第5話 紅銀魚の大群
白鹿国から泰極王と七杏妃が戻ってから数カ月が過ぎ、王府や軍部の内も平穏を取り戻し無事に今年も重陽節を終えた。泰極王と七杏妃は、これまでの夫婦の歩みを思い出しながら茶を楽しんでいた。そこへ、伴修将軍がやって来た。
「泰極様、七杏様。お寛ぎのところ申し訳ございません。実は、お知らせしたい事がございまして。」
「どうした? 伴修将軍。何か起きたのか?」
咄嗟に泰極王の顔つきが変わった。
「えぇ、実は・・・
「あら。紅銀魚の遡上は、この時季に珍しい事ではないわ。何か問題でも?」
七杏妃が微笑んで聞くと
「それが・・・ 今年はその数が尋常ではないのです。青星川が紅く見える程にたくさんの紅銀魚が上がっていると知らせが入っております。その為に、天変地異や不吉の予兆を触れ回る者が出始め、朱池の都は混乱の予兆を示しているとか・・・
このまま紅銀魚が遡上して来れば、同じような混乱が
「はっはっはっ。そんな事はない。不吉の予兆なんてとんでもない。」
泰極王は、声を上げ高らかに笑った。七杏妃も声を上げ笑っている。
呆気にとられた伴修が言葉を失っていると
「伴修。紅銀魚の大群の遡上は、むしろ瑞兆だ。大丈夫。前にも一度、青星川を紅銀魚の大群が遡上し川が紅く見えた事がある。その翌年の夏、獅火が生まれたのだ。杏のお腹の中に獅火が宿った頃、彼らは青星川に現れたのだよ。不吉だなんてとんでもない。これは瑞兆だ。この蒼天国にとって紅銀魚の大群は瑞兆だよ。何の心配もない。
彼らの大群は、天意の使者だ。きっと、蒼天国にとって何か善き事が起きるに違いない。
ただ、むやみに川へ入り捕獲する者が現れては困る。軍部で見回りをし、決められた数以上は捕らぬよう触れを出してくれ。頼んだぞ。」
「そうでしたか・・・ 獅火様がお産まれの頃といえば、私はちょうど都を離れていた時なので、あまり覚えがなく大変失礼いたしました。これから民をなだめる為の触書を出そうと思うのですが、今の獅火様のお話も触書に加えてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、もちろんだ。それで民が安心し混乱を避けられるのであれば、ぜひそうしてくれ。」
「そうね。
例えば・・・ 〈前回、青星川に紅銀魚の大群が現れた時は、蒼天国の皇子、獅火様が誕生する予兆だった。紅銀魚の大群での遡上は、蒼天国にとって吉事を知らせる瑞兆である〉というのはいかがでしょう?」
「はははっ。見事だ。伴修将軍、我が王府の名文士官の言葉を採用してやってくれ。」
「まぁ、泰様。からかっていらっしゃるの? ひどいわ。」
そう言いながら七杏妃も笑っている。
「いや、七杏様。見事な触書かと。そのまま使わせて頂きます。」
と伴修も笑っている。
「じゃぁ、決まりだな。そのように触書を出し、青星川の見回りを頼む。」
「はい。泰極様。そのように対処致します。」
伴修が礼をして立ち去ろうとした時、七杏妃が呼び止め
「ねぇ、伴修将軍。紅銀魚が大群で今年遡上したという事は、もしかして・・・ また・・・」
と言い出した。
「あぁ、そうか! そうかもしれぬ。杏、そうかもしれぬぞ。」
と、泰極王が満面の笑みで立ち上がり、
「伴修よ、そうかもしれぬぞ。
立ち止まり振り返った伴修に歩み寄った。
まだぽかんとしている伴修は、泰極王の迫力に一歩下がりながら
「・・・と言いますと? 紫雲が何か?」
「もう、伴修様。気づきませんか? 紫雲と獅火の間に子が出来たかもしれぬという事ですわ。」
「はっ、えっ・・・ 七杏様。まさか、あの紅銀魚の大群が示すものは・・・」
