六章 変わりゆく季節の先は(2)

 それ以降、幼馴染のことと時間を繰り返していることを忘れたふりをしたセレナは、テオとの交流を表面上は絶ち、学院長の目から逃れてきた。

 念のためにセレナを監視しているだろうが、もうそこまで脅威だとは思っていないだろう。その間にテオと連絡を取り、十月末に向けて打ち合わせをした。

 半月ほど過ぎ、順調に進んでいる、と思った矢先。作業に使っていた部屋に、侵入者が出現した。

「それ、死体か? 異端の死霊術師でも目指してんの?」

 ぎょっとしてセレナが振り返ると、シャルロが室内の壁際に立っていた。

「ってかそれ、テオによく似てるし。テオのことは記憶から消えたって聞いたけど?」

 セレナがさっきまで向き合っていた長机の上に寝かされたもの――生気を失ったかに見える人体を指さして、シャルロは普段と変わらない軽い調子で感想を述べた。

 奥歯を噛み締めて、セレナはシャルロを睨みつけた。

 シャルロはセレナの事情を知っているはずだ。学院長から盗聴した内容を教えられ、セレナたちの様子を探っていたのだろう。

 監視されていることは想定内だったが、ここまで乗り込んで来られるとは思っていなかった。なにか怪しまれるような素振りをしただろうか、と言葉を選びつつセレナは問いかけた。

「どうしてここに?」

「大事な幼馴染から自分の記憶を消したわりに、テオが気に病んでなさそうだったから。あいつに訊いてもはぐらかされるし、なんかありそうだな、とセレナをつけてきた」

「気に病んでなさそうって、そんなのあなたの主観じゃない」

「セレナが先輩と決闘するって噂を聞いたとき、あいつがどれだけ不機嫌さを露にしてたと思ってるんだ。それに比べたらこの半月、無風過ぎる」

 そういう話はシャルロと温厚な関係を築けているときに聞きたかった。

「……ここに移動するために、わたしは女子更衣室から来たんだけど?」

「お前、他に誰もいないときに魔術式を発動させたんだろ。オレもだ」

 不法侵入しておいて、やましい感情など一切ないらしい。それも当然だ。シャルロはレヴィナス家の分家の者で、テオいわく先代の命令実行のためなら手段を選ばない人間なのだから。

 この場所は、生徒会が結界を解除するのに苦労していた開かずの間。卒業生が使っていたという、古代魔術研究会の部室だった部屋だ。

 結界は未来で魔術師として蓄えた知識で、セレナが一時的に解除した。そして他の場所から道をつなげた。

 現在、転移魔術は使える者が限られていて、転移魔術を刻んだ符や宝玉もとても高価だ。だが未来では転移魔術を刻み込んだ魔術道具は安価になり、簡易的な魔術式も広まった。

 近距離を移動するだけの転移魔術を刻んだ魔術道具なら、本職の魔術師なら作れて当然、という状況になっていた。

 家族が持たせてくれた魔術式が刻まれていない宝玉に、セレナは近距離を移動できる転移魔術の魔術式を刻み込んだ。

 そして女子更衣室でセレナが使っている扉つきの棚に、転移魔術の魔術式を刻んだ宝玉を設置したのだ。

 結界を解除した際に、部室の中にも宝玉を設置してあった。これで二つの場所を瞬時に移動できるようになった。……さすがに女子更衣室の中まで監視の目はないと、信じたかった。

 そしてテオが一度人の目を盗んで部屋に入って転移魔術で移動できるようにした後、部室に人の出入りを阻む結界を張り直した。もともと転移魔術を阻害する結界ではなかったので、転移魔術は潜り抜けることができるというわけだ。

 結界には防音機能もつけて、中に人がいても外からは気づかれないようにした。実際、廊下に人の気配がしても、壁一枚隔てた室内でセレナが作業をしていることを勘付かれることはなかった。

