良い場所であるが、何処にもない


『ID:99ew65j48p6、今すぐその行為を止めなさい』


 警察官の格好をした、二足歩行のオレンジ色のライオンが、見事なたてがみを靡かせながら銃を構える。

 黄金色の鬣は、虹のような光を跳ね返す。


『嫌だね』


 ピンクやミントグリーンといったそのパステルカラーを特徴とした、まるでお菓子の国のような都市に似つかわしくない、全身血塗れの口の裂けた道化師が、ロリータファッションに身を包んだトカゲの顔をしたアバターをナイフで滅多刺しにしている。

 ぐったりとしたトカゲ顔のアバターは、服はズタズタになり、刺される度に、その衝撃で身体が大きくしなり、血が飛び散る。ログアウトする間もなく感覚機能をオフにする余裕さえないまま襲撃されたのだろう。その様子では、脳に損傷が出ているのは間違いなかった。


 この衝撃的な光景を遠巻きに眺めているアバター達の表情は様々だ。


 可哀想だと顔を顰める者。

 ニヤニヤと笑みを浮かべる者。

 口に手を当て涙を流す者。

 ただじっと観察する者。

 

 犯罪の光景に出会すことは、刺激の少ない日常型世界仮想空間に於いては、一級のエンターテイメントだともいえる。感覚機能さえオフにしてしまえば、例え襲われたとしても自らの脳に損傷は受けないからだ。

 つまり参加型のショーが始まったようなものである。



『直ちに止めなければ、あなたは処分対象になります』


『だから?』


『警告は、しました。あなたの強制ログアウト機能を行使します』


 ライオンの警官が手に持つ銃を道化師に向け、発砲した――。





 「オレは、さ。こうして、ずらっと並ぶ脳ミソあんた達を見ながら思うわけだ。お前らは仮想空間で生きているつもりらしいが、その脳ミソを管理している奴が存在していることに気づいているのか、とね」


 椅子の背凭れに寄り掛かると、コントロールパネルが表示された透明なテーブルの上に長い両脚を投げ出すようにして座っていた青年は、咥えたロリポップをコロコロと舌で左右に動かしながら誰にともなく呟く。

 彼の目の前には、タワーと呼ばれる円筒形のコンピュータがあり、それを取り囲むようにずらりと並ぶのは、タワーと接続するためにそれぞれの容器に満たされた液体に浮かぶ個々の脳である。


「オレと脳ミソあんた達は、どっちが幸せなんだろうな? オレには身体があって、そっちにはナイだけで使われてる立場なのは同じ。実際には自分がどんな状態か知らずに、まあ無防備なことに、ぬくぬくと液体の中に浸っているけども、果たしてどうなの、そこに危機感は……ねぇわな。どうするかなぁ。そろそろ肉体を捨てる選択を迫られる年齢としになっちまったオレとしては、悩むんだわ」


 現実世界でも仮想空間に於いても、直接的にせよ間接的にせよ、何かが起れば脳に損傷を受けさせないため即座に機能をシャットダウンし、それらが回復すれば直ちにバックアップシステムが作動する仕組みである。

 仮想空間内でのみサイバネティック・アバターとしている人間は、危機回避能力が低下しつつあった。事実、その世界に危険は殆ど無いのだから、使わないものが退化するのは当たり前であり、それはまた同時に、ある種の進化でもある。

 そして肉体を手放し、脳だけになった彼らを正しく管理出来るのは、結局のところ人工知能を持つロボットや、脳による遠隔操作ロボットではなく『生身の人間』にしか出来ないことだというのが分かったのも、大部分の脳を喪失犠牲にした後のことであった。


 この犠牲によりつまりは、従来通り肉体を持つ人間にしか出来ないこともあるのだということが分かったのだ。


 第六感と呼ばれる未知の領域を持ち、指先が0.001ミリの誤差を感知できるのは、肉体を所有する脳にしか出来ないという不思議は広く認知されるも、そのことは、未だ持って解明されていなかった。

