第23話 英雄たちの引き際
王府に戻った泰極王は、獅火を呼び出し心情を話すことにした。
「獅火よ。そなたも立派な皇子となり、父となった。白鹿国では、義兄である武尊殿が即位し王となった。また北の隣国、漆烏国とも国交が始まり、その中心となっているのは若い力である宝葉姫と雲慶皇子だ。世の中心は移り変わりの時を迎えているように思うのだが・・・」
「父上。なぜそのような問いかけをなさるのです? 確かに武尊兄さんが王となり、宝葉姫を中心として国交が始まりました。ですが、蒼天は蒼天です。白鹿国の変化も漆烏国の変化も、その中心には父上の存在があっての事ではありませか。」
「うむ。確かに私は、両国の変化の為に手を貸した。助けを求められれば幾らでも、出来る限りの誠意を贈る。だがな、今日のような国に両国がなったのは、彼らの意志と尽力の賜物なのだ。私は最初に手を握り、立ち上がった彼らの背を押したまでなのだよ。」
「父上。またそのようなご謙遜を。」
「謙遜などではない。それが誠の事だ。それに龍峰山の神仙様が力を貸してくださった事が大きいのだ。」
「えぇ、知っています。この蒼天ばかりでなく隣国にまで力を貸してくださり、巡って蒼天にも幸をもたらしてくれました。その龍峰山が我が国にある事を皆が誇りに思い、尊く有り難く思っているのです。」
「うむ。その通りだ。これからも変わらず、大切に守って行かなければならぬ。その事を含め国の大事を、そろそろ獅火に。そなたに譲り任せようと思っているのだ。」
「父上・・・ やはり、退位をお考えだったのですね。」
獅火はぐっと肚に力を込めた。
身に力を込め動かぬ獅火を前に、泰極王は穏やかで緩んだ顔をしている。
「あぁ。先代の辰斗王が退位したのも、ちょうど今の私くらいの歳だった。同じ年の頃を迎えてよく分かる。昔のようにはいかぬ事が出てきたのだよ。
父帝は退位されてから、十数年で逝ってしまわれた。私もそれほど変わらぬ歳月で逝く事になるやもしれぬ。後に残された時を七杏と、空心様と共に、ゆるりと気ままに過ごしたいと近頃はよく思うようになったのだよ。」
「父上。そのようにお感じだったとは・・・ 父上はまだ、まだまだ健在です。威厳も風格も満ちておられる。お祖父様も立派な方でしたが、父上はそれ以上に立派な方です。」
「ふっふっ。獅火に、そこまで褒められる日が来ようとは。何とも嬉しいのう。嬉しい限りだ。父親名利につきる。息子に慕われ褒められる事が、これほどに嬉しい事とは・・・ 私ももっと父上に寄り添い素直に慕い、言葉にすればよかった。そうしていたら、父上もどんなに嬉しかったか・・・」
泰極王は過ぎ去った日々を思い、涙を滲ませた。
その姿に獅火は、
「父上・・・ お祖父様は昔、私に云っておられました。
〈泰極は早くに母を亡くし寂しい想いをしながらも、早く一人で立とうといつも懸命であった。少しでも早く立派になろうとしていた。その姿が時に不憫であったが、私にはあの子を止める事が出来なかった。ただ見守る事しか出来なかったのだ。もっと無邪気な子供のままでいさせてやればよかったと、後悔したこともある。
あの子はきっと、私を越える明君になる。その時、深く確かな情絲で結ばれた七杏がしっかりと寄り添ってくれる事が、何よりの幸せだ。〉と。」
獅火から亡き父の言葉を聞き、泰極王は堪えていた涙があふれ出した。うつ向いた顔からは涙が床に落ちた。
初めて見る小さな父の姿に、獅火は寄り添い背中をさすった。
「獅火よ。父ももろくなった。これからはそなたが国を担い守ってくれ。頼んだぞ。」
泰極王は顔を上げ、獅火の手を握った。
「父上・・・ 私はきっと、父上を越える事は出来ません。ですが、父上が築いた国の威厳と国内外からの信頼を守ってゆく事は、お約束致します。」
