六章 変わりゆく季節の先は(3)

 一周目の未来で得た知識と経験を総動員して、セレナは破壊の魔術式をテオから少しずつ除去していっていた。多大な苦痛がテオを苛んでいる。設備も時間も足りない。だけど、やるしかなかった。

 長机に寝かせたテオは、処置の際にことさらに平然とした態度を取ろうとしているように見えた。痛みだけでなく間に合うかどうか不安だろうが、一度やると決めてからはテオは憂慮を口にすることはなかった。

 それから――この状況は否応なく、テオが子供の頃に親から施された魔術の実験や、魔術式を刻まれたときのことを思い起こさせるもののはずだ。

 そうした過去と決別させるためにも、不安定な状態で残されている破壊の魔術式をどうにか処理してしまいたかった。

 決行日の前日。祭りに参加する生徒が学院に残って夜になっても準備を進める中、セレナとテオは開かずの間で時間と戦っていた。

 ここまでぎりぎりになるとは思っていなかった。だが、あと少しで除去できそうなところがあった。

 夜も更けてきた頃、破壊の魔術式のすべてを除去できたわけではないが、魔術式を構成している一部分を取り除くことに成功した。ここさえなくなれば、魔術式は発動しなくなるという部分だ。

「これでもう、暴発することはないはず……」

 集中して細かい作業を続けていたセレナは、疲労とともに達成感を覚え、テオに微笑みかけた。

「テオ。あなたはもう、魔術式によって死ぬことはないわ」

「セレナもこれ以上、過去に戻ることはなくなったんだな」

 自分のことよりもそれが一番の成果だと言わんばかりに、テオは目を細めた。

 明日の決行日、テオは学院を脱出する。

 祭りの夜、シャルロはテオに似せて作った死体を殺し、他の生徒に発見させる。それを知らされた学院長は、シャルロからテオの魔術式が暴発しそうだったから殺したという報告を受け、事件を表沙汰にすることなく、内々に処理するだろう。

 セレナは魔術学院に残る。最初は一緒に脱出するか、あるいは退学することも考えたが、テオの死と同じ時期に学院を去ると学院長に怪しまれる可能性があるからと、残留することを決めた。

 卒業するまでの三年弱、普通に学院で過ごして、その後テオと合流すればいい。互いの安全のためならば、三年離れ離れになるくらい、なんてことはなかった。

「明日、絶対に無事に学院を出て」

「ああ」

 長机に腰かけたテオと向き合い、互いの手を重ね合わせる。薄暗い隠し部屋の中で、手元を照らす灯りに照らされながら、二人は口づけを交わした。



 祭りの日の朝。寮の廊下でテオがシャルロと行き会った際、世間話のように軽い調子で言われた。

「この一件が成功したら、なんというか――肩の荷が下りるな」

 セレナの話によると、魔術式が暴発した際に、シャルロが殺して止めたこともあったという。いまにして思えば、酷い役回りを命じられていたものだ。

 空き教室でセレナと会話をしていたときのような盗聴の魔術は、ここ最近は仕掛けられていることはなさそうだ。だが念のために言葉を選びつつ、これまで抱えていたことをテオは口にした。

「君のことを信頼しきれず、すまなかった」

「へえ。じゃあ、いまは信じてくれてんのか」

「何事もなく今日が終わったらな」

「用心深いことで。でもそれでいいと思うぜ」

 食堂のほうからシャルロを呼ぶ声が聞こえてきて、シャルロはそれにいつもの調子で返事をした。そして歩き出しながら、テオに笑顔を向けた。

「じゃあな。もう二度と会うことはねえだろうけど」

「……ああ」

 学院長の計らいで引き合わされた分家の少年。彼に完全に心を開いていたわけではなかったが――腐れ縁が続いた相手がシャルロでよかった、といまになって思った。



 十月末の祭りの日は、学院外からも多くの来客が来る。そのときに乗じて脱出しようという作戦が、実行に移された。

 テオの姿を模した使い魔を呼び出し、学院を闊歩させて、アリバイを作る。シャルロには使い魔の姿を見かけたらそれとなく話しかけるよう、頼んでおいた。死体を発見させる時間の少し前に消えるよう、魔術式を組み込んでおいた。

