Web作家が長距離フェリーに乗ってネット断ちしつつ小説を書く話

辺野 夏子

第1話

「旅先で仕事をする」


 それは憧れの言葉。現代風に言えばワーケーション。しかしそれはテレワークよりもっと難易度の高いこと。


 私は小説を書いている。とは言っても端くれもいいところで、職業と名乗るほどでもない。


 だからどんどんと新作を書き、読者を獲得し、絶え間なく宣伝を続けてゆく必要がある。休憩している暇なんてない。


 ないはずなのに、なぜこんなにも投稿する作品が増えないのか?


 それは単純に、書くのが遅いからだ。


 絶対的に時間が足りないと言うことは、ない。専業作家とは比べ物にならないが、余暇のほとんどを創作活動に充てる事ができ、趣味や勉強の時間と考えれば十分すぎるほどにある。


 ならば、何故進まないのか。難解な超大作を書いている訳ではない。


 理由は簡単。集中力が低く、すぐにネットサーフィンをしてサボってしまうからだ。


 この無駄な時間を全て執筆に費やせば。一日に一万字書くことが出来たなら?


 毎日Webで更新しつつ、公募用の作品を書き。それから公募でもWebでも需要がなさそうな自分の趣味丸出しの作品を作って。


 そしてその後はインプットするために他の本や漫画を読んで……なんて妄想をしている内に時は過ぎ、今日も進捗が五百文字ほどで終わる。


 この二年ほどで、私を取り巻く状況は変わった。本格的に小説を書き始めたのがコロナ禍とほぼ同時。


 元々は旅行を趣味としていた私ではあるが、強制的に出かけられない状況が執筆に向かわせたのは言うまでもない。


 そして今。さすがにもう、遊びたい。


 でも小説も書きたい。書かねばならんと言う謎の焦りがある。しかし時間は有限だ。どちらかを選ばなければならない。


 そこで思いついたのが、最初の『ワーケーション』だ。一人で旅行に行き、小説を書きつつ観光すれば良いのである。


  行き先を選定する。 都内でホテルステイ。これは一定の効果があることは既に実証されているのだが、都内は決して安くはない。ビジネスホテルではなく、どうせなら立派な宿に泊まりたいものだ。


 熱海か、伊豆か。移動時間と交通費を考えるとやはり都内でいいのではないか。そう思った時、とある記事が目に入った。


 船。つまるところ、フェリー。


 なんと今年就航の長距離航路、その名も「東京九州フェリー」なるものがあるらしい。東京~九州間を二十一時間で結ぶ。船と言うのは動くホテルのようなもので、寝ながら移動することが可能だ。


 大浴場、露天風呂、サウナ、ジムエリア。プラネタリウムにシアター、海の見えるサロン。一泊二日の航海では十分すぎるほどの施設が揃っている。


 しかも最大のメリットは、海上。つまり電波が悪いこと。強制的にインターネット環境を遮断しつつ、スマホやPCなどの執筆道具は手元に残す事ができる。


 私にぴったりじゃないか、これ?


 スケジュールはこうだ。月曜は仕事。終業後にフェリーに乗り、火曜日の夜に北九州に到着する。一泊して午前中は観光し、東京に戻ってくる。


 フツウの旅行手段としては、車の運搬が関係なければちと有効活用が難しいタイムスケジュールであるし、なによりほぼ一日かけて移動と言うのは同行者を誘いづらい。


 しかし……私にはなんの問題もない。なぜならば一人だから。


 船旅は初めてではない。太平洋フェリーに始まり、伊豆諸島、小笠原諸島、地中海クルーズなどまあまあ船旅には親しんだ方だ。しかし、当時は小説のしょの字もない人生を送っていた。だからこの二年、思い至る事もなかった。


 脳内で点と点が結びつき、線になる。


 これは天啓だ。船旅をしながら執筆しよう。こうして、私はほとんど二年ぶりに東京二十三区から出る事を決めた。



 日曜を除く毎日運航、しかも二十三時四十五分発と言うのは私にとっては素晴らしい時間設定。仕事を終えてから移動できるため、早起きする必要がないのだ。


 職場の最寄り駅は東京駅。帰宅せずそのまま出発するため、スーツケースを転がしながら出社。


 しかし二連休を取って旅行に行くことをバレたくないがために、荷物はロッカーに預ける。今時のロッカーは空き状況をパネルで教えてくれる。なんて親切なんだ。


 二十時半、退勤。東京九州フェリーと言う名前だが実態は横須賀である。


 品川から京急電鉄の「イブニングウィング」に乗り換える。私は韻を踏んでいる言葉が大好きだ。なんて詩的な名前だ。しかも三百円プラスするだけで全席指定席という優れものだ。素晴らしい。