獅火は泰極王の手を握り返し、力強く言った。泰極王は、黙って涙をこぼしながら幾度も頷いた。
退位について、七杏妃と獅火皇子の承諾を得た泰極王は、伴修将軍を王府へ呼んだ。
「伴修よ。龍峰山の麓の竹林で、竹の花が咲いたぞ。あの花は数十年、いや百年に一度しか咲かない花だ。前回あの花が竹林で咲いたのは、蒼天の建国間もない頃だったそうだ。空心様が調べられ知っていたよ。」
「そうですか。そのように珍しい花が、竹林で咲いたのですか・・・」
まだ、話の意図を掴みあぐねている様子の伴修に、
「以前あの花が咲いた時は、蒼天の世子兄弟の間で王位争いがあり、続けざまに漆烏国に攻め込まれた時。蒼天の一つの世代が終わり、新しい代に替わった時だったのだよ。」
と泰極王は続けた。
「はっ・・・ もしや泰極様。この蒼天の自然に沿って退位をお考えなのですか?」
「ははっ。さすがは長年の友。伴修よ。そなたの推測した通り。この機に退位しようと思う。父帝、辰斗王が退位した歳と同じ頃を私も迎えた。」
「えぇ。我々も随分と歳を重ね、よい歳になりました。泰極様が退位なされるのであれば、私もご一緒に将軍位を退き、壮太准位に譲りたいと思います。あの醜聞以来、その時期をうかがっておりました。今がその時かと思います。」
伴修は、少し顔を緩めほっとしたように笑った。
「うん。そうだな。私も今ならよい機会だと思う。退位の時を、長らく待たせてしまい悪かった。今までの功績に感謝致す。ありがとう。伴修将軍。これからは、若い者達に席を譲り任せよう。我々は、ゆっくりと穏やかに過ごそうではないか。時に茶を飲み、酒を酌み交わし、昔のように手合わせをしてな。」
「はっ。泰極様。退位を承諾して頂き、ありがとうございます。無事に今日まで将軍位を務められた事に感謝致します。あの噂の一件から今日までがあったからこそ、私は自分の持てる全てを余すことなく壮太准位に受け渡す事が出来ました。
えぇ。これからは穏やかに、愛する者達とゆっくり過ごしましょう。」
泰極王は、笑顔で大きく頷いた。
こうして泰極王の退位と同時に、軍部の将軍位を伴修も退き、新しく壮太将軍が誕生する事となった。
それから数日の内に、王府に泰極王の退位の意向と伴修将軍の退位が伝えられ都の民にも触書が出された。今年の七夕節に退位の儀が行われ来る望月の日に、泰極王の正式な退位が決まった。軍部の将軍も、同じ日に伴修から壮太に変わる事となった。
それに続き重陽節には、獅火の即位の儀が行われる事になり、蒼天国の竹林と共に王位も巡る情絲の因縁と一つの世代を終えるのだ。
やがて国内外に泰極王の退位が知れ渡ると、泰極王が築いた泰安の治世を称える贈り物が次々に届いた。それらを受け取りながら、泰極王と七杏妃の胸に様々な事が思い出された。
「泰様。長きに渡りお疲れ様でした。」
「あぁ。やっと肩の荷が下りる心持ちだ。杏、君もお疲れ様。この泰安の治世が続いたのも杏が側に居てくれたお陰だ。これまで、ありがとう。我が最愛の天女様だ。」
「まぁ、泰様。嬉しいですわ。そんな事を、この歳になっても言って頂けるなんて。」
「いやいや。互いに歳を取り、ここまで歩んで来たから尚更にそう思うのだ。誠に感謝しているのだよ。」
「私もです。泰様に嫁ぎ共に今日まで歩んで来られた事を、幸せに思います。これからは二人で、のんびり致しましょう。茶を飲み街を歩き、弦空の成長を見守りながらのんびりと。」
「あぁ、そう致そう。後に残された時を、二人でゆっくりと過ごそう。」
泰極王と七杏妃はそう話しながら、王府の中庭に出て、美しく煌めく天の川と満月を見上げた。
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