 自分そっくりの使い魔を見て、テオは複雑な顔をしていた。しかしどれだけ見た目が似ていようと、本人を知っている者からしたら違和感が出るだろう。動作や些細な癖まで完璧に再現することは不可能だ。

 だがテオのことをよく知る者は、この学院にはあまりいない。他の生徒とたいして交流していなかったのがいい方向に働きそうだった。

 魔術師が生成した使い魔は、偽りの存在だ。学院長の目は欺けない。祭りの夜に発見させるのは、テオの死体と同等のものでないと意味がなかった。

 だからそのために、二十日ほどかけて死体に類するものを作ってきた。

 埋葬されるまでの数日間、誤魔化すことができればそれでいい。念のために、テオに刻まれていた破壊の魔術式の残滓を刻み込んでおいた。

 死者を偽造する用意は整った。あとはテオが魔術学院から脱出し、学院から遠く離れた地まで移動できれば、学院長はそこまで追っては来ないだろう。

 転移魔術で脱出できないのかと考えたことがあるが、学院は転移魔術で行き来すると結界に反応が出る。

 そして万全を期すなら、学院の門から出たとしても、その周辺で滅多に使う者がいない転移魔術を使わないほうがいいのではないか、という結論に至った。

 祭りの日は生徒も仮装をしたり、出し物の衣装を着ている者が多数いる。そんな中でセレナとテオは私服をまとい、帽子を被って顔を隠し、午後になってから来客のような顔をして学院の門へと向かった。

 下手に裏口から行くよりは、人に紛れたほうがいいと思ってのことだった。

 学院と隣接する街からやって来る来場者の中には、午前中だけ祭りに参加して屋台で昼食を食べ、午後になったらすぐ帰るような者も多数いる。その流れに乗ってしまいたかった。

 門を出て学院の外の馬車乗り場まで行くことができれば、あとはテオが一人で馬車で遠方の街を目指す。その予定だった。

 しかし、門が視界に見えてきたところでセレナたちは呼び止められた。

「おや、セレナ。それに――テオドールか。珍しい格好だな」

 ぎこちない動きでセレナが振り返ると、ハインリヒと目が合った。

「十月中旬の頃は疎遠になっていたようだが、喧嘩でもしていたのか?」

「え、ええ、まあ……」

 もしや学院長の命令で門を張っていたのだろうか。いや、シャルロの説明によると、本家の子息には学院長が裏でやっていることは知らせていないはずだ。

 だが――テオが学院を出ようとしていることを読まれていて、それを止めるよう、生徒会にお達しがあったとしたら。

 しかしこれまで、テオは学院長に従順なふりをしてきた。それに破壊の魔術式を除去したことは知られていないはずだ。どこにいようと今日の夜に死ぬとわかっているのなら、学院を脱出するなどという予想は立てられないはずだ。

 ならば、先輩はなぜ声をかけてきたのだろう。ハインリヒの動向が読めず、ひとまずセレナは相手の出方を見ることにした。

「先輩……祭りの最中ですがこんなところでなにを?」

「生徒会として巡回だ。二人こそなにをやっておる。確かに祭りは自由参加だが、年に一度の行事だ。楽しんでおいたほうがいいぞ」

 この様子だと、知り合いが目に入ったから声をかけただけなのだろうか。安堵しかけたが、語り出したハインリヒの肩越しに、同じく巡回中らしいフランクールの姿が見えた。

 ――まずい。これ以上、目撃者を増やしたくない。

「ハインリヒ先輩、ちょっといいですか」

 声をひそめ、セレナはハインリヒに耳打ちした。

「あとで事情は説明しますから、いまだけは協力してください」

「協力?」

「決闘で勝った命令できる権利、使っていませんでしたよね。わたしたちを見逃してください。今日、二人でいたことは他言無用でお願いします。それから、後方にいるフランクール先生がわたしたちに気づかないよう、足止めしてくれるとありがたいです」

