仏縁の道を行く

第13話 僧が生きる道

 漆烏国からの賓客を歓迎しての宴の後、空心は雲慶を誘い王府の庭を歩いていた。蒼天国を模った庭を二人は静かに歩く。夜空には弓なりの月が浮かんでいる。虫の声だけが鳴る庭には、他に人影はなかった。


「雲慶様。私はこの歳になって想うのです。とうに生まれ還りを過ぎ、喜寿となった身でね。

 仏の教えは日常の中にこそあるのではないかと。俗世の民は日々、仏の教えの中で何かに耐えて悟り、修行しているのではないかと。多くの僧侶はその俗世で生まれ成長し、やがて縁あって仏の道を求めて解脱し僧侶となる。そうして俗世を離れてしまった我々僧侶は、見方を変えれば随分と楽をして解脱の日々を生きているのではないかと・・・

 

 誠に仏の道を味わい真に求めるならば、俗世に生きる方がはるかに修行になるのかもしれぬと・・・ それこそ真の仏道なのかもしれぬと。そんな事をつらつらと考える事があるのです。


 雲慶様は、赤子の時から寺で育ち僧侶となられた。その身にこの二十数年間の仏の香が染みついている。その貴い身で俗世に還り、民の為に仏道の学びを生かす道を生きるのもまた、仏縁のお導きではなかろうか? 俗世の中で身をもって悟りを生かす事もまた、仏の姿ではなかろうか? 私は、そんな事を思うのじゃよ。」



「空心様は私に、俗世へ還れと仰るのですか? 私は、親もなければ仏道の知の他には何もない身です。今から俗世へ還ったところで何も出来ませんし、これまでの修行を捨てよと仰るのですか?」


「うむ。雲慶様のお心は十分に承知しておるつもりです。少し立場は違えど、私も王族に寄り添い庇護を得ている身でございます。先代の辰斗王の世から、この仏道の学びを頼りに求められて今この身がある。私とて仏道の他に何もない。

 だが、雲慶様はまだお若い。これから如何様にも生きられる。自分の胸の内にあるものとしかと向き合って、生き方を変えても十分に時は有るのです。人は長く豊富な時を、胸の内にあるものとしか共に生きられないのです。」


「えぇ、まだまだ未熟でございます。だからこの先も仏の学びの道を進み、王府に求められる限り力になろうと思っております。」

「そうじゃな。僧侶というのは、何処まで行っても修行の身。果てしなく先があり高みが有るもの。しかしそれは、王族とて同じだとふと思ったのです。辰斗王も泰様も、迷い悩み苦しみながら国を守り導いてきた。少しでも豊かに、平穏に民が暮らせるようにと。その迷い苦しむ時には、助けが必要です。

 雲慶様、この蒼天国が他国も羨む国となりその姿を長く保っているのは、何故だと思うかな?」


「はぁ、空心様。それは・・・ それは・・・ 上に立つ者が揺るぎなく聡明で、優しく民に寄り添っているから。でしょうか?」


「うむ。それも確かでしょう。蒼天国はこの数十年、少なくとも先代王から二代に渡り大事にしてきた事があるのです。それは ‘感謝と愛と希望’ でございます。そして、‘上に立つ者達の揺るぎない信頼の絆’ です。そうして、和のある国を目指し保って来たのですよ。

 この蒼天の蒼き空と水は、希望の現れでございます。民はこの蒼き空と水を見ては心を清らかにし、希望を抱き新たに日常を見つめる。だからこそ、王府も民もこの蒼天の蒼き空と水を守って来たのです。美しい光景を保って来たのです。


 実は・・・ 

 七杏妃は赤子の時から十六歳までを黄陽国の寺で過ごしました。彼女は寺育ちなのですよ。蒼天の国難を逃れ病を癒すために、私の寺に預けられ小坊主たちと共に育ったのです。雲慶様と同じく七杏には、寺の教えや仏の教えが身に沁みついておるのです。

