狐と狸と俺と母

坂本餅太郎

やさしい世界

 今朝、久々に母と喧嘩した。

 他人様が聞いたら、大したことないと笑うだろう。俺だって、こんな些細なことで母と喧嘩するなど思ってもみなかった。


 いや、おそらく今回の件はただのきっかけに過ぎなかったのだ。積もり積もったお互いの不満が、今回の件で同時に爆発した。そう考えれば別におかしなことではない。


 そうは言っても、喧嘩したことに変わりはないし、仲直りもせずに家を出たことは変えようのない事実である。


 休日である今日は特に予定などなかった。強いていえば、母と出掛けようかなと思っていた程度である。それも喧嘩をしたせいでできるはずもなく、結局何もすることがなかった。


 もしあのまま部屋に行き、自室に籠っていればやることは沢山あっただろう。

 ゲームをやるもよし、受験に備えて勉強するもよしだ。スマホしか持たずに家を出たのは早計だったかもしれない。


 ひとまず、仲のいい友人に連絡をした。冬は寒いので、ぬくもりのある拠点が欲しかったのだ。


「はあ? 母親と喧嘩したァ?」


 友人は意味がわからないとでも言わんばかりにそう言った。高校生では珍しくもない事だと思うが、彼の家ではそんなことは無いのだろうか。


「まあいいよ、落ち着くまでうちにいろよ。あ、まだ母さん家にいるから、十一時頃になったら来てくれよ。」


 友人はそう言って電話を切った。相変わらず自分が話すことがもうないと思うと、直ぐに電話を切るくせはなくなっていないらしい。

 とりあえず、友人宅への立ち入り許可が出たのはよかった。あと三十分ほど時間が出来てしまったが、それはいい。

 彼の家はそこまで遠い訳では無いが、寄り道しながらゆっくりと歩けばちょうどいい時間に着く。


 商店街を歩いていると、色んな店の主が声をかけてくる。幼い頃から母に連れられてここに通い、少し大きくなってからは、おつかいで一人で来ていたこともあったからだろう。

 店主たちと少しばかり世間話をしながら商店街を通り抜けて行く。

 身体を刺すような寒さが、少し和らいだ気がした。



「よう、遅かったな。入れよ」


 友人宅に着いたのは十一時半だった。商店街でおしゃべりをしすぎたのが原因だ。


「遅くなってすまん。商店街で八百屋のおっちゃんとか、魚屋のおばさんに捕まってた」

「まあそんなことだろうと思ってたよ。別に気にしてない」


 俺の謝罪に対して、友人は特に気にした素振りも見せず、自室へと案内してくれた。こいつとは結構長い付き合いだ。そのため、見慣れた部屋に通されても特に何も感じない。雑な性格なのに几帳面なのは昔から変わらない。


「んで、どしたん喧嘩なんて。お前ママと仲良しだろ?」


 いきなり突っ込んだ質問を投げかけてくる。今更遠慮しろとか言うつもりもないが、こういうとこは変わって欲しいと思う。


「別に、大したことじゃない。ただのすれ違いだよ。」

「そっか、まあゆっくりしていけよ。」


 俺があまり話したがらないのに気がついたのか、それ以上の追求はされなかった。こういうところに気がつくのもまたタチが悪い。


「そだ、昼飯どうする? うちで食う?」

「ああ、何かあれば」


 そういえばもう昼飯の時間になるのか。飯が出てくるのなら食べるのも吝かではない。いや、食べさせてくださいごめんなさい。


「たぬきしかないけど、いいか?」

「俺きつねの方が好きなんだが。」

「うちはたぬきしか食わないから、きつね派に人権ないから。」


 友人の家族は全員が緑のたぬき派であるということを今日初めて知った。なかなかどうでもいい情報だが、赤いきつね派の俺としては友人が別派閥の人間だと知って驚いた。しかもきつね派には人権がないとまで言う。これはせんそうがはじまるかもしれないか。


