淡い海辺のクロッカス

加賀山かがり

淡い海辺のクロッカス

 この海岸の近くにはもう長く戦争を続けている国があります。これは、そんな戦争ばかりを続けている国のお話、ではありません。


 戦争を続けている国のすぐ近くに誰のものでもない穏やかな穏やかな海岸線があるのです。


 そこには紫や白や黄色の花を咲かせるクロッカスの群生地があります。


 背は高くないですが、手のひら大の花を咲かせるクロッカスは毎年毎年、春になると花を咲かせます。


 塩気の風を受けながら、毎年毎年すくすく、すくすくと花を咲かせます。


 時折浜辺のカニや小さなムシが現れては花の蜜を吸ったり、花の影に入って休んでいったりします。


 穏やかな日々です。


 でも時には大きなことも起こります。例えば急にサギがやってきて、花の影で休んでいる小さなムシたちを食べに来ることがあります。


 そんなとき、サギはムシを捉えるためにクチバシを使ってクロッカスを押しのけて、千切ってしまうことがあるのです。


 クロッカスたちにはどうすることも出来ません。


 ただ、されるがままです。


 でもそんなことがあったとしても、次の年にはきちんと立派な花を咲かせます。


 他には、海岸まで迷い込んできた狼が花畑を無造作に踏み荒らしていくこともあります。


 爪と肉球が付いた狼の足によって、クロッカスの花は無残に踏みつぶされてしまうのです。


 それでもやっぱり、次の年には立派な花を咲かせます。


 そんな風にして、一年一年、新しい花を咲かせては枯れて、咲かせては枯れてを繰り返していました。


 いつの間にか、長く続いていた戦争は終わっていました。


 だけれど、休戦が長く続くことはなく、またすぐに新しい戦争が起きました。


 クロッカスの花が咲いている春も、葉を茂らせている夏も、葉が枯れ始める秋も、そして育てた球根がじぃっと地下で眠っている冬も、戦争は続いていくのです。


 そんな春先のある時、クロッカスの花畑に一人の兵士が迷い込んできました。


 この花畑に人が迷い込んでくるのは珍しいことです。


 その兵士はボロボロでした。


 あちこちから血を流して、足を引きずっていて、目だってもう良く見えていないのか、ふらふらと浜辺にある岩や流木にぶつかったり蹴躓いたりしています。


 あんまり上等な兵士じゃないらしく、身に纏っているモノは軽いモノばかりでした。


 その兵士はふらふらと花畑まで歩いてきて、そしてばたんっと倒れてしまいます。


 兵士の身体によって咲き始めたばかりのクロッカスの花が潰されてしまいました。


 だくだくと兵士の体からは血が流れだしています。


 多分もう助からないでしょう。


 少しして、その兵士はクロッカスの花畑の中心で息絶えてしました。


 誰にも看取られることなく、誰にも知られることもなく。


 それから二、三日が経って、腐肉のニオイを嗅ぎ告げた一匹オオカミがクロッカスの花畑にやってきました。


 クロッカスの花を踏み荒らしながら、オオカミが死んだ兵士の血肉をむさぼります。


 あまりおいしいという訳でもないらしく、オオカミは少し顔をしかめていました。


 それでもオオカミが兵士の死体をむさぼり続けるのは、それだけ空腹の状態が長引いていたということなのでしょう。


 たっぷりと時間をかけてオオカミは兵士の血肉を胃袋の中に収めると、また花畑を踏み荒らして去っていきました。


 その次の年、兵士が倒れた一角の花だけがやけにくっきりとした青色の花を付けました。


 紫よりもずっとずっとくっきりはっきりとした色合いの鮮やかな青です。とてもとても発色の良い青色。


 海よりも深く、空よりも澄んだ青色です。


 花畑のクロッカスたちは、その花をつけたクロッカスのことを羨みました。


 それから数年の間、そのクロッカスは同じ色の花を咲かせ続けました。


 それからまた何年かが経ったとき、クロッカスのある花畑の近くには人がいました。


 長い長い戦争が終わって、人々はビーチでバカンスを楽しむようになっていたのです。


 それでもこの場所にやってくる人間は多くはありませんでした。


 時折ふらりと現れては、少し首をひねりながら、しばしクロッカスの花畑を眺めて帰って行きます。


 このクロッカスの花畑は人々のお気には召さなかったようです。


 それが良いのか、悪いのか。

 ともかく、また数年が経ちました。


 近くにできた人間の街は燃えていました。

 何かがあったのでしょうか?


 その年のクロッカスもまた、美しい花を咲かせていました。


 大きな船が、浜辺に着きました。

 ガラの悪そうな人たちがぞろぞろと降りてきます。


 葉を茂らせたクロッカスたちは足蹴にされて、潰されてしまいました。


 そのままガラの悪そうな人たちは船には戻ってきませんでした。


 クロッカスの花畑がある浜辺に一隻の海賊船が捨てられたような形になりました。


 人が去ったあとで、海賊船の中からネズミたちが出てきます。


 ネズミたちはクロッカスの葉を齧るし、土を掘って球根を齧るしで、大変です。


 このままでは、この場所にいるクロッカスは全滅してしまいます。


 クロッカスたちが恐々していると、翼を広げたフクロウたちがひゅぅと小さな音を立てて空から降ってきました。


 彼らは近くの森に住んでいるのです。


 目の良い彼らは海賊船から這い出してきたネズミたちを食べるために音もなく空を飛んでここまでやってきたのです。


 入れ食い状態でした。


 クロッカスを食い荒らすつもりでいたネズミたちがどんどんフクロウによって連れ去られて行ってしまいます。


 残ったのはクロッカスと小さなネズミの数匹だけでした。


 生き残ったネズミたちも開けた海岸線にずっと住み続けるのは難しいので、もっと住みやすい森の方へいそいそと移動していって、残ったのは海賊船に残されたウジ虫たちとクロッカスたちだけです。