 今日の放課後、シャルロがこの開かずの間に乗り込んで来るまでは。

 落ち着け、と侵入者と対峙したセレナは自分に言い聞かせる。突然のことに驚き、冷や汗が背中をつたうが、焦りは禁物だ。なんとか冷静に対処しなければ。

「……魔術式を発動させる呪文はどうして知っていたの」

「現在、本家の魔術師が普及用の簡易的な転移魔術を研究してるんだけど。その呪文を試しに唱えてみたら発動してさ。まさかそれで合ってるとは思わなかったからびっくりしたぞ」

 そうか、未来で転移魔術が発展したのはレヴィナス家の魔術師の功績か。学院卒業後にハインリヒと会った際、話題に出たのはそのことだったのか。

 発展した転移魔術によってこの部屋に他者に気づかれずに移動できるようにしたとはいえ、なんだか癪だった。

 そしてそのせいで、シャルロにこの部屋の侵入を許してしまった。

 鼓動の音がうるさい。だが、動揺を表に出してはいけない。シャルロの目的と現状を把握しなければならなかった。

「学院長の命でわたしを監視しているの? ――だったらあなたを排除しないといけなくなるわ」

「その強気な発言。やっぱり時間を繰り返した記憶と未来の記憶、忘れてないんだな」

 失言に気づいた。

 この部屋に第三者が来ることはないだろうと、杖は少し離れたところに置いてあった。セレナが杖に手を伸ばすよりも、シャルロが動くほうが早い。

 倒される。拘束される。学院長に知らされる――。

 嫌な予感が膨らむ中、シャルロは自分の杖を床に落として両手を掲げ、肩をすくめた。

「そんな怖い顔すんなよ。オレはお前らの味方だ」

 意外な言葉をかけられた。油断させるための罠だろうか。目の前で杖を手放されたところで、符や宝玉を一切持っていないと思えるほど楽観的にはなれなかった。

「味方? 分家の人間が?」

「ここでの会話は学院長には報告しねえよ。なんなら裏切ったら死ぬ術でもかけておけばいい。未来の大魔術師ならそのくらいできるだろ」

 頭の中で疑問が渦巻く。シャルロの言葉をどこまで信用していいのだろう。

「そもそも普通、監視っつっても更衣室まで入ってったりしねえよ」

「いま、更衣室のその先まで入って来てるのはなんなのよ」

「こういう場所でなら、誰にも知られずに話ができるかと思ったからだ」

「……話」

「ああ。テオも出入りしてんだろ? 転移魔術が使えるんだから」

 シャルロがそう言った直後、部屋の中に転移魔術で移動して来たテオが現れた。

「悪い、遅くなっ……」

 紫の瞳が侵入者を捉え、セレナにかけようとした言葉が途切れた。テオは目を見開き、そのまま流れるような動作で杖を取り出して構えた。

「待て、待てって!」

 呪文を唱えようとするテオに、シャルロは掲げた両手をさらに上に挙げて無害だと主張した。

「セレナにも言ったけど、話をしに来たんだよ」

「……そうなのか?」

「ええ。わたしも半信半疑だけど」

 なにか隠し持っているかもしれないからとシャルロのローブを脱がせて身体検査をして、符や宝玉、刃物の類は持っていないとわかってから、改めて話をすることになった。

「じゃあ、仕上げに手を出してくれ」

「え、ああ……」

 テオが差し出してきた手に、同様の動作を返そうとしたシャルロは、途中でその手を引っ込めた。

「ちょっ、それは困る!」

「テオの能力、知っているでしょう?」

「知ってるから困るって言ってるんだ!」

「やましいことがあるようね」

「お前らに対してはない! ないけど嫌だろ、記憶を見られるとか――」

「そうか、すまない」

 先に素早く謝罪をしてから、テオは問答無用でシャルロの手首をつかんだ。



「ったく……付き合い長いのに、そんなにオレのこと信用してなかった? 哀しいねえ」

 室内にある椅子に腰かけたシャルロは、皮肉げにそうこぼした。無害判定された手段を抗議したくて堪らないらしい。

「学院長の手駒の言うことを簡単に信じられるか」

