第14話 雲慶の還俗

 物陰から、宝葉姫が姿を現した。

 広間を出て行く二人の後を追って、そっと様子を見ていたのだ。


「雲慶様。ありがとうございます。私と共に漆烏国を守り導く道を、歩んでくださいますか?」

と、立ち上がろうとする雲慶の腕に触れた。


「はい、姫様。私でよろしければ。私は還俗しこの身を姫様の為に、漆烏国の為に捧げます。」

「ありがとうございます。雲慶様が王になってくださるのなら、私にとっては何よりも心強い事にございます。」

手を取り合う二人の様子に、空心は微笑み幾度も大きく頷いた。


「ならば、泰様にお願いして、雲慶様の還俗をこの蒼天で私が見届けよう。いかがかな?」

「空心様。それは有り難きお申しで。蒼天王と空心様の立ち合いの下、還俗して漆烏に帰るのであれば、漆烏の民も認めてくれるでしょう。」

「空心様。様々にご配慮頂き、誠に感謝致します。国に帰り婚礼を済ませた暁には、改めてお礼をさせてください。」


「宝葉姫様。礼などよいのじゃ。きっと泰様もそう仰る。隣り合う国同士、時に助け合い和をもって双方が豊かに幸せになればよいのです。きっと凰扇様もそう願って、そなた達を蒼天によこしたのであろう。

 ならば、早く文を出し、国の師僧に許しを頂きなさい。私と泰様も一筆添えましょう。」



 それから五日後、泰極王と七杏妃、空心や天民、剣芯の立ち合いの下、師僧から許しを得た雲慶の還俗の儀が蒼天で執り行われ、雲慶は俗人に還った。一同が安堵したところで、広間に一陣の風が起こると、凰扇が現れた。


「雲慶よ、よく決心しましたね。あなた方を蒼天によこして善かった。今日の雲慶と宝葉姫の姿を見て、私も安心しました。」


「凰扇様。此度は私たちを導いてくださり、ありがとうございます。これで漆烏に帰り、国難を解決する事が出来ます。私は、この上なく安心し信頼し合える伴侶の王を得られます。」

「宝葉姫。これからが二人にとって、漆烏国にとっての新しい始まりです。二人で力を合わせ乗り越えてくださいね。」

「凰扇様。これから俗世の民として、漆烏の王府の者として姫を支え国を想い、仏の香の染みた身を生かして歩みたいと思います。」

雲慶も確かな声で言った。


「えぇ、えぇ。二人で共に歩んで行きなさい。あなた方二人なら、きっと出来るはずです。今日は、二人にどうしても贈りたい物があって持って来ました。」


そう言って凰扇は、皆の前に‘雲のような形の光る物’を出した。空心と泰極王、七杏妃は、顔を見合わせて微笑んでいる。


「この雲の形をした物は ‘目覚めの稲妻’ です。この雲に向かって祈りを捧げると、眩しく力強い閃光が放たれ稲妻となり暗雲を切り裂きます。漆烏国の民が陥りがちな悲嘆と暗闇を切り裂き明るく晴れやかな蒼空をもたらしてくれます。」


凰扇が言い終わると、凰扇の手の上で浮かんでいる銀紫雲の塊が、合図を受けたように震え出した。


 

そして次の瞬間、眩しく閃光を放ち雷鳴と共に稲妻が走った。


 広間に居た一同は、開眼したようにすっきりとした心持ちになりこの世がくっきりと見えた。


「これはすごい。凰扇様。一瞬にして生まれ変わったような心持ちでございます。」

「泰極王よ。これがなぜ、漆烏国に必要か分かりますか?」


「はて・・・ 凰扇様や龍峰山の神仙様方は、これまで蒼天にも白鹿国にも其々に必要な物を授けてくださった。そのどれもが、この機に最も必要な物でした。此度の目覚めの稲妻も、きっとそうなのでしょう。今、私たちの目の前で鋭い閃光と雷鳴で暗雲を切り裂き、たった今、目を覚ましたかのように心身をすっきりとさせてくれた。雷鳴や稲妻という事は、遠い昔の霊木の森での落雷に関わる事でしょうか?」


