第24話 朝靄に浮かぶ紙舟

 七夕節の朝、いつもより早く目が覚めた泰極王は、七杏妃を起こして朝の散歩に誘った。


「杏、早く起こしてすまない。どうしても朝の散歩に付き合って欲しくて。」

「いいえ、泰様。朝もこれだけ早いとだいぶ涼しいのですね。気持ちがいいわ。昨夜はあまり眠れなかったのでは?」


「あぁ、何だか感慨深くてね。あまりよく眠れなかった。だけど杏を散歩に誘ったのは、それだけではないんだ。」

泰極王はちょっとはにかんで言った。


 その顔が何とも可愛らしく、七杏妃も微笑んで返した。二人は歩きながら青星川まで来た。すると川辺は、薄く朝靄がかかっていた。


「さあ、着いた。実はここに来たかったのだ。これをね、朝の内に杏と流したかったのだ。」

泰極王は、胸元から布に包んだ紙舟を出した。


「まぁ、泰様。昨夜二人で書いた七夕節の紙舟ね。」

「あぁ、今日は七夕節に退位の儀がある。夜は忙しいから、朝の静かなうちに二人だけで七夕節の習いをしたかったのだ。」

「まぁ、泰様。素敵ですわ。朝靄の中の青星川なんて初めてよ。きっと忘れられない七夕節の習いになるわ。」


 泰極王と七杏妃は、誰もいない朝靄の青星川で、そっと紙舟を流し二人だけの七夕節の習いをした。昇り始めた朝日が朝靄を染め、淡い橙色に川を彩る。


「杏。今日まで寄り添い共に歩んでくれて、ありがとう。初めて杏とここで七夕節の習いをしてからもう三十年余りになる。」


「えぇ、泰様。早いですね。あれから毎年欠かさずこの川へ来て、二人で紙舟を流しました。その紙舟も三十葉を越えたのですね。元々は黄陽国の習いだったものが、いつの間にか蒼天に根付き、今では民も行う習いになりました。」


「あぁ。きっと今夜には、この蒼き青星川に天の川が写り幾葉もの紙舟が二人の愛と名を乗せ海へと流れてゆくだろう。だから誰もいないうちに二人だけで、静かに紙舟を流したかったのだ。杏と一緒に。

 今日で王位を退き、これからは二人の時間が増える。仲睦まじく過ごそう。」

「えぇ、泰様。楽しみですわ。またあの頃に・・・ 初めて二人で紙舟を流した頃に戻るようですわ。」


「はははっ。そうだな。だがもう恋敵もおらぬし、二人だけの平穏な日常だ。」


「まぁ、泰様。そんな事を言って。もう若くはないのだし、平穏な日常を泰様と過ごせるだけで嬉しいわ。王位のお勤め、お疲れ様でした。」

「ありがとう、杏。そなたが居てくれたお陰だ。これからも二人で、残された日々を共に歩んで行こう。」

七杏妃は笑顔で頷いた。


 泰極王は、七杏妃の手を取り二人仲睦まじく王府へ戻って行った。二人の愛と名を乗せた七夕節の紙舟は、穏やかに流れに乗ってひっそりと朝靄の中を海へと渡って行った。




 夕暮れ時になり、王府の中庭に五色の幕に竹笹が揃い七夕節の準備が整った。この式典が、泰極王が取り仕切る最後のものとなる。上弦の月に見守られながら香や酒、大地の恵みが捧げられ、感謝の祈りが済むと無事に式典は終わり、続けて泰極王の退位の儀が行われた。


 泰極王は天藍色に金糸の刺繍が施された龍衣を脱ぎ、王冠を外し祭壇に返上した。続いて七杏妃も、天藍色に金糸の刺繍が施された鳳凰衣を脱ぎ返上した。そして、二人そろって感謝の祈りを捧げると、玉座の上の鏡を下ろし白い布に包んで割った。これで退位の儀の全てが終わり、泰極王が築いた泰安の治世は終わった。この泰安の世は、穏やかで明るく人々が生き生きと過ごせた世であった。国内外の民が泰極王の退位を惜しみつつ、今、変わりつつある隣国との絆を受け継いだ獅火王に期待を寄せている。



 退位の儀が終わった中庭は、和やかな宴の場となり皆が泰極王の労を敬っている。この宴の席で軍部の将軍位が替わった事も告示され、伴修から‘白修の剣’を受け取った壮太将軍は、その剣で舞を披露した。宴は、伴修の退位を労い壮太の将軍位就任を祝うものにもなった。泰極王と伴修は互いの労をねぎらい、鎧を脱いだ勇者のように晴れやかな心持ちで酒を酌み交わす。


「伴修よ。長きに渡りご苦労であった。ありがとう。」

「勿体なきお言葉。泰極様に仕え、蒼天国の為に尽くした日々に感謝致しております。」


「これまでの三十余年。いろんな事があった。こと伴修とは、共に抱えた問題も多くあったな。若かりし頃は、誠にそなたが羨ましくもあり、憎らしくもあった。はははっ。」

「いやはや。何とも・・・ 七杏様にも、不快な想いをさせてしまいました。」

伴修は顔を紅くして頭を抱えている。


「ははっ。杏とも今朝、朝靄の青星川で話したのだが、これからは恋敵のいない二人だけの時間が続く。仲睦まじく、ゆっくり過ごそうと。」

「恋敵だなんて・・・ あの頃は、私の勝手な片想いでございます。お恥ずかしい。七杏様は、私の事など何とも・・・」


「いや。未来は分からぬと思って、私は怖かった。あの頃、伴修に七杏を奪われてしまうかと誠に怖かった。そなたを恋敵だと思っていた。そして、そなたのように心を開き、まっすぐ杏に向き合わねばならぬと、我が心に誓ったのだ。」


「まさかそのような事が・・・ 」


「だから、今の蒼天国があり、七杏が王妃になってくれたのも、伴修が蛇鼠様の策に落ちてくれたお陰ともいえる。ありがとう、伴修。」

「いや、からかわないでください。泰極様。ですが、私もあの失態から大事なことに気付き、多くの事を学びました。」


「はははっ。さぁ、飲もう。全ては過ぎ去った。これからは憂いのない、穏やかな日々を共に過ごそう。」

二人は杯を掲げ、一気に飲み干した。


 七杏妃と雅里は、そんな二人の様子を安堵の表情で見つめている。



 こうして、和やかに七夕節の夜は更けていった。この夜、蒼天国を流れる青星川には、幾葉もの愛の紙舟が穏やかに川を渡って行った。














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