妻
離婚届けと一緒に入っていた手紙を見た瞬間、嫌な予感しかしなかった。
先月末に旦那の弁護士に郵便で送った離婚届けが、一ヶ月経った現在、やっと戻って来たのだ。
そもそも、旦那は離婚を承諾したものの、離婚届けは送って来なかった。
「待っていても良いですけどね。多分、こちらから送った方が早いです」
私の担当となってくれた女性の弁護士さんは、そう言って、私が先に書いた離婚届けを、旦那の弁護士に届けてくれた。
そうすると、二週間ぐらい経って、旦那の弁護士から、「離婚届けを出すのを、再来月末まで待って欲しい」と連絡が来たらしい。
その理由は、「親族の人が入院したから、弁護士事務所に来られない」とのこと。
正直。
そのことを聞いた時、「はい?」となってしまった。
「まあ、あるあるなんですよ」
通話越しの弁護士さんは、苦笑しながら言った。
「離婚前にね、『迷い』が出るんです。『まだやり直せるんじゃないか』ってね」
その言葉を聞いて。私は、ため息しか出て来なかった。
「なら、あちらの方に『離婚届はこちらで出すから、今月末には必ず届けて欲しい』と伝えて貰えますか?」
「わかりました。それと、お手数なんですが、お願いがあります。旦那さんに、お手紙を書いてくれませんか?」
しかし、弁護士さんのこの言葉には、目をぱちくりとさせてしまった。
「お手紙があちらに届くことで、旦那さんを弁護士事務所に呼び寄せやすくなるんですよ」
「ああ、なるほど」
ただ。弁護士さんの方にも、「策略」はあるようで。
私は、「わかりました」と頷き、その後通話を切った。
が、しかし。
改めて、旦那に「手紙」と言う物を書くとなると、考え込んでしまった。
結婚している間、何通か旦那から貰った手紙はある。
でもそれは、私にとっては、「注文書」だった。
結婚するまでは、旦那のことは不器用だけど、一生懸命私を喜ばそうとしてくれる人だな、とても良い人だな、と思っていた。
この人とならば、私は協力して結婚生活を築いていけるだろう、と。
だけど。
結婚して一緒に暮らし始めた頃。
旦那が、お弁当仕様にしていたおかずを勝手に食べてしまったことがあった。
シリコンカップにおかずを入れていたので、どうしてそれを「勝手に食べていい」と思ったのは謎だが、仕事をして家事もこなしていた私には、それは本当に「迷惑」な話で。
さすがに、激怒して、旦那には自分のご飯は自分で作るように言い渡したのだ。
そうしたら。
こんな手紙が、私の部屋のテーブルの上に置かれていた。
『ケンカして辛い。俺が勝手におかずを食べたことは悪かったと思っています。これからは、何事も約束事を二人で決めていきたいです。そして、あなたの作ったご飯も食べたい。本当は、仕事も辛くて、転職したいけれど、相談して良いかわからなかったし、「来てくれないか」という会社もあるけど、給料はそこも安いし、新人さん達も、全員辞めてしまって、辛いです』
これを読んだ時。
要は、旦那は「自分は辛い目にあっているから、責めないでくれ」と言いたいんだな、と私は思った。
旦那は、私にこの手紙を読んで、『そんな辛い目にあっていたのに、気付いてあげられなくて、ごめんね。明日からご飯作るから、頑張ってね』と反応して欲しかったのだろう。
だけど、私はそんな反応するわけもなく。
どうにか夫婦で協力する体制を築けないか、と思っていた。
どうも旦那は、結婚したら、妻が何でもしてくれて優しくしてくれる、と思い込んでいたらしい。
私は、旦那が「セックスができない」人だと気付いた時も、「できないなら、できるように努力しよう」という考えの基、その解決に向けて動いていた。
それは、旦那との関係も同じで、旦那が言葉をあまり話すことが得意じゃないとわかっても、「なら、話せるように努力しよう」と思っていたし、「その過程で何か不都合があれば、やり方を変えていけばよい」と思っていた。
でも、そのことは旦那には、「辛いこと」だったのだろう。