 移動中もスマホで執筆を行う。当時はコミカライズの単行本の発売を控えていたため、宣伝も兼ねての番外編を書いた。五十分ほどの乗車時間で八割ほど下書きを作成する事ができた。幸先がよい。


 横須賀中央駅に到着。フェリーターミナルまでは一キロ弱と徒歩圏内ではあるそうだが、外が暗く目印がないため、タクシーを使った方が安心だ。

 

 ターミナルの設備は売店、待合エリアで構成され、最低限と言った所……おっと、カウンターにコンセントがついている。なんて親切設計。(まあフェリーにコンセントがあるのだが)


 出港一時間ほど前に、いざ乗船。らせん階段のついたピカピカのロビーに売店。客席は四~六階で、一番安い部屋でも二段ベッド。カーペットで雑魚寝の部屋はない。


 私は今回、六千円をプラスして個室(ツーリストS)を選んだ。


 なんとここは鍵付き。ベッドはもちろんテレビ、そして最大の決め手は机があること。引きこもる準備は万端だ。


 いざ、出航!


 船旅最大の懸念材料は揺れ。(小笠原諸島へクルーズ旅行した時は船のアクティビティが全部中止になったほどで、まっすぐ歩くことさえ叶わなかった)


 船体は大きければ大きいほど安定する。このサイズからすると、天候さえ良ければ普通に活動できるはずだが……。


 部屋で荷物を広げていたその時、船内放送が始まる。


「お客様にご案内申し上げます。今回は時化のため、揺れが予想されます」


 はい、終わったー。


 天気予報を見ていない私が悪い……いや、そもそも選べる日程はこの日しか無かった。このトラブルは偶然ではなく必然だったのだ。


 しかし、海上でのこと。安全第一で大げさに言っている可能性がある。むしろそうであってほしいと願った。無情にも放送は続く。


「エチケット袋を受付でご用意しております……」


 あ、これ予防線とかじゃなくてガチのやつだ。


 ゆったりしている場合じゃない。大急ぎでPCを設置し、執筆を開始する。大浴場、売店、レストランを下見~とか言っている場合ではなかった。何しろ片道一万八千円がパァになるかどうかの瀬戸際なのだ。


 揺れると具合が悪くなる。執筆が出来ないとなると読書も無理だろう。しかもこれから船の上。インターネットが繋がらない。


 そうなると、ただただ大金を払って海上を漂っているだけの人間になってしまう。


 二十三時四十五分。旅路に胸をときめかせている暇もなく、船は出航した。微細なエンジンの揺れが伝わってくる。ここからが本当の戦いだ。


 二十三時五十三分。体が縦に揺れた。移動している以上振動があるのが当たり前なのだが、放送の事がいやに気にかかってしまう。


 二十四時三十九分。良い感じにイマジネーションが高まってくる。(大体の調子の良さは、それを自覚した瞬間に雲散霧消するものだが)

 しかし、地の底から湧き上がってくるようなビートに文字のブレが抑えられない。個室の中がズンズンズンズン、ライブハウスの様だ。


 どうやらここまで。


 売店が一時、大浴場が一時半までのため一旦休憩する。電波は既に圏外だ。揺れはまだ許容範囲。これ以上悪化しないことを祈るしかない。


 深夜の二時。今日の進捗は。三千字弱。


 明日、私は執筆が出来るのだろうか?