 そして十七歳を迎える頃に蒼天国へ戻り、泰様の許婚となって、今は蒼天国の王妃。そんな彼女の支えは、泰様にとっては大きなものでしょう。」



「七杏妃は、そうでいらしたのですか・・・ そのような境遇で、幼い頃は苦労をされたのですね。」


「あぁ、傍から見たらそうであろう。だが本人は、そうは思っておらぬ。寺の裏山を自由に駆け回り民の為に働きもし、意外にも楽しんでおった。最もその頃は、自分の出生も境遇も知らなかったのですが。寺の者達を家族と思い、掃除も料理もし経を上げ助け合って生きておった。

 今は、王府の者達や国の民を家族と思っておるであろう。雲慶様は、これから王女となられる宝葉姫様を一人にして置くおつもりかな?」


空心は語気強く、雲慶を見据えた。



「いえ、空心様。決してそのような事は。今まで通り相談役の僧侶として、お側にお仕えするつもりでおります。」


「うむ。いずれ王女となられる宝葉姫様は、伴侶となられる王を迎えなければなりません。その王が姫にとって、最も信頼でき何でも分かち合う事が出来る者であれば、どんなにか心強いだろうと、私は思うのですが・・・ 

 泰様と七杏を見ていても思うのです。互いを心から信頼し大事に想い合っている事が、どれほど心強い事かと。それに、外から王を迎えたならば、今のように姫様は雲慶様と話すことも出来ぬでしょう。」


「えぇ、泰極王と七杏妃は本当に仲が良く信頼し合っておられるのが、私にも分かります。」

「この老僧から見て宝葉姫様は、雲慶様を厚く信頼しておられるように見えるがのう。確かな愛で慕っておられるように。でなければ、国の大事であるこの局面に凰扇様の言いつけとはいえ、そなたに同行を頼むであろうか?」


「それは・・・ 私が、姫様が幼い頃からお側に仕え共に育ってきた者だから。気心が知れているからでしょう。それに私は僧侶ですから、お側においても安心なのかと思います。」

「うむ。もちろん、姫様はそうも思われておるだろう。だがそれ以上に姫様は、雲慶様を特別に大事に想われているように見えるのです。心から慕い愛しておられるように見えるのです。その心を雲慶様に突き放された姫様が王女となって、新たに王となる婿を見つけ国を守り保ってゆく事が出来るであろうか?」


「それは・・・ それは・・・」


雲慶は言葉が続かず、うつ向いてしまった。


「のう、雲慶様。そなたの胸の内はどうなのじゃ。姫様を特別に想っておられるのではないのですか? 愛しておられるのではないですか?」


雲慶の身体に、グッと力がこもるのを空心は感じ取った。雲慶は、黙ったまま拳を握りうつ向いている。


「もし・・・ そうであるならば、姫様の為に国の為に、自身の真心の為にも、仏の香の染みついたその身を捧げる事は貴きことではないだろうか? 

 還俗は恥ずかしい事ではない。仏の道を捨てる事でもない。むしろ更なる苦行の中に身を投じるようなもの。釈迦の前の兎に同じだと、私は思うのだが・・・」


「空心様・・・ でも、私は・・・ 私は僧侶でございます。」


雲慶は涙をこぼし膝を付いた。うつむいたままの顔からは、大粒の涙が落ちる。


 空心は、その雲慶の姿を見つめながら、

「雲慶様も、随分と苦しんでいるのではないですかな? 僧侶であるが故に身に負うた苦しみに。だが、その苦しみには、もう一つの道がある。秘かに求められている道があると、私は思うのですよ。」



しばらくの沈黙の後、涙を拭いゆっくりと顔を上げた雲慶は、


「空心様。ありがとうございます。心が決まりました。私の胸の内にある愛を大事に背くことなく、雲慶は、釈迦の前の兎になります。」

と力強く答え、空心を見つめた。


 その時、空心と雲慶しかいない静かな王府の内庭で、かすかな物音がした。 














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