第6幕 縁の結末
先輩のアパートの前につくと、案の定、フラッシュが焚かれた。
「芳賀さんですか?」
名前までバレている。プライバシーも何もあったものじゃないな。
僕は呼吸をひとつした。
「そうですけど、何か」
「綿貫露店の瀬野さんとお付き合いされているのは本当ですか」
僕はあえて笑った。
「本当だとしたら、どうするんです」
「そ、それは……」
記者が怯んだところで、僕は背を向けた。
「書いてもらって結構ですよ。後、僕の写真も掲載していただいて大丈夫です。そちらのほうが、彼に妙な虫がつかずに済むと思うので」
背後は静まりかえった。しばらくして、ひとつ口笛の音が聞こえた。僕は平然とした足取りでアパートの階段を昇っていった。
「……おかえり」
スウェット姿の先輩が大きくドアを開けた。
「……ただいま」
抱きしめて家の中に入る。背後で扉の閉まる音がした。壁においつめて、口づけた。甘い香り。準備してくれてる。
「……記者になんか言ったん」
「内緒です」
「俺とお前の間に秘密はナシやろ」
「ふふ、顔写真乗っけて大丈夫です、って伝えました」
「な……」
先輩は絶句した。
「そんなことしたらお前、」
「いいんです。だって不公平でしょ」
「別にそんな……」
先輩は考えを巡らせていたが、やがてひとつため息をついた。
「……もうええ。言うてもうたんやもんな。そのかわり、相応のことは覚悟しぃや。でも、なんかあったらすぐ言ってな」
「……はい」
唇を彼の首筋に滑らせた。膝の力が抜けたのか、座り込んだところを、追いかけていって腰に指を這わせる。
「ん、や、ぁ、」
「力抜いてください」
「こん、な、ところ、で、」
「大丈夫です、みんな寝てます」
Tシャツを脱がせた。胸の先端を指と舌で愛撫しながら、片方の手で彼に触れた。
「あ……ぁ、」
するりとボトムスも脱がせる。唇を押しつけると、先輩は抵抗した。
「……やめ、きたないで」
「そんな訳ないじゃないですか」
愛撫を続けていると、先輩はようやく大人しくなって控えめによがりだした。
隈なく、彼の気持ちいいところを重点的に触れていく。彼はもどかしげに眉を寄せて僕を見た。
「ゆう、た、も、う、」
「なんですか」
はっきり言えないらしい。
「言ってくれなきゃ、わかりません」
「は、」
いじわる、という目でこっちを見てくる。
「どうしてほしいんですか」
「……ゆうた、の、いれ、て、ほし、い」
「……いいですよ」
丁寧に解して、ゆっくり体を傾けさせる。律動を開始すると、羞恥に染まった先輩の顔が、気持ちよさげに溶けていく。
「ずっとここにいていいですか」
意味のある言葉が出せなくなっている先輩は、僕を見てただ何度か頷いた。愛おしくてたまらなくなって、抱きしめる。夜が押し寄せてきても構わないと思った。なぜなら、今度は僕が彼を守る番なのだから。
『瀬野聡のイケメン彼氏の独占欲』という見出しにはさすがに笑った。
「なんやねんこれ……お前こんなこと言ったんか……」
雑誌を持ったまま顔色を赤や青にしている先輩の肩に手を置く。
「言ってしまったものは仕方ないですからね」
「とうとう自分の顔面を利用したな」
「これで軒並みのアンチが黙りましたね」
「「美形の彼のこの一言に、さすがのアンチも押し黙るだろう」がその通りになってもうて」
「内心死ぬほど恥ずかしかったですけどね。ささ、お祝いにシャンパン開けませんか?」
「……せやな」
ほおり投げられる雑誌。音を立てて瓶の蓋が開く。
「一年お疲れ様でした」
「いやー、長かったな」
「ほんとに。……待ってください、僕ら出会ってからまだ2ヶ月弱しか経ってませんよ」
「ほんまにな。そんな気せーへんけど」
「同感です」
「な。……うわ、シャンパンうま」
「こんな肉食べれますかね」
「いけるんちゃう?」
「いっぱい食べてくださいね。……あ、漫才王やってますよ」
「うん。あー蘇我フェニックス出てるぅぅ」
「3回戦で競った相手だから意識しちゃいますよね。うわー今回はどこの骨の話するんだろ」
「いや、さすがに骨縛りはしてないやろ」
「あ、一番手ですよ。……えっ喉頭隆起だと……」
「喉仏か……もうネタというより人物が怖いわ」
「まさかほんとに縛ってくるとは……もはや骨フェチなのでは」
「地上波で嗜好擦ってくる奴……おもろいから放映許されてるんやろな……」
「ほんとに。……うわ、喉仏のボーリングとか……」
「設定からしてグロぉ……」
喉を手で押さえながら、しばしテレビに集中する。
「先生、引きつった笑いも笑いの内ですか」
「そうやな。方向性としては今までなかったけど、全然ありやと思う。漫才は自由じゃないとあかんからな」
「勉強になります」
「俺は好きちゃうけどな! 人には安心して笑ってほしいから」
「聡らしいです」