そして、私が「自分のことは自分でしよう」という体制を打ち出したことも、仕事を優先することも気に入らなかった様子で、だんだんと不満を溜めて行っていることはわかっていた。
だけど。
旦那が求める「結婚生活」は、私か旦那が専業主婦(夫)になるしかないのだ。
だから、セックレスのことも含め、「結婚生活をどうしたいか考えて欲しい」、と旦那に伝えたのが結婚して半年経った頃だった。
その時、旦那が私の部屋に置いて行った手紙には、こう書かれていた。
『あなたの話しを聞いて、考えました。
僕はあなたとの結婚生活を守りたいと思っています。あなたは「僕の望み通りできない」と言っていたけど、僕も手伝うから、頑張ってください。愛しています。今日は夫婦にとっての記念日でもあります。一緒に成長していく記念日にしましょう』
この手紙を読んだ瞬間、私は「違うわ!」と叫んでしまった。
私だけが努力して維持する結婚生活など、私は考えられなかった。
お互いの言い分を出し合い、落としどころを見つけて、生活を築いて行く。
それが、私の描く結婚生活だった。
でも、旦那は自分を優しく包み込んでくれる妻との生活を望んでいて。
その後も、一緒に習い事をしたり出かけたりしたけど、自分の望んでいることを叶えて貰えない旦那は、ますます自分の部屋に閉じこもるようになった。
「注文書」に書いた通りにしてくれないと、ここから出ない。
旦那は、そう部屋から出ないことで、私にアピールしているようだった。
だから。
私は、腹を決めたのだ。
その部屋から出ない旦那を置いて、私の方から家を出ることを決めた。
そして、今後の話し合いをするつもりでもいた。
そのことを告げた次の日の夜に、やはり手紙がテーブルに置かれていて、
『もうどうしても無理ですか? 猶予というか、一度だけのお願いでも無理ですか? はっきり言えなかったけど、口の中に出来物ができていて、癌の可能性もあるそうです。今は大学病院の受診前で、不安に陥っています』
と、書いてあった。
私はその手紙を見て、ため息しかなかった。
何故、この時に。
「病院に行っている。癌かもしれない」と書いて来るのか。
結局、これも「癌かもしれない僕を捨てないで」という「注文書」なのだ。
幸いなことに、旦那は癌ではなかったものの、私の「離婚について話し合いたい」という言葉には、逃亡を決め込んでしまった。
結局のところ。
「今後は、私を通してください」と、弁護士から連絡が来てしまったのだ。
私としては、「離婚」を覚悟の上で、旦那と今後の結婚生活を話し合いたかったのだけど、それは、旦那にとっては辛いことだったのだろう。
私は旦那への手紙は、
「きちんと次の人とは話し合いしなさいよ」類のことを書いて、自分の弁護士へと郵送した。
私が弁護士を頼んだのは、「もう、旦那と話し合うことはない」と判断したためだった。
もう、直接話し合っても、分かり合えないのだ。
私は、旦那の手紙をそのままテーブルの上に置くと、便箋を引き出しから出して、手紙を書き始めた。
『あなたへ
手紙、預かりました。でも、ごめんなさいね。これは読まずにお返しします。
自分は手紙を書いていたからどうかと思ったんだけど、私があの手紙を書いたのは、私達の結婚を未来に生かしてもらいたかったから。あなたからの手紙を読んで、私は「未来」に思いを馳せられるのかな、と思ったら、「読まずにおこう」と判断しました。これからは何かあったら、弁護士さん経由で連絡お願いします』
手紙を一気に書き上げて。
私は、不思議とすっきりした気分になった。
もう二度と。
私は、旦那から手紙を貰うことはないだろう。
「注文書」と思った、その手紙を。
そのことが、何だか少しだけ嬉しいことのように思われた。
手紙―視点― kaku @KAYA
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