霊木の森の言の葉
第8話 悲しむ漆烏の森
いよいよ雨の季が始まり、蒼天の水は豊かになった。時折雨が激しく降り水煙の立つ様は、水鏡のようだった。また、雨が早くに上がり日が差した時に出る彩りの橋は、格別に美しく、地面の至る所に出現した水鏡に写り、木々の緑や蒼い空と相まって誠に美しい姿を見せる。
七杏妃は、彩りの橋が架かったこの一瞬の蒼天の風景が大好きで、雨上がりにはよく展望に上がっては国中を眺めている。この雨季は、七杏妃の大好きな風景をもたらす季でもある。
そんな蒼き空と水の国蒼天の北側に、
北端と東端は海に面し、龍峰山の真裏にそびえる
とても静かで地味な民の国で、他国との交流のない山間の暗い国だった。森の木々は良質な木材であり碧雀石は輝きの美しい石で装飾品に加工される。閉ざされた国である漆烏に唯一来訪を許されている西域の商隊だけが、この碧雀石と木材を商いしている。この商隊を通して各国に流通した木材と碧雀石の対価が、漆烏国の主な収入だ。
しかしこの数年、漆烏の森に異変が起きている。
木の生長が思わしくなく、芽吹いた葉は変色し早々に落ちてしまう現象が頻発している。今年は特に酷く、七夕節もまだだというのに葉は灰色に変色し次々に落下していく。気候の大きな変動も虫害の報告もない。異変の原因が分からず、民はうろたえるばかりだった。森は漆烏の王府からも近く、宝葉姫は相談役で幼馴染みの僧、雲慶と共に様子を見に来た。
「雲慶様、これはひどいわ。地面に灰が降ったように葉が落ちている。木々はまるで秋が来たかのように枝ばかり。どうしましょう。まだ夏の盛りだというのに。」
「えぇ、姫様。これは想像以上に深刻な事態です。森の管理部の調べによれば、樹木の病気でも虫害でもないと云います。これはどうしたものか・・・ 打つ手が見つかりません。」
「このままでは森が死んで、国も死んでしまいます。」
二人は、目にしたあまりにも深刻な森の状況に黙ってしまった。そして、なす術もなく王府に戻り、百年前の因縁がもたらす後悔の渦へと落ちていった。
「これも建国の祖先が、蒼天国を攻めた報いでしょうか・・・」
「姫様。そうなのでしょうか? だとしたら漆烏国は、どのように償えばよいのでしょうか?」
王府に戻ってからも言葉のないまま呆然とする。
そんな二人の前に一陣の風と共に
「宝葉姫。雲慶。よく聞いてください。これからあなた方は、蒼天国へ向かい泰極王を訪ねなさい。そうすれば、霊木山の森の異変を喰い止め解決できるでしょう。」
「えっ。あなたは何処から? もしや・・・ 神仙様でいらっしゃいますか?」
宝葉姫は驚きながらも声を振り絞って聞いた。
「世の民はそう呼びます。私は、蒼天国にある龍峰山に棲まう凰扇と申す者です。どうか、私の言葉を信じ勇気を出して蒼天国を訪ねてください。さすれば森の事も、国と民の事も平穏に解決できます。」
「凰扇様。霊木の森の木の葉は、何故あのような事になってしまったのでしょう。」
「雲慶よ。それも全て蒼天に行けば分かります。長年国交のない隣国へ行くのは、勇気がいる事でしょう。ですが、蒼天国の泰極王も七杏妃も、私の事はよく知っています。勇気を出して訪ねてください。この扇を持って行き、彼らに見せなさい。すぐに信じて力を貸してくれるでしょう。」
凰扇はそう言って、手の平に納まる程の大きさの蓮の葉の扇を宝葉姫に渡した。
「ありがとうございます。凰扇様。」
宝葉姫が深々と頭を下げ、それに合わせて雲慶も頭を下げた。そして二人が顔を上げると、もうそこには凰扇の姿はなかった。
「宝葉姫様。いかがなさいますか? 凰扇様の言葉を信じて、蒼天国へ参りますか?」
雲慶が神妙な顔で尋ねると、宝葉姫は、
「どう致しましょう。もう百年も蒼天とは国交がありません。そんな隣国を今更訪ね、助けを乞えるでしょうか・・・ しかし、このままでは民が苦しみ国が滅んでしまいます。だからこそ、国の宝である霊木の森の事態を案じた凰扇様は、私たちを導くために来てくださった。その事の意味は、とても大きいものだと思うの。どうしましょう・・・」
と不安げに答えた。
「えぇ、姫様。凰扇様があのように仰ったのは、とても大きな意味のある事だと私も思います。これが霊木の森と国を守る唯一の道かもしれません。もし、姫様が決断され蒼天国へ向かうのであれば、私は喜んでお供致します。」
「雲慶様。それは真心ですか? 私と共に蒼天国へ参ってくれるのですか? 百年の因縁の国なのですよ。私たちを快く受け入れてくれるのかも分からぬ。今となっては見知らぬ国も同然。それでも一緒に参ってくれると言うの?」
「えぇ、もちろんです。私がお供致します。そして、この苦難を解決する姫様をお支え致します。」
まっすぐに力強く話す雲慶に動かされ、宝葉姫は蒼天国へ行く事を決めた。
「急ぎ文を書き、蒼天国に届けてもらいます。そして、すぐに出発の準備を致しましょう。雲慶様も準備を。」
宝葉姫は、すぐに文を書いた。
しかし、届ける段になって困ってしまった。この百年、国交がない隣国へ誰が届けてくれるのだろうか? これまで国を閉ざしてきた漆烏にとって、交流があるのは西域の商隊だけ。だがこの大事な文を商隊に託す訳にもいかない。いっそ文を出さずに参ろうか。とも考えたが、さすがにそのような無礼も出来ない。一人困り果てている宝葉姫の元に、一匹のリスが迷い込んで来た。
「まぁ、可愛らしいリスだこと。見事な黄金色の毛に蒼白い縞なんて珍しい。何処から来たのかしら?」
宝葉姫はリスを撫でて微笑んだ。
リスは、背負ってきた紅い巾着を下ろし中から蓮の葉を取り出すと、微笑んで宝葉姫に渡した。
「まぁ、蓮の葉ね。何か書いてあるわ。・・・そう、あなたは神仙様の・・・ 龍鳳様と凰扇様のお使いできたのね。ありがとう。助かりました。文を書いたはいいけど、どう届けたらよいのか困っていたところなのよ。
宝葉姫から文を預かった永果は、一礼してから自分の巾着にしっかりとしまった。そして笑顔で胸を張り、ポンと一つ叩いて見せた。
「まぁ、頼もしい。任せたわ、永果さん。お願いね。私たちも準備ができ次第、蒼天国に向かいます。」
永果は再び巾着を背負うと、宝葉姫にしっぽを振って部屋を飛び出して行った。そして木々を伝い貴玉山を越え龍峰山を越え、夜になっ蒼天王府へ戻って来た。疲れた永果は、そのまま泰極王の布団に潜り込むと寝てしまった。
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