第4話

 荻野ゆすら。

 昔から、自分の氏名が嫌いだった。

 苗字は「オギノなのかハギノなのかわからない」と言われ、名前は「強請ゆすりみたい」と笑われる。

 苗字については「オギノです。オギちゃんと呼んで下さい」と自己紹介するきっかけになると思っていたが、「オギちゃん」呼びは浸透しなかった。

 「ゆすら」と名づけたのは祖母で、ユスラウメから取ったと聞いたことがある。ただ、祖母以外誰もユスラウメを知らない。

 物が無くなった騒ぎがあれば、ゆすらが真っ先に疑われた。名前の響きが「ゆすり」みたいだから。

 今は、名前ですら呼ばれない。



 ふなつメンタルクリニックの受診から数日後のことだった。

「彼女ちゃん、駄目じゃないの」

 ゆすらが患者に点滴の針を刺していると、ベテランの看護師が話しかけてきた。

 ゆすらは、点滴を間違えたのかと思って強張ってしまったが、仕事とは関係ない話だった。

「彼氏くんの電話もメールも無視しているんだって? 彼氏くん、落ち込んでいたわよ」

 彼女ちゃん。それが今の、ゆすら。

「この子、彼氏がいるの?」

 いわゆる「おばちゃん」な患者は、点滴を受けながら目を輝かせる。

「違います」

 ゆすらは否定し、点滴の滴下速度を確認する。

「私は誰とも付き合っていません」

「お付き合いしているのと変わらないじゃない。もうすぐ結婚でしょ。皆、応援しているわよ」

「嘘をつくのは、やめて下さい。患者様の前です」

「彼女ちゃんは言葉を選ばないのね。そんなんじゃあ、この仕事は続かないわよ。でも、結婚したら選択肢は増えるわね。正看護師セイカンなのに何もできないんだから、寿退社も良いわね。出来の悪い子ほど可愛いって、彼氏くんも言っていたし、ラブラブのカップルじゃないの。このこの、お熱いんだから」

 ゆすらは毅然と否定するが、ベテラン看護師も引かない。患者はベテラン看護師の話を信じてしまい、ふたりで盛り上がってしまった。

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