先輩の前髪を撫で、頬を赤らめる彼の顔を鑑賞しながらグラスを傾ける。とても美味しい。
「……こほん、では」
先輩が僕の手から逃れるようにくるりと後ろを向き、何やら手に持ってきた。
「えっ何ですか」
「瀬野サンタからのプレゼント」
「うっわ嬉しい……あ、」
包装紙の奥から、あの児童書が現れた。
「『愛の時の果てに』だ……!」
「やっと読めるな」
「……泣きそうです」
古本の香りに心が躍った。先輩の隣に座って、本をそっと開く。
「……この主人公、フィーリアっていうんです。ずっと好きで」
「ふうん。こういう綺麗なのが好きなんやな」
そうです。あなたみたいな。
字が大きいから、すぐに読み進められる。結末は分かっていたけれど、やっぱり文体が美しいからか、陶然とした心地になる。最後のページで一抹の寂しさを残しながら、本を閉じた。
「……へぇ、ハッピーエンドやな」
「えっ?!?!」
先輩の一言に仰天して、思わず大きい声を出してしまった。
「ハッピーエンド?!?!」
「え、だってそうやん。星の国に行ったアンジェと文通続いてんねやろ? 未来ある終わり方やん」
「でっでも、星の国ってたぶん死の隠喩ですよね」
「なんでそうなんねん。亡命したんやろ。好きな奴ほったらかして自分から死ぬわけないやん」
「……うわぁぁ、確かにそうだ」
「ま、あくまで俺の解釈やけどな」
「……僕もそっちのほうが好きです」
「むしろなんで亡くなったと思ったん」
そう言われて、僕は自分の性向をまだ心の奥底で報われないものだと思っていることに気づいた。
「……そうですね。たぶん、そうなるものだと思っていたからじゃないかと」
「報われへんもんやって?……お前、よく俺の前でそんなこと言えたな」
先輩がむっとした表情で僕に顔を近づけた。
「ハッピーエンド以外ありえへんやろ?」
「……そうですね」
先輩の瞳の真っ直ぐさににくらりときながらも、ちらりと両親の顔が思い浮かんだ。途端に暗澹たる気持ちになる。
「何よ、どしたん急に暗い顔して」
「……倒すべき人の顔が浮かびました」
「何それ」
「説得しなければならない人です」
「ふうん。……親御さん厳しいの」
「当たりです」
僕は、積年の両親との複雑な関係を先輩に話した。黙って聞いていた先輩は、眉を寄せて
「大変やったな」
と呟いた。
「弟はまだ家にいるんです」
「学費はちゃんと出してもらえるんか」
「……分かりません。前久しぶりに電話した時は何も言ってませんでしたけど……」
「どうなんやろな……」
「……聡の家族は仲良さそうなイメージです」
「貧乏やけど、確かに仲はええな」
「羨ましい」
「親父がちゃらんぽらんやから、オカン主導でなんでも決まってたな。ま、愛人とかゴロゴロ出てくるし、変は変やで」
「綿貫さん以外にも」
「アホやからな」
その時、先輩のスマホに電話がかかってきた。
「出てええか?」
「どうぞ」
「悪いな」
先輩が渋面で電話に出た。
「なんや花田。……え、何? 誰に? 裕太にぃ? どこのツテやねん。……あぁ、あそこか。……うん、分かった。とりあえず伝えとくわ」
電話を切り、先輩は僕を見つめた。
「……裕太」
「な、なんですか」
「モデルの誘いやって」
「…………は??」
とっさに意味が分からなかった。
「え、ど、どういうことですか?」
「週刊誌の写真やろな。確かにあれいい写りやったし、こういうこともあるか……」
「いやそんな」
「とりあえず事務所行ってみ? あそこはまぁ大手やし、変なことにはならんやろ」
「は、ぁ……」
「ま、お前の人生やから下手なこと言われへんけどな」
骨付き肉をもぐもぐする先輩。
「えっなんとか言ってくださいよ。ちょっとどうしていいかわから」
「食べへんの?」
「食べます。……あの、僕も聡に渡したいものがあるんですけど」
「なに」
「これです」
気を取り直して、後ろ手を回してプレゼントを取り出す。なになに、と言いながら綺麗に包装紙をはがしてくれる先輩。
「……包丁やん」
「手が切れないタイプのものです」
「うわ、嬉し……。料理しよ」
「で、提案なんですけど、おせち料理一緒に作りません?」
「あぁ、ええな」
先輩が嬉しそうに微笑む。夜は更けていく。
僕はスマホで先輩におすすめの料理を見せた。
「これええやん」
「こっちも作りやすくて美味しいかと」
外では雪が降っているらしいが、暖かさに包まれている僕らには関係のないことだった。
笑いの時の果てに はる @mahunna
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★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 15話
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