 何故、そのようなことが起こり得るのか、その不思議を解明する前に人間は、それを不老不死の前には些末な事だとして肉体を手放すことになったからである。


 放射線廃棄物の最終処理手段も、結局は『臭い物には蓋をする』との方法しか見出せないままに使い始めた人間だ。

 脳も同じ。

 解明に至らない未知の領域がまだあるにも拘らず、老いてやがて機能を止めるしかない肉体と切り離し、さらに人工知能もまた、現実に起こりうる問題すべてに対処することができないというフレーム問題さえ未だに解決に達してはいなかったが、不都合なことには目を向けることはなかった。

 何故ならそこに実際の不都合は無かったのである。人工知能の不足を補うためには、『肉体を持つ人間道具』を必要数生産し、その彼らの脳に必要なことを都度インストールして人工知能と併用して使役すれば良いだけと分かったからだ。



「無駄口を叩いてないで、仕事しなよ」


 何もない空間にホログラムが浮かび上がる前の、ほんの一瞬、その電子音が鳴る前にそれを感知した青年は、ロリポップを口から出すと端正なその顔に人懐っこい笑みを浮かべ、映像が浮かび上がるのを待っていた。


「あら〜聞こえちゃいました? はいはい、分かっていますよ。だいじょーぶですって。管理官殿。こう見えてオレって奴は残念なことに真面目しか取り柄がないんです。誠心誠意、お仕事に邁進しますとも」


「本当にお前のような者が、ここまでよく処分対象にならなかったと思うよ」


「オレのいたプラントは、親が甘くてね。管理官は、何処のプラント出身で何期生なんですか?」


「それは、仕事に関係ないよね。お前に答える必要があるわけ?」


「うーん、ナイようなアルような。強いて言えば、お気に入りの管理官に対する個人的な興味なだけです。そういや、このホログラム、いじってます? これなら仕事に関係してるでしょ?」


 空間に浮かぶのは、18歳くらいの少年とも少女とも分からない人物だった。

 緩いウェーブを描く柔らかそうなハチミツ色の髪の毛は、耳のすぐ下の長さに揃えられ、スミレの花の色をした瞳は、その優しい色とは違って意志の強さを秘めているように見える。


「ホログラムはいじってない。だけど、それも仕事と何の関係がある?」

「ですよね〜。だと、思いました」


 再び青年は口の中にロリポップを戻すと、管理官の姿を映し出すホログラムに向かって首を傾げた。


「で、何なんです? タイミングよくオレの独り言を覗き見してたわけじゃないんでしょ? それともずっと覗いてたとか?」


 青年のぽっこりと膨らんだ頬に、ちらとスミレ色の瞳が動くも、それに対する言葉はないようだった。


「お前にもテロ予告の通知が来ただろ?」


「来ましたけど、オレんとこの脳ミソじゃないと思って放置してたんですよね。有名になりたいとか、目立ちたいとか悪戯でこんなことするなんて馬鹿な奴ですよね。いくらアバターのユーザーIDが複数あったとしても全部マイナンバーに紐付いてるんだから誰がやってるかなんてこっちは秒で分かるのに。それに例え悪戯でも待っているのは問答無用の処分って……まあ見方を変えればコレが『脳ミソ人間』が自殺する唯一の方法なんですけどねって……もしかしてアレ? わざわざ管理官殿が現れたということは、つまりその脳ミソがオレのとこの施設のやつってことですか? うぇー……面倒くせぇな。どうせこの自殺方法ウィルスが周知される前に強制シャットダウンの警告が出るんでしょ? 脳ミソの廃棄はアップデート隠蔽工作のその最中にでも、ちゃんとやりますから。オレって繊細だから、ぬるぬるの脳ミソ触るの苦手なんですよね」


「いや、違うから。今回のテロ予告は仮想空間内の大量虐殺を予告しているのではなくて、真の自由解放とやらを宣言しているんだよ」


「はあ……つまり?」


「通知はちゃんと読みなよ。いくつかの脳保管施設の破壊だってことで、お前のとこの施設No.が上がってるんだ」






 

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