泰極王が少し自信なく話すと


「えぇ、その通りです。遠い昔、蒼天国と漆烏国が互いに建国間もない頃の因縁の落雷が、今も漆烏国に暗い影を落としていますね。もう、百年以上も前の事なのに。

 あの頃、武力と知略に優れ血気盛んな漆烏国は、蒼天国の蒼き空と水を求めて攻め入った。しかし、討ち敗れ国に戻ると、大事な資源であり宝である霊木の森に雷が落ち全て焼けてしまった。その落雷を人々は、天罰だと思った。漆烏国は大事な森を失った事で貧しくなり、辛苦の時を長らく過ごしましたね。その間に悲観と後悔、罪の意識は増大し世代を超え歳月をかけ、漆烏の民は寡黙で悲観的な人々となってしまった。

 今、森は再生し貴鉱石が採れ、国は随分と豊かになったはずです。そして、先々代の王女の計らいで植えられた木蓮が大きく生長し、春先には花開き国を彩るようになりましたね。」



「えぇ、凰扇様。お祖母様が少しでも国が華やぎ、人々の心の悲しみが離れて行くようにと貴玉山から霊木山までの深碧川沿いに南北を繋ぐように、たくさんの木蓮を植えられたのです。お祖母様は、木蓮は悲しみを忘れる花だと仰っていました。」


宝葉姫が、祖母の面影を懐かしむように言うと、


「えぇ、宝葉姫。その通りです。長い冬を越え春先に開く木蓮は、憎しみや痛み悲しみを手放し忘れさせ、新しい季節を生きる希望の花なのです。ですから、李君王女は祈りを込め少しずつ木蓮を植えていたのです。今ではその木蓮が大きく育ち、国を明るくしているでしょう?」


「はい、その通りです。春先に木蓮が開くのを民はみな、楽しみにしています。」

「えぇ、ですからこれからは毎年、木蓮の花が咲き始めたら ‘忘悲節’ を行いなさい。そうして、この一年の悲しみや痛み憎しみを手放し、新しい春を生きる希望を得るのです。光で暗雲を切り裂くのです。そして、民の希望を呼び起こすのです。よいですね。」


凰扇が一つ一つ丁寧な口調で言い終わると、


「はい。凰扇様。私たちが毎年、しかと祈り民の心に希望を呼び起こす事をお約束致します。そして年毎に、遠い昔の因縁の呪縛が民の心から解かれる事を信じます。」

雲慶が凰扇に誓った。それを聞き宝葉姫も手を合わせて誓った。



「あなた方は永い事、漆烏国とその民である事に引け目を感じて生きてきました。ですが、もう、そのような生き方を止める時が来たのです。漆烏の人々の度を越した永年の悲観と憂いが霊木の森の木々の葉を落とし、再び森を消滅の危機にさらしたのですよ。」


「はい。申し訳ございません。これからは、私が宝葉姫の支えとなり、これまで培ってきた仏の教えを基に民の心が晴れるよう力を添えて参ります。」

「えぇ、そうです。雲慶、あなたの力が必要なのです。あなたが、これまでの二十数年間で身に宿した様々な教えが、国と民の為に役立つのですよ。漆烏の民として恥じる事無くしっかりと生きなさい。その胸の内の愛に素直に、宝葉姫と手を取り合って王として漆烏国を造り直しなさい。」


言葉が止むと、もうそこに凰扇の姿はなかった。



 宝葉姫と雲慶は、凰扇から賜った目覚めの稲妻を手にしっかりと見つめ合い、広間の一同に向き直すと、

「此度は、私の還俗の儀を執り行って頂き、泰極王、七杏妃、空心様、皆様、ありがとうございます。これからは、漆烏の王族に入り王府に力を添えて参ります。」

雲慶が礼を述べた。


「雲慶様。これからは隣り合う国同士、困った時には蒼天に声をかけてください。互いに助け合いましょう。」

「泰極王、ありがとうございます。とても心強く思います。」

「誠にありがとうございます。これからは善き隣国として国交を保ちたく思います。漆烏に帰りましたら、友好の証として我が国の木蓮を贈らせてください。」

宝葉姫も言葉を添えた。


 そして、広間の一同は微笑み合い、泰極王と七杏妃、宝葉姫、雲慶は手を取り合い固く友好を約束し合った。



 泰極王は、これを機に国の北に門を作る事を約束した。これまで国交もなく閉ざされていた北側に門が出来れば、漆烏国との行き来は格段にしやすくなる。この北門が両国の国交と友好の証となると考えたのだ。



 こうして還俗し漆烏国の王となる決意を固めた雲慶は、宝葉姫と共にひと月に渡り新しい国政についての教えを泰極王から受け、明るく希望に満ちた蒼き国を堪能し漆烏国へ帰って行った。













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