 翌朝。八時の放送で目が覚める。


「揺れのため大浴場を閉鎖しております……」


 希望的観測、潰える。就寝中に天候は改善されなかったようだ。今現在は和歌山の近くを運航中。


 しかしまだまだ望みは捨てない。あと十三時間もある。地理的に、このまま運航していけば夕方には波が穏やかになっていく可能性は高い。すでに若干具合が悪いため、朝食は取りやめて部屋でゆっくり過ごそうと考える。


 しかし壁の中からずーっと「カンカンカンカン」と音が響く。実は昨夜の時点で気にはなっていたのだが、廊下で他の部屋の様子を窺う限りは自分の所だけではなかったためにあきらめていた。


 この状況では落ち着いて休息を取ることができない。大浴場が閉鎖されているため、シャワーを浴びる。


 気分がいくらかさっぱりした後、売店で購入した『九州名物白くま』を食べる。窓から見える景色はどんよりとした雨模様。九州を出て横須賀に向かう姉妹船が近くを通り過ぎていくのをぼーっと眺める。


 デッキが封鎖され、昼食に予定していたバーベキューも中止になった。


 ……もしかしてこれは、関東より九州の方が天気が悪いと言うことなのか。


 私は計画倒れを確信した。書くとか書かないとかそういう段階じゃない。心身の健康を保つ方が大事とか、そう言った状況になってきている。


 もはここまで。辺野先生の次回作にご期待ください!


 ……と諦めるには、やっぱり片道一万八千円は惜しすぎた。


 読み書き出来ないならば思考するしかない。部屋に戻り、横になりながら今後の展開を考える。音がうるさい。耳栓を買おうかとも思ったが、六百五十円を支払うのは嫌だった。


 この時は奇跡的に、構想中の作品の展開を思いついた。なんとかメモとして書き残そうと四苦八苦しているうちに、いつのまにか揺れが多少収まっていた。


 昼食を取るために個室から出てみると……なんと、外には青空が広がっている!


 気分が上向きになり、レストランでまぐろしらす丼を食す。本調子でもないのにそんな事をしたため、当然のごとく具合が悪くなった。寝る。


 まさに「一歩進んで二歩戻る」ような状態だ。外の空気を吸うことが出来ないのが地味に痛い。


 このあたりで「やっぱ船はダメだよー。人間は地上を離れて生きられるように出来てないんだ」と考え始める。


 十五時ごろ放送が流れる。これから船が揺れなくなりますので、大浴場とデッキを開放しますと来た。


 ……この船はベストな運航状況を取り戻しつつあるのではないか!? と俄然元気が出てきたのだった。


 到着まであと六時間。


 ここでとうとう酔い止めドロップを購入。五百五十円。地味に高い。薬ではないのだがプラシーボなのかなんなのか、効果はあったように思える。


 船首部分のサロンは見晴らしが良く高級感のある雰囲気なのだが、なにしろ位置のせいで中央部より左右に大きく揺れるため、結局はロビーのあたりに人が集まることになる。


 カウンターやソファタイプの他に、いかにもここで集中して作業してくださいと言わんばかりの仕切り付きのデスクが用意されており、そこで腰を据えて執筆作業にとりかかった。


 様々なトラブルや環境の変化に惑わされ、効率がいいような悪いようなどちらとも言えない状況だが、ネット環境がない分時間の流れが緩やかに感じる。


 四十五分ほど執筆していると、プラネタリウム上映会の放送が流れた。プラネタリウム。確かに脳を休めるには十分かもしれないと、参加を決めた。無料であることだし。


 しかし上映途中で飽きて出てきてしまった。寝台よりはビーズクッションの方が寝心地は良いため、心身を休める効果は十分にあったと感じる。


 夕食時間は十八時から。


 午前中は大浴場が封鎖されていたために、一般的な考えでは十八時ぴったりに夕食をとり、その後はお風呂に入って、荷造りをして……だろう。


 食事前に大浴場へ向かう。狙い通り、入浴しているのは私一人だった。協調性がない性格もこういった時には役に立つ。


 念願の露天風呂。何しろ時速五十キロで運航しているため、風がビュンビュン吹き付けてくる。しかし柵の隙間から九州の陸地やほかの船を眺める事ができる。さながらモネの風景画と言った所だ。


 デッキから海を見て、執筆して、プラネタリウムで過ごして、執筆して、露天風呂に入って、執筆して、夕食を摂る。


 今はコロナ禍のため、スポーツエリアやサウナは封鎖されているが、来年あたりもっと時期のよい時(具体的にはあまり海が荒れないシーズン)なら、さらに船の旅を楽しめるだろう。