「ひでえ」

 シャルロは息を吐いて文句を言ってから、セレナとテオを見渡した。

「オレはお前らのこと、結構気に入ってるんだけどな」

「気に入ってるって……」

「同じ年の少年の監視といざというときの始末を命じられて、そいつにまったく肩入れせずに任務を遂行できるほど、分家として完成してねえよ、オレは」

 その言い分に、テオは瞬きを返した。険しかった表情に意外さが混じる。

「それともこう言ったほうがいいか? 分家に非道な命令してばっかのじいさんが気に入らねえ、じいさんを出し抜けるならそっちのほうがすかっとしそうだ、って」

「わたしたちのことを気に入っていても、破壊の魔術式が暴走したら、テオを殺すんでしょう」

「そりゃ確かにじいさんにそう命じられたけどさ。でもそれ以上に、テオに頼まれたからだよ」

 シャルロはテオとセレナを順繰りに眺め、感慨深そうに口にした。

「『魔術学院も学院長もどうでもいいが、学院には死なせたくない人がいるから』。そう言ったのはお前だよな、テオ。死なせたくない人って、セレナのことだろ」

 咄嗟にセレナはテオのほうを向いた。わずかな時間目が合い、顔を背けられた。一瞬見えた頬は赤く染まっていた。

「で、お前らはこの部屋の様子からして、テオを死んだことにして学院から出そうとしてるのか? 二人だけだと難しいだろ。じいさんに偽の報告をして目を逸らせたら、楽になるんじゃねえか」

 シャルロは二重の間諜の役目を買って出てくれるという。彼が絶対に裏切らない味方になってくれるというのなら心強いし、手が足りていないのも確かだった。

「――そう。なら協力してもらいましょうか」

 セレナの決断に、テオは難色を示した。

「だが……」

「大丈夫よ。テオが無害だと判定したんでしょう」

「あ、もしかしてオレの心配してくれてる? 平気だって。ガキの頃からじいさんの目を盗んでいろいろやってきたんだから」

 バレなければいい、の行動指針は年季が入っているようだった。

 二人の様子に、テオも最終的に折れた。

「じゃあ、シャルロ。学院長に偽の報告と、それから当日にも頼みたいことがあるわ」

「おう、なんだ?」

「十月末の祭りの夜、いま作っている死体――テオそっくりに作った肉体を、滅多刺しにして」

 セレナの頼みに、シャルロの表情が固まった。

「……えぐいこと言うな、お前」

 一周目でテオを殺した人間の反応がこれだった。いや、心臓を一突きにして即死させたなら、ある意味慈悲はあったのかもしれない。

「わたしは下手に動かないほうがいいし、テオは夜になる前に学院を出たほうが確実よね。使い魔を用意してやってもらおうかと思っていたのだけれど、気が変わったわ」

 せっかくの協力者だ。思う存分活用しなければ。

「あなたがテオの魔術式の暴発を止めようとしたなら、学院長が罪も行動も揉み消してくれるでしょうし。目撃者がいなければ、殺人の犯人は公になることはないでしょう」

「そうだろうなあ」

 辟易したような顔をしてから、シャルロは諦めた様子で頷いた。

「ま、いいや。やってやるよ、協力するって言ったのはこっちだし」

「ありがとう、シャルロ。わたしもあなたのこと、気に入ったわ」

 一周目の未来では諸悪の根源だと思っていた相手に対し、セレナは素直にそう口にした。

「いま言われても嬉しくねえな……」

 顔を伏せて溜息を吐き出してから、シャルロは顔を上げた。

「テオがレヴィナスの家に縛られる必要はねえよ。利用される前に逃げられるならそれでいい」

 そうしてシャルロが協力者に加わった。

 シャルロが隠し部屋を去ってから、テオがぽつりとつぶやいた。

「そういえば破壊の魔術式が暴発するのはどうするのか、とは訊かれなかったな」

「暴発はさせないわ。破壊の魔術式は、祭りの日までにテオの中から除去してみせる」

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