 それからまた何年もクロッカスたちは平和に花を咲かせては葉を茂らせて枯れてを繰り返していきます。


 浜についた海賊船は海水によって溶けたり、雨風や潮風によって老朽化が進み、次第に朽ちていきました。


 ある時、海賊船は音を立てて壊れてしまいます。


 その頃、人間はまた戦争を始めました。


 今度の戦争は工業化していました。


 どかん、どかん、とあちらこちらから大きな音が聞こえてきます。


 近くの森も燃えました。

 生き物が大勢逃げ惑って、行き場を失くして去っていきました。


 その中にはあのときのネズミの子孫と思わしき子たちもいました。

 人の諍いによって、多くの命が住む場所を奪われてしまいます。


 その年もまた、クロッカスは美しい花を付けました。


 普段は白や紫や黄色や青といった色とりどりの花をつけるのですが、その年は何故か全てのクロッカスが僅かに白んだ色の花をつけていました。


 人が争い合う横で、毎年毎年クロッカスは花を咲かせます。


 クロッカスも変化しないわけではありません。

 一年一年少しずつ少しずつ変わっていきます。


 だけれどそれは目に見えるほどの大きな変化ではありません。


 少しずつ花の色が変わっていったり、少しずつ葉の大きさが大きくなっていったり、少しずつ、花が咲く期間が長くなったり短くなったりといった具合ですから。


 時には病気を患うクロッカスも出ます。


 葉が黄色くなってしまったり、花が上手くつかなかったりといった具合です。伝染することもあります。


 でも、それでもクロッカスは毎年毎年、きちんと花をつけるのです。


 これがどんなに大変なことなのか、もしかしたら人間には分からないかもしれません。あるいは、動物にも分からないかもしれません。


 でもそれはお互い様です。


 クロッカスだって、人間の大変さなんて知りませんし、動物の大変さだって知りません。


 だからそれでいいのです。


 長い長い戦争は今日も今日とて続いています。


 元気に大きな音を鳴らしています。


 春の日、クロッカスが花を咲かせると、久しぶりに人間がやってきました。


 人間はどこからか持ってきた鉢に一株のクロッカスを植え替えて、これまたどこからか持ってきた椅子の上に乗せました。


 そしてそれを一心不乱にスケッチするのです。


 その年のクロッカスは黄色いまだら模様の花が大層美しく咲いていました。


 だというのに、その人間はただ真っ白いだけのクロッカスをスケッチしています。


 その人間は日が暮れるまでずぅっとずぅっとスケッチをし続けていました。


 日が暮れても、延々とスケッチを続けます。


 明りらしい明かりも持たずに、ただただ、付きの明かりだけを頼りにスケッチを続けて、真夜中を少し過ぎたころにようやく終わったのか立ち上がって、鉢に植え替えた真っ白いクロッカスを地面にそっと戻して、それで帰っていきました。


 不思議な出来事でした。


 その翌年にもクロッカスはやっぱりたくさんの花を咲かせました。


 大嵐が来ました。


 とても大きな嵐です。クロッカスたちがこれまで経験したことのない物凄い大嵐なのです。


 空が裂けるような雷が鳴って、地面が崩れるような土砂降りの雨が降ります。


 波が大きくなって、ざばんざばんと押し寄せるのです。


 このままでは海水で流されてしまうかもしれません。


 それに海水が地面に染みてしまうと土中の塩分濃度が上がってクロッカスたちは枯れてしまうかもしれません。


 戦々恐々です。


 ですが、どうすることも出来ません。

 ただただ天に朝顔に祈りを捧げるのみです。


 大嵐の影響で、久しぶりに戦争の音が止みました。


 代わりに色々散々です。


 花畑のみんなで祈って祈って、祈りをささげて、一晩明ければ、相変わらず雨は降っているモノの、海は随分と大人しくなりました。


 何とか、花畑の壊滅は免れられそうです。

 次の年、花畑の規模は少し縮みました。


 でもまたこれから、少しずつ戻していければそれでいいのです。


 相変わらず人間は戦争を止めません。


 来る日も来る日もドンパチドンパチと怒号と炎煙を上げ続けています。


 そんなときに一人の子供がこの花畑にやってきました。

 その子は珍しいことにクロッカスたちに話かけてきます。


 どうやらお母さんが病気らしいのです。

 お母さんに元気になってもらうために、お花が欲しいらしいのです。


 クロッカスたちは嫌がりました。

 人間はいつも戦争をしてばかりいます。


 そんな場所に連れていかれるのはごめんです。当然のことです。

 でも、子供にクロッカスたちの声は届きません。


 だから一株のクロッカスが引っこ抜かれて連れていかれてしまいました。

 それが良いことなのか悪いことなのか、誰にも分かりません。


 ただ、その一株がぽっかりと抜けたままで、来年も再来年も、そのまた次の年も、クロッカスたちは花を咲かせます。


 そう、ずっと、ずっと、長い事、長い事、そうしてきたのですから……。

 これからも、これまでも、ずっとずっと、変わらずにこの場所で咲き続けるのです。


 この浜辺がクロッカスが花を咲かせるのに最適な環境であり続けるうちは……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

淡い海辺のクロッカス 加賀山かがり @kagayamakagari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説