 新門司港に到着する頃には、あと三日ぐらいはここに居てもいいかもしれないと思い始めていた。次に乗船する時は細いハンガー、スリッパ、酔い止め、耳栓、アイマスクを持ち込むべきだ。



 旅も後半。元々は復路の門司→横須賀行きのフェリーでとんぼ返りする計画だった。そうすれば船に乗って帰ってくるだけの完全密室、カンヅメ状態が出来上がるからだ。


 しかし前述のように揺れてはかなわん。と、正直疲れた状態で横須賀から家に帰るのが面倒くさかった。


 と言うことで、九州→東京は新幹線で帰る予定だ。


 この時点で、今日の成果は新作が五千五百字と後半のおおまかなプロット、SSが五百、エッセイが千五百字ほど。


 旅行中に一万字は書けたことになる。(あくまで下書きでしかなく、私の場合はここから倍以上の時間がかかるのだが)


 しかしどんな作品でも後半より書き出しの方が早いのは当然であるし、大体いつも「自分の能力はこれぐらい」と気合いのあるなしに関わらず一ヶ月の作業量が常に一定になってしまう(頑張ってもあとで揺り戻しが来てサボる)癖があり、インターネット不通による集中力の高まり、アクティビティで気持ちの切り替えが出来るメリットと、揺れによる体力消費+硬いベッドによるデメリットは同等と言ったところだ。


 ワーケーションもなかなか難しい。移動を伴った一日二日ではダメなのかもしれない。


 フェリーターミナルから連絡バスで市街地へ。やはり、バスや車だとできる作業は何もなく、ただぼうっと『ものすごく久しぶりに大型トラックが沢山停められるコンビニを見たなあ』などと考えていた。


 大体の乗客は小倉まで向かうようだが、私は門司駅で降り、JRで門司港駅へ。


 翌日は門司港レトロを観光し、新幹線で小倉→新大阪(ここで途中下車して友人に会う)→東京のルートを取る予定だ。


 チェックインしたのは二十二時半ごろ。普段はこのくらいの時間から書き始めることが多いのだが、さすがに疲れている。


 ホテルまでの道のりで雨に降られてしまったため、お湯に浸かる。一日三回も入浴しているのはきれい好きだからではない。ただ「お湯に浸かっている」状態が好きなだけだ。



 翌朝。八時起床。さすがに疲労が完全には抜けていない。コンビニで栄養ドリンクを買えば良かったと後悔するが、栄養は食事から摂ればいいと思い直す。


 旅行していないのだから、朝食バイキングも久しぶりだ。


 スパークリングワインがサービスとして提供されていたため、下戸のくせに飲む。ちょっとアルコールを入れたら良い感じに筆が乗るのでは? と考えたのだが、別にそんな事はなかった。ご当地食材っぽい料理(博多うどん、筑前煮、焼きカレー、ミニトマト等)を重点的に食べる。


 十一時チェックアウトのため、執筆を五百文字ほど進める。あくまで旅のメインは執筆だ。(執筆と言うと大層な言葉だが、実質日記のようなものである)


 門司港レトロを散策し、寿司を食う。景観は素晴らしかったが、気持ちが既に「新幹線で執筆する」方向に向いていたため、早めに新大阪へ向かうことにする。


 駅の待合室で十分ほど作業。東京駅でもホームで膝の上にPCを乗せてなにやら作業している人を見かけるのだが、効率を考えるとどうにも疑問だった。


 しかし、私はその意見を撤回することにした。これは……なんと言うか「頑張ってる感」が出てすごくいいな……と感じたのだ。


 安定性に欠けるため、この体勢で可能な事と言えばメールかせいぜい資料を確認するぐらいなのだが、隙間時間にスマホではなくPCを取り出すだけで「今アタイは時間を有効活用しているんだ」的な空気を醸し出す事ができる。


 新大阪で途中下車するために乗車券は小倉~東京、特急券は小倉~新大阪と分けて購入する。イチから買い直すよりこちらの方がお得だ。


 今回、私は初めてグリーン車に乗る。グリーン車。素敵な響きだ。


 さすがに平日の昼間、小倉発のぞみは空いていた。グリーン車はさらにガラガラだ。一列に対し四席と余裕のある配置。座席がふかふかだ。コンセント、読書灯もついている。


 足元のスペースが広く、噂通り可動式のフットレストがある。……しかし、足が短……身長が低いため、空間を持て余す。大は小を兼ねると言うが、バスでも電車でも飛行機でも、背が高い人は私よりよっぽど窮屈な思いをして過ごしているのかもしれない。