「そうだ、伴修。我らに孫が。蒼天国の世継ぎが出来たのかもしれん。紅銀魚の大群は、それを祝い告げる為に上がって来たのかもしれぬという事だ。獅火の時と同じように。」
「あぁ・・・ 何という事でしょう。ですが私は何も・・・ 何も聞いてはおりません。おそらく
「そうか・・・ ならば獅火に聞いてみよう。今すぐ、獅火に。あっ、いや、伴修。先ずは民の混乱を回避することが大事。すぐに触書の手配を。その後でまた、ここに来てくれ。」
「はい。泰極様。すぐに手配をし、後に戻って参ります。しばらくお待ちを。」
伴修は、慌てて部屋を出て行った。
「まぁ、どうしましょう。泰様。これはめでたい事だわ。」
「あぁ、でもまだ、そうと決まった訳ではない。慌てるな。先ずは、獅火を呼んで聞こう。」
すぐに使いの者が獅火の元へ行き、しばらくして泰極王と七杏妃の待つ部屋に獅火がやって来た。
「父上、母上。お呼びでしょうか?」
「おぉ、獅火。待っていたぞ。そなたに聞きたい事がある。大事なことだ。」
「はっ。大事なこととは何でございましょう?」
「うむ。その・・・ 近頃、紫雲はどうなのだ? 元気にしておるのか?」
「えぇ、紫雲は元気にしております。あっ、それとご心配なく。参商の私たちも仲睦まじくしております。」
「うむ。それは何より。喧嘩などしていないか? 大丈夫か?」
「えぇ、そのような事は何も。朝には二人で散歩も致しますし、食事も出来る限りは共に致します。よく話も致しますし・・・」
「もう、泰様。しっかりしてください。」
「あぁ、分かっておる。分かっておる。」
泰極王は七杏妃をなだめるように手を振る。
その様子に、何だか妙な気配を獅火も感じている。ついに痺れを切らし七杏妃が、
「あのね。実はね、獅火。あなたをお腹に授かった時と同じ事が今、蒼天で起きているの。今、青星川を紅銀魚の大群が遡上しているのは知っている?」
「えぇ、母上。近頃は王府でも話題になっています。朱池から来た者が話していました。」
「その紅銀魚の大群は、あなたを授かった時にも現れたのよ。だから今回も、蒼天国の世継ぎの誕生を予兆するものかと思ったの。」
少し顔をこわばらせて緊張した面持ちで聞いていた獅火は、ふっと息を吐き、声を立てて短く笑った。
「参りました。父上と母上、それにこの蒼天の自然の神秘には敵いません。黙っていて申し訳ありませんでした。実は、私たちに子が出来ました。
ですが、最初の子ゆえ慎重にと、安定してからお二人に話すつもりでした。もうすぐ五カ月になります。来春に産まれる予定です。」
少し照れながら嬉しそうに言った。
「そうか! そうか。獅火。それはおめでとう。おめでとう。」
泰極王が立ち上がり獅火を抱きしめて言うと、七杏妃も立ち上がり獅火の手を取って、
「獅火、おめでとう。紫雲を大事にしてあげてね。」
と目を潤ませた。
「はい。父上、母上。ありがとうございます。ご安心ください。紫雲も元気で、子も順調に育っております。」
「あぁ、善かった。きっと、その子は男の子だ。蒼天の皇子だ。」
「まぁ、泰様。そうとは限りませんよ。皇女かもしれません。必ずしも男子が、この蒼天国を担うとは限りませんよ。ですが、いずれにせよ紅銀魚の大群が現れたという事は、その子は蒼天の世継ぎだわ。」
「あぁ、そうだな。その通りだ。とにかく今は、紫雲を大事に。杏、君も時々、様子を見に行って助けになってやってくれ。」
「えぇ、そうですね。雅里様と一緒に訪ねてみましょう。こういう事は母親同士で。」
七杏妃が微笑んで二人の男子に言うと、父親たちは苦笑いをした。
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