第2話

 ふわふわと、ほろほろと、歌が聞こえる。懐かしい童謡。

 北原白秋の「赤い鳥小鳥」だ。



 赤い鳥、小鳥。

 なぜなぜ赤い。

 赤い実をたべた。



 幼い頃を思い出して、心が綻んでしまう。

 童謡を口ずさむのは、彼だ。

 幸せだった頃の記憶。幸せだったあの頃に戻りたい。

「……あぐちゃん?」

 ゆすらは、重いまぶたを開けた。

 ここがどこなのか、わからない。自宅アパートでないと気づき、重い体を起こした。

 ふなつメンタルクリニックの待合室のソファーだ。

「おはよう、ゆっちゃん」

「あぐちゃん……!」

 重い。頭も、体も、心も。

「大丈夫。深呼吸して」

 ぐらついた体を、彼が支えてくれる。

「ごめんなさい。倒れちゃったみたいで」

「いいんだ。あえて起こさなかった」

「……あぐちゃん、だよね?」

「いかにも。実家が近所だった、船津ふなつ阿久利あぐりだよ」

 ゆすらは、俯いて小さく息を吐いた。

 船津阿久利。あぐちゃん。7歳離れた、近所のお兄さん。もう32歳になるだろう。昔から王子様みたいに格好良かったが、大人になって一層磨きがかかった。

「お医者様になったんだね。開業されるなんて、すごい」

「すごくない。借金だらけだ」

飾らないところは、昔と変わらない。

「よく寝ていたよ。可愛かった」

「寝てた? 私が」

「真面目なんだね、ゆっちゃんは。真面目だから、疲れが取れないくらい悩んでしまう」

 彼はソファーに腰を下ろし、ゆすらの肩を抱く。

 一瞬、ゆすらは胸が高鳴った気がした。テレビドラマのラブシーンみたいだと思ってしまった。

 でも、彼にとっての自分は、ただの近所の子。良く言っても、妹みたいな子。何とも思っていないから、きっと平気でこんなことができるんだ。

「ゆっちゃん、看護師さんになったんだね」

「……うん。でも、正看護師セイカンのくせに何もできないって、言われる」

「ゆっちゃんにそんなことを言う人は、俺が排除してやる」

「やめて、そんなこと」

「冗談だよ」

 彼は陽気に笑い飛ばす。常夜灯だけが点いた待合室に、明るい笑い声が弾んだ。

「でも、俺は許さない。眠れなくほどゆっちゃんを苦しめる人を」

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