 テーブルは15インチのPCがぴったりとはまるサイズ。しかし若干テーブルが遠い……と見せかけて、なんとスライド式。手元のちょうどいい位置まで移動させることができる。


 女性が近づいてくる。チケットを見るのかと思いきや、おしぼりをくれた。


 えっ、なんで? 船でエチケット袋を配布するのとは訳が違うでしょ。すごいな、グリーン車はおしぼりをくれる。ちなみにコロナ対策は関係ないらしい。


 さーて、ここからバリバリ書くぞ……。気分は出張中のキャリアウーマンか、締切に追われる売れっ子か。


 すばらしきグリーン車。ふかふかの座席。静かな空間。高揚する気分。


 ……しかし。


 新幹線、結構揺れるのである!!


 フェリーはゆったりした横揺れだが、新幹線は縦に揺れている。震度2ぐらいあると言っても大袈裟ではない。


 これはこの旅一番の誤算と言ってよかった。


 だって皆、アマチュアもプロもみんな新幹線で原稿しているじゃないか。だからよほど集中できる環境に違いないと思っていたが、実体はそうでもなかったようだ。


 カタカタカタカタ。忙しなくゆれる『のぞみ』。


 これは私の三半規管が弱いのか。エリートサラリーマンはこの状況でも平気で企画書作成などできるのだろうか。細かい揺れによりタイプミスが増え、強制的にセンテンスが短くなる。


 今更インターネットで「山陽新幹線は揺れる」との情報を入手する。私は東北新幹線と東海道新幹線しか乗ったことがなく、完全に盲点だった。


 ちょっと、もー。新幹線に三万円かかるんだぞ、と後悔しても今更である。


 ケチって体力のある午後はグリーン車で執筆に専念し、大阪~東京の帰りは普通の指定席の計画だが、逆の方が良かったか……と無念な気持ちになる。


 徳山に到着した辺りで無理に書くのを止め、音楽を聴く。


 そうなると、まさしくあっと言う間だ。一時間ほど休憩し「やっぱりこの時間の使い方は贅沢すぎるのでは……?」と思い直し、再びPCを起動。


 なにしろ、今日はまだ二千字しか書けていない。文字数に対してかかる費用が高すぎる。なんとしてでも元を取りたいと、ぐだぐだしている内に新大阪に到着してしまう。


 友人との待ち合わせ時間までスターバックスで作業。荷物が重いから今更ショッピングなどしている体力がないと言ってしまえばそれまでだが「後ろに予定がある」と決まっている状態は作業が進む。やはり人間、揺れているのは正常ではないのだろう。


 友人と合流。大阪観光は地元民がいるかいないかでものすごーーく安心感が違う。


 食事の時間を長く取るため、新幹線は最終の便を予約。ギリギリを狙って到着しようとした所電車が遅れ、かなりヒヤヒヤしながらホームをダッシュする羽目になる。


 なんとか定刻通り乗り込む事ができた。今日の進捗三千字。これを毎日続ければ一月で九万字だが、現実はそうはいかない。書けるときに書かなくてはいけない。


 ここで挽回するしか道はない。さあ、指定席とグリーン車の違いはいかほどか……私の席に、知らない人が居るのだが? どう見ても酔っ払いのおじいさん。


 これはあれか。良くネットで見る知らない人が自分の席に……ってやつ。いやいや、普通に通路側と窓側を間違えただけに違いない。それにしても、隣の席が明らかに酔っ払っている人と言うのは執筆環境としてはあまりよろしくないような……。


「あの、この席、お間違えじゃありませんか」


 私が見せたチケットを凝視してから自分のチケットを見るおじいさん。次の瞬間。間違えました! と勢いよく立ち、そのまま新幹線を降りてしまった。


 ……反対側のホーム? それとも別の車両? こんな最終ギリギリの時間に降りて、おじいさんは大丈夫だったのだろうか。乗り過ごした方が京都まで運ばれてしまうよりマシだろうか……十分ばかり、酔っ払いのおじいさんの事を考えた。


