいましょう」

 ユリウスは涼しい顔だ。

 ホフマンの妻、メリンも、少し夫を気遣う様子もある。

「あんた、ただでさえいつもこの芸で、ケツを痛めてるんだから、今回の件が懲りれば少し休むといいよ」

と声をかけてやる。

「ふんごお。メリンはやっぱり優しいゴオオ」

「あんたが、あんな子供と不倫するなんてね!」

「誤解だああ」

「見え透いたウソを! あんな可愛い子があんたみたいなピエロ」

 執政室のドアが開けられた。


「お待ちください、メリンさん、このキャンディズさんの話を聞いてください」

 シズカは膝をついて言った。

「あっ、ホフマンさん? どうしてここで、”天元破”の芸をされているんです!?」

 ホフマンとメリンは、

「て、天元波?」

と同時に言った。

「そ、そんなもんウチの旦那はやってないよ? これは『モップ芸』だよ」

「そうだよおお。キャンディズちゃん、一回デートした時から、なんか勘違いしてるんごオ!」

 しかし、キャンディズは、

「いいえ! ホフマンさんは、天才的な現代アートの才能に気づいていないだけ。やはり、私の方がよりパートナーにふさわしいようですね」

「なんですってええ、この小娘!」

 ぱああん、と音の壁を超える速度で鞭を振るうメリン。


「みなさんには、このアーティスト、ホフマンさんの芸術魂が分からないんですか?」

 キャンディズも引かない。

「あんな太い棒を三本も丸のみにして、一気に吐き出す、あれはまさに、この大陸を憂う」

「あ、あれはおいらピエロっつっても一輪車も乗れないから、なんとなく小さい頃からやってただけだ」

「で、では尻にいつもモップを挟んで、これこそ今の芸術界の腐敗を『尻』という一番大切でデリケートな部分で塞ぐという」

 メリンは、

「あれは、あたしが考えたんだよ。棒だけじゃなんだから、尻にもなんか挟めばいいと」

 キャンディズは冷や汗を浮かべながら、

「し、しかし、ホフマンサーカスのみなさんは、いつも最後に、お客さんも混ぜて大型のピラミッドを作って、全部崩壊させて終わる。あれこそ、『崩壊と構築』の芸術」

「ああ、ガキンチョの訓練生はあれくらいしかできないからさ。そんでお客さんも混ぜたらいつも喜ぶもんだから」

とメリン。

わなわなと震えるキャンディズ。

「キャンディズちゃんは、凄い立派な絵を書いてるンだあ。けど、おいらたちゃただのサーカス団、そんな難しいことは考えたこともねえ」

 ホフマンはそう言った。

「さあ、ユリウス様。これで、疑いは晴れたでよ。このモップを」

 

 キャンディズの瞳から雫が落ちた。

「わ、私は…」

 ゲーラーは、

「君ら芸術家は難しいことを考えすぎじゃないか。ウチの妹のミルカンもよく、彫刻を掘っているけど、どういう意味なんだ? と聞いたら、『ただ、楽しいから』と、それだけだよ」

 ゲーラーは妹の作る、ゴブリンの彫刻を思い出す。醜悪なゴブリンばっかり掘ってるが、ユーモラスな衣装で売れているようだ。


 ゲーラーは、ぽんとキャンディズの背中を叩いた。

 21歳まで、槍の修行のみ。

 当然、童貞。

 少し下心を、いやかなりの下心と一緒に、

「芸術じゃなく、少しは運動とかをしてみたら…」

「そんなこと、実は最初から知ってました!」

 とゲーラーの手を払いのける。

「へ?」

「ホフマンさんが、ただのエンタメ嗜好だってことくらい。このぷよぷよのお腹が好きだったの! しゅき、しゅきいいいい! ただ、それだけだったんです! うわーん!」

 号泣しだした。

「なんで、こんなピエロがモテるんだろうねえ。まあ、私も人のことは言えないけど。さて、いい加減でモップを取ってやろうかな」


 シズカはからかうように、

「お前より、ホフマンさんに夢中のようだな」

と言ってきた。

くう、本当に腹の立つ女だ!


「け、けどおいら昨晩からずっと、これが刺さったままで、今抜いたら、とんでもねえことに!」

 ホフマンの叫びに、ゲーラー達も身構えた。

 しかし、光を放つユリウスが、立ち上がった。

「問題はない。私を信じて、少しお腹に力を込めてください。これで、ホフマンさんの潔白は証明されました。さあ、光の神ゴドレアよ。全てを清らかに!」

 と、モップの柄を持ち、

 スポン。

 と軽快な音と共に抜き去った。

 ユリシアが持つのは新品同然の綺麗なモップ。

 そして、ホフマンはさっきまで毛だらけだったはずの尻が、脱毛されている。

「おおうっ。はあ、おいら、死ぬかと思っただああ」

「あんた、大丈夫かい!? けど、モップまでなんか新品になって?」

 ユリウスは、

「私の体は伊達で光っている訳ではありません」と言った。

 彼女は全てを、この一言で通すつもりのようだ。

 

「これで、一件落着か」

 ゲーラーは、就任初日で死なずに済んだ僥倖を感謝していた。

「うええん! 初めて、男の人を好きになったのにい!」

 キャンディズは泣いているようだ。

 ユリウスは、

「そもそも不倫は許されませんよ。子供なので見逃しますが…」

と、言った後で、ニイと口角を上げ、

「というか、んふ、そもそもあんなピエロの何がそんなに良かったの?

これは、今年の中でも最高傑作ですわ!」

 目を輝かせている。


「おい、シズカ。ユリウス様が笑っているじゃないか! んふ、って笑ったぞ!」

 シズカは、

「そんなはずはない! あれは、キャンディズを慰めるための、慰労の言葉だ! 馬鹿者!」

「ユリウス様だけ笑い放題で、俺だけ斬られるのか!」

「あんなに噴き出すお前が悪いのだ! 痴れ者め!」

「んふ、ゲーラーもシズカも仲良しになって良かったこと。私は、貴方達が少し仲違いをしているようで、あえて捜査を二人に任せたのですが、作戦はばっちりでしたね?」


「「どこがですか!?」」

 灰色の槍と剣は同時に答えた。


「ほら、シズカ。『んふ』って、ユリシア様も笑ってる!」

「じゃあ、ユリウス様を斬れと? というか、物理攻撃は全部無効なんだ! 天才なんだ!」

「じゃあ、俺も見逃せよ! 仕事の同僚だろ?」

「それとこれとは別だ!」

「ズルイぞ。贔屓だ!」

「世の中はそういうもんだ!」


 ユリシアは、

「さて、ゲーラー、いや灰のアッシュドスピア 今後もコンビで頼みますよ」

 相変わらずのマイペースである。

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アッシュドスピアは笑えない スヒロン @yaheikun333

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