「人権ないとか酷いな。まあたぬきも嫌いじゃないからいいんだが。」

「お? そんな態度でいいのか? たぬきあげないよ?」

「オレ、タヌキダイスキ。タヌキタベサセテクダサイ。」

「よろしい。作ってきてやろう。」


 おかしな掛け合いの後、友人はそう言って部屋を出ていった。


 そういえば、うちの母親は緑のたぬきが好きだった。俺が赤いきつね派ということで、何度か揉めたことがある。ホントにしょうもない。


「ほーれ、できたぞー。」


 友人が二匹のたぬきをおぼんに乗せて部屋へと入ってくる。そんなに時間は経っていないはずなので、できたとは言ったがおそらくお湯を入れてきただけだ。


「お湯入れただけでまだ食えないだろ?」

「え? いや、もう食えるけど。」


 友人は時計を指さす。彼が部屋を出てから四分経っていた。俺はこの四分間何もせずぼーっとしていたのか。


「あー、すまん。ぼーっとしてたわ」

「はは、まあそういうこともある。ほれ、食え食え」


 その後は特に会話もなく、二人で麺をすする。たぬきだろうときつねだろうと、この無言で麺を食べる時間は心地いいと感じる。

 ものの数分で平らげ、二人同時に立ち上がり、器諸々を片付けに行く。


「美味かっただろ? たぬき。」

「ああ、うまかったよ。別にたぬきが嫌いってわけじゃないしな。」


 これは本当のことだ。別に俺は緑のたぬきが嫌いってわけじゃない。食事の決定権は母にあるので、緑のたぬきを食べることも少なくないからだ。


「この後どうする?」


 友人の問いかけに少し悩む。元々なにか約束をしていた訳では無いので、特にやることは無い。


「とりあえずウイイレでもやろうぜ」


 やることがない時はとりあえずウイイレ。それが俺たち二人で自然と決まったことだ。

 実在する選手や、過去の選手を自分で操作し、ひたすらサッカーゲームをする。時間を忘れて試合をしていると、十七時を知らせるチャイムがなった。


「やべえな、五時間近くやってた。」

「このゲームが面白すぎるのが悪い。」

「言えてる。俺らのせいじゃないな。」


 ずっとゲームをやっていた責任をそのゲームに擦り付け、俺たちは笑った。


「どうすんの? 今日は泊まってく?」


 友人は俺に問いかけた。正直、ここで友人の家に泊まって母から逃げたいという気持ちが無いわけでもなかった。

 しかし、それ以上に母と仲直りをしたいという気持ちも強くなっていた。このままではいけないと。


「いや、今日はもう帰るよ。」

「そっか、頑張れよ。」


 友人の言った「頑張れよ」とは一体どういう意味だったのか。真意はわからなかったが、俺はこの言葉に背中を押されたのは確かな事だ。


「おう、がんばるわ。じゃあな。」

「じゃあな。またいつでも来い。」



 友人と別れ、帰路に着く。

 さて、どうやって母と仲直りをしようか。今までも小さな喧嘩はしてきたが、家を出ることは無かった。

 冷静になると少しやりすぎたかなという気持ちになる。


「どうすっかな……」


 朝にも通った商店街を歩きながら一人呟く。

 いい案は簡単には思いつかない。


「そこの兄ちゃん! 今セールやってんだ、見ていかねえか?」


 声を掛けられ、立ち止まる。店主だか従業員だかはわからないが、元気のいいおっさんだ。


「すみません。今現金持ってないので……」

「おおそうか! それがな! うちはあれが出来るんだ! えーと、パイパイ? だったか? 兄ちゃんやってないんか?!」

「PayPayですか? インストールしてますよ」

「おお! なら平気じゃねえか! ちょいと見て行ってくれや!」


 おっさんの勢いに負けて、店に入ることにした。見ない顔だなと思ったら開店したばかりらしく、今日のセールは開店セールであったらしい。


「あ、きつねとたぬきだ。」


 目玉商品であるのか、赤いきつねと緑のたぬきが大量に陳列されている。それも定価の半額である。


「これ、買って帰るか。」


 そう呟いてからは早かった。緑のたぬきを2つ手に取り、購入する。

 母に一言いえば済むのだが、仲直りの品を持って帰るのもいいと思ったのだ。それで、母が好きな緑のたぬきを選んだ。


「まいどあり! また来てくれよ! 兄ちゃん!」


 おっさんの言葉に手を振りこたえ、緑のたぬきが二つ入った袋を持って再び帰路につく。


『あと十分くらいで家に着く』


 一応、母に連絡を入れておく。もしかしたら急に家を飛び出した俺を心配してるかもしれないから。


『了解』


 いつも通りの淡白な返事が返ってくる。

 特に何も思っていなかったのか。メッセージのやり取りだけではイマイチ分からない。


 帰ってからどう話を切り出そうかと考えていると、いつの間にか自宅の前に着いていた。

 その場の勢いで、臨機応変にいけばいいと思い、鍵を開ける。


「ただいま」


 いつも通りの玄関だ。いや、1日も経っていないのに変化があっては困るが。


「おかえり。ご飯できてるよ」


 リビングから母が姿を現す。そして俺の手にある袋を見て、少し笑った。


「あんたも買ってきたのね」


 言葉の意味が最初はわからなかったが、リビングに行くと直ぐにわかった。

 テーブルの上には、すぐにでも食べられそうな赤いきつねが二つ置いてあった。


「母さんも買ってたんだ」


 親子で同じようなことを考えていたと思うと、笑ってしまう。


「朝はごめん。俺、言い過ぎた。」

「別に、私も言いすぎたし。ごめん。」


 仲直りは簡単だった。お互いに謝って終わりだ。

 うちの親子喧嘩なんて大抵こんなもんだ。

 お互いが謝って終わり。

 そして、お互いを仲を取り持ったものが今回は赤いきつねと緑のたぬきであった。ただそれだけだ。


「ほら、食べよ。」

「うん、いただきます。」


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