 新幹線は発車した。まあ、私のせいじゃないしいいや。


 さて、改めて指定席とグリーン車の違いである。グリーン車は中央部に位置するために乗り降りが楽らしい。確かに今居る六号車は少しエレベーターから距離があった気がする。


 前述の通り、小柄なのでスペース的には問題がない。フットレストも、まあ普段から使う習慣がないのでそこまで必要性を感じない。


 グリーン車はテーブルが違うと風の噂があったのだが、サイズは同じで手前にスライド出来るか出来ないかの違いでしかないようだ。


 座席のふかふか具合は大分違う。コンセントもない。話し声は聞こえる。


 今回は平日かつ隣に人がいないため、視線や音を気にしないで活動することができる。確かに高級感や静かさの観点ではグリーン車がはるかに上だが、平日かつ窓側の席を確保できればグリーン車でなくても良さそうだ。


 時期や曜日、人数によって使い分けるのがいいかもしれない。


 さて。最後の執筆エリア、東海道新幹線。やはり山陽新幹線より揺れていない気がする。ルートの違いなのだろうか? ……いや、気のせいかもしれない。気のせいじゃないかもしれないが……。


 執筆したい気持ちとは裏腹に、眠気が襲ってくる。やはり移動の連続は疲れる。そもそもどんな小説も書いていて楽しいのは最初の二万字くらいだ。その時期を過ぎてしまい、もう完全に新作に対する情熱が消えていた。


 完全に集中力を失ってしまった(と言うよりは旅行がもう終わる達成感のようなものがあったのだと思う)私はぼーっと外の暗い景色を眺めたり、ニュースサイトの記事を読んだりしていた。


 そのうちに「やっぱり船に乗るのって凄く有効だったな」と思い始める。インターネットの誘惑からは逃れられない。だってほら、今この文章を読んでいるあなたも、インターネットにどっぷりでしょう?


 他人が頑張って、何時間も何日もかけて書いたりまとめたりした文章を一瞬で消費し、好き勝手に批評する方が産みの苦しみより楽しいのは当たり前なのだ。


 二十三時頃。突然車内放送が流れた。


 何やら他の路線の乗客救援のため、新幹線が一時停車すると言うのだ。


 若干焦る。なぜなら、帰りの地下鉄が終電の予定だったから。


 JR同士なら気を遣ってくれる場合もある。しかし地下鉄は駅にでかでかと『JRの終電とは接続しない。お前が乗り遅れても一切の責任は取らない』と書いてある。新幹線停車駅でもなければ同じ会社ですらないので当たり前である。


 ここで『終電乗り過ごしたらタクシー代払うよりは漫画喫茶で夜を明かして、それもエッセイのネタにしよう』と腹をくくった事により、何故か集中力を取り戻す。新横浜~東京間で千五百字。自分で自分がわからない。(最終的にはなんとか終電に間に合った)


 総括。三日間のトータル、大体一万五千字。


 このエッセイの下書きと、コミックス発売用のSSと、新作のラブコメ。速くもなく、遅くもなく。平均的といった所だろうか。正直大金を払った割には爆発的な推進力が得られたとは言いがたい。カンヅメ状態は移動しないことによって完成するため、次回は本当に「おこもり」をキメるべきだろう。


 次のスケジュールが詰まっているなかでちまちまと書き進めるのはゲームのミッションをクリアするような楽しさはあるが、興奮状態とは裏腹に脳はかなり疲弊したらしく、月~水の旅行のあと、木金は仕事以外の何もすることができなかった。その後の土日もだらだらと過ごしてしまった。


……と言う所で、気が付いた事がある。普段の私は時間を無駄遣いしていた。


 ただ平凡な日々を過ごしていると、時間が勿体ないと思う感覚を忘れがちだ。用事に追われ、それでも隙間をぬって何とか作品を作り出そうとする。旅行中の私にはその情熱があった。


 メリハリのある生活の良さに気が付いた。それが一番の収穫かもしれない。


 総評としては、ワーケーション、おすすめです。これであなたも作家気分。


 ……休みとお金があれば、ね!


 後日。私が乗船した便の次が天候不良により欠航していたのを知った。つまり最初から往復ルートは無理と定められていたのだ。あぶねー。やはり度にトラブルはつきものなので、本当の締め切りが迫っている時にはワーケーション、してはいけませんね。

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