「ふむ。訳ありのようだな」

 ごねられるかもしれないという危惧は、ハインリヒの反応で霧散した。

「詳しい事情は知らぬが――大方先代のやることから逃げようとでもしているのだろう。あの老人も、当主は引退したのだから大人しくしておればいいものを」

 セレナは目を丸くしながらも、無言で頷いていた。察しがいい。今日のハインリヒは輝いて見えた。

「先生にはうまく言っておいてやる。行け」

 ハインリヒがフランクールに近づいて行く中、セレナとテオは門へと急いだ。セレナは門の前で立ち止まり、テオは一度セレナのほうを見て頷いてから、馬車乗り場へと急いだ。

 人が行き交う中で、テオの後ろ姿が小さくなっていく。別れの挨拶を交わすことなく、セレナはテオを見送った。

 祭りの日の夜になり、花火が上がっても、時間が過去に戻ることはなかった。テオの無事を悟り、安堵して涙が滲んだ。

 学院を卒業するまで会えないけれど、望む結果を得られた。

 翌日の十一月の空は、澄み渡って見えた。



 それから三年後、魔術学院がある街から遠く離れた小さな街の集合住宅にて。

 同じ建物に住む者とはじめて会ったというていで白々しい会話をしてから、隣の住人の部屋に入ったセレナは、彼と顔を見合わせて笑い合った。

「――なんて、もう学院長の手の者の監視も盗聴もないのよね」

 肩の荷が下りた思いを感じながら、セレナは彼に近づいた。

「逢いたかったわ、テオ」

「ああ。ずっと待ってた」

 手を伸ばして身を預けると、抱き留められた。

 長かった髪を切り黒く染めて、学院長の養子の立ち位置を捨てて別人として生きている青年。彼は魔術式が暴走して死んだことになった少年の、三年後の姿だった。

 十六歳の頃よりも背が伸び、険があった表情は以前より穏やかに見えた。彼はもう、実の親や養父に利用されることはなく、不安定な破壊の魔術式の暴発を危惧することもない。三年前に訪れるかもしれなかった死を回避して、いまを生きていた。

 テオに残りの荷物の整理を手伝ってもらい、夜になってからセレナの部屋で二人は一緒に食卓を囲んだ。

「さて、後ろ盾も人脈もなく、設備も貧弱な状態からどこまでいけるかしら。好敵手がいない分、案外のし上がることができるかもしれないわ」

「出世すると学院長に怪しまれるかもしれないが」

「そこは別名義を使ったり、わたし自身が表に出ないようにしたりして」

 紅茶をすすってから、セレナは続けた。

「わたしが過去に戻って未来の功績をなかったことにしたのを、テオは惜しんでいたようだったから」

「それはそうだが」

「一度は大魔術師になったのだから、うまくやるわ」

 魔術学院で十月を繰り返していたとき、テオの死に何度も直面して、心が凍りついて絶望しそうになった。

 だがそのたびに、諦めたくないと願った。どうにもならない事態をなんとかして突破しようと足掻いてきた。その結果、いまがある。

 不利な状況からのし上がることは可能だと、セレナの経験が語っていた。

「テオと一緒にいられる未来は手にしたのだし、未来で手にしていた他のものも、つかんでみせる。あなたと幸せになるためにできることは、諦めたくないから」

 鎖骨の辺りに触れると、服の下に身に着けているペンダントの感触があった。

 ――友達や家族の名前を刻んだ装飾品を持っていると、その人とつながっていられるの。いつまでも一緒にいられるんだって。

 魔術師見習いの子供が作った装飾品に、古くから語り継がれるような力は宿らなかったとしても。

 幾度となく閉ざされた未来は、いまは二人の行く先に広がっている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみが死なない魔法をかけて 上総 @capsule

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