赤い実の幸せなまどろみ

紺藤 香純

第1話

 夢のようだった。

 王子様みたいなお兄さんがすっかり大人になって、白衣が似合うお医者様になった。

 そのようなこと、とても恥ずかしくて本人には言えないけれど。

 泥にまみれたように不明瞭な頭でも、彼は昔と変わらず華やかに思えた。

荻野おぎのゆすらさん。ご職業は、看護師。もう25歳か」

 問診票を確認され、ゆすらは頷いた。

「初診のかたには必ず自己紹介しているんです。『ふなつメンタルクリニック』の船津ふなつ阿久利あぐりといいます。改めて、よろしくお願いします」

 耳に心地良い、よく通る声。ミュージカル俳優みたい。書斎みたいな雰囲気の診察室はとても静かで、ふたりだけの空間だと、ゆすらは錯覚してしまう。

 こんなにゆったりした場所ならよく眠れるかもしれないのに。そんな無いものねだりをしてしまう。

「えっと……症状は、不眠、倦怠感、些細なことでびくびくしてしまう、すぐに頭の中がパニックになってしまう……」

 みみずがのたくったような筆蹟を、良い声で読み上げられる。大変でしたね、とか、つらかったですね、とは言われない。変に同情されないことが、ゆすらには、ありがたかった。

「症状が現れたのは、半年前?」

「はい。梅雨入りした頃に、些細なことでびくびくして、頭の中がパニックになってしまい、そのうち眠れなくなって、いつも体がだるくて……休職したいと思っているんですけど、2、3年目のぺーぺーが休職するのは無責任な気がして……なんか、皆に申し訳なくて……」

 話し始めたばかりなのに、涙が出てしまう。息ができなくなって、頭に酸素がまわらなくなってしまう。彼の顔を見ることができず、俯いてしまう。

「ごめんなさい……こんな弱い人になってしまって」

 膝の上でこぶしを握りしめ、ごめんなさい、ごめんなさい、とあやまることしかできない。

 握りしめた手に、涙が落ちる。その手を、大きな手に、そっと重ねられた。

 王子様みたいに華やかなのに、昔から野球が好きだった、大きな手。小さかったゆすらがはぐれないように手をつないでくれた、頼もしい手。その手が、握りしめたこぶしを優しくほどいてくれる。

「ごめんね。もっと早く助けられなくて」

 抱きしめられ、背中をさすられ、優しい言葉で甘やかされて、泥のように不明瞭な意識が、ふわふわと浮いてしまう。

「あぐちゃん」

 昔のように彼を呼ぶと、ゆすらも、昔のように呼ばれた。

「ゆっちゃん」

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