六章 変わりゆく季節の先は(1)

 倒れかけたセレナをテオが支えた直後、音を立てて空き教室の扉が開かれた。テオがそちらに視線をやると、暗くなった廊下を背景に学院長が立っていた。

「その娘を渡してもらおうか」

 遥か高みから、傲然と命じる。その様子は普段生徒が目にする気のいい学院長の印象とはまるで違う、人の上に立ち支配する者の態度だった。

「薬と魔術を用いて、彼女の未来の記憶と俺に関する記憶を封じました。もうなにもできませんよ」

 淡々とテオは述べるが、学院長はつかつかと室内に入ってきた。

「ここでの話は聞いていた。この者によってこの時間が繰り返されていたとなると、その程度では」

「過去に戻る魔術式が発動するのは、子供の頃親しかった幼馴染の死。その記憶を消して、彼女の中から俺の存在を消したのですから、魔術式はもう発動しません」

 テオの腕の中で目を閉じてぐったりと横たわるセレナを見下ろし、うむ、と学院長は頷いた。

「それで、テオドールに刻まれた破壊の魔術式は、本当に十月末の祭りの夜に発動するというのか」

「さあ、彼女の主張が真実かどうか、証明するすべはありません。未来予知を自称する騙りも、未来を見たと思い込んでいる者もいくらでもいるんですから」

 セレナを抱えてテオは立ち上がった。

「それに心配せずとも、実際に発動しそうになったらその前に命を絶ちますよ」

 話は終わったとばかりに空き教室から出て行こうとするテオに、学院長は独白のように話を続けた。

「ふむ。それにしても惜しいことよ。おぬしの魔術式が暴発に終わり、未来で功績を残した魔術師の記憶を封じるなど。その娘がこちら側についてくれれば、さぞや便利な手駒となっただろうに」

「彼女の妄言を信じているのですか」

 扉をくぐってから、テオは振り返った。

「それが真実だとして――彼女が未来で大魔術師になったのは、学院で幼馴染が死んだからです。彼女が一度通った未来は変わりました。学院を卒業した後も、並の平凡な魔術師として生きていくことでしょう」

 その後、セレナは放課後倒れたということにされて、女子寮の管理人に引き渡された。

 空の暗さは増していき、夜が訪れる。すべての真実を、闇で覆い隠すかのように。



 十月下旬になり、魔術学院は祭りの準備のために普段とは違う賑わいを見せていた。そうしたある日の休み時間、セレナはハインリヒに声をかけられた。

「どうした。最近、テオドールとは一緒にいないようではないか」

「テオドール?」

「なにをきょとんとしておる。お前の幼馴染だろう」

「幼馴染、ですか」

 小首を傾げてから、セレナは答えた。

「確かに同じ街出身の子供の頃の知り合いが何人か、この学院にいますが。それぞれ親しい友人は別にいますし、特に交流もしていませんね」

「いや、しかしだな――」

「子供の頃の知り合いなんて、そんなものですよ」

 さらりと一般論を告げると、ハインリヒは釈然としないというような表情になった。



 教科書を抱えて教室移動の最中、セレナはテオとすれ違った。テオは一瞬セレナのほうに視線をやったが、セレナは無反応だった。

 二人の間に会話はなく、手紙のやり取りをしている様子もない。セレナが友人と話をしていても、テオの話題を出すことはなかった。

 休日に別々に街に出て、学院の外で落ち合っていることもない。二人は一切接触することなく、学院生活を送っていた。

 ――といった実例をいくつもまとめた文書が、学院長に提出された。

「セレナの記憶が消えているのは間違いないようだな。テオとかかわらないどころか、近くにいても反応すらしないんだから」

 学院長室で本家の先代と向き合い、レヴィナス家分家の少年は報告を述べた。

 部屋の奥にある立派な机に着席した学院長は、それを聞いて頷いた。

「そうか。ならばあの娘の目論見は潰えたということだな」

「セレナの力で時空の乱れが発生していた、この一ヶ月が繰り返されていた――なんて信じられねえけど」

「人間の主観などそんなものだ。いかに魔術に精通していようと、時間が繰り返していることを通常は認識などできん」

「じいさんほどの魔術師だからわかったって話だろ」

「わしが時空の乱れを感知できるのは、魔術ではなく生まれ持った特性のようなものだ。だが――あの娘は未来で大魔術師となり、過去に戻り時を繰り返す魔術に到達したという」

 その可能性を絶ってしまうのは、魔術の発展に対する多大な損失だ。だが養子に教えた方法で消した記憶を思い出させるすべは、存在しなかった。

「セレナとテオドールの監視を続けてくれ」

「念の入ったことで。十月末まででいいんだったな」

「うむ。なにか行動を起こすならば、祭りの日だろう。もっとも――あの破壊の魔術式は、わしらが手を尽くしても、完成させることも安定させることも叶わなかった」

 机の上で指を組み合わせ、学院長は続けた。

「テオドールの死は、どうあっても回避できぬ。あの娘の記憶が戻ったところで手出しはできぬよ」

「ああ。そしてそのときは」

「以前から命じていた通り、おぬしがとどめを刺してやれ」



 十月末の祭りの夜、テオドール・レヴィナスの死体が見つかった。祭りの準備に必要なものが置かれた空き教室で、刃物で滅多刺しにされた状態でこと切れていた。

 目撃者の生徒は何人かいたが、酷い状態の死体を生徒に見せるわけにはいかないと、教師陣によって早々に移動され、棺に入れられた。

 死体は学院長が引き取り、葬式が挙げられた。犯人が捕まったという話は聞かず、しばらく生徒の間で学院長の養子を殺した者は誰なのかという噂が囁かれていたが、やがて他の話題に移り変わっていった。

 それから三年後、魔術学院の卒業式の日。式が終わってどころなくしんみりした空気が漂い、生徒たちがそれぞれ級友や教師との別れを惜しむ中、セレナはブランシュと話をしていた。

「セレナ、卒業後の勤務地は随分な田舎だと聞いたけれど」

「ええ。家は弟か妹が継ぐでしょうし、わたしのような落ちこぼれは空き時間に研究ができればそれでいいから」

「落ちこぼれなんて卑下することはないわよ。セレナって試験の点数は悪かったけど、それ以外は――」

 ブランシュの言葉を遮るように、セレナは学院の生徒としての日々を総括した。

「それにしても、短いようで長い学院生活だったわ」

「そこは長いようで短かった、ではなく?」

 そう問いかける友人に、セレナは笑顔を返した。

 荷物をまとめたセレナは、馬車に乗って魔術学院からも故郷の街からも遠く離れた地へと向かった。森と草原を抜けた先に、これから住むことになる小さな街があった。

 古びた集合住宅に辿り着き、入居の手続きをした。簡易的な外見の使い魔を呼び出し、部屋に荷物を運び入れる。最低限必要なものを取り出してから、セレナは部屋を出た。

 隣の部屋の扉の前に立ち、ノックをする。引っ越しの物音が聞こえていたのか、すぐに扉は開いた。

「今日から隣の部屋に引っ越してきました、セレナ・エスランといいます。長い付き合いになるといいですね」

「ええ、本当に」

 隣の部屋の住人である、黒髪の青年が応じる。

「わたし、魔術師なんですよ。部屋でも研究や実験をする予定で、隣の方に迷惑をかけたらすみません」

「この小さな街に魔術師が来るとは珍しいな」

「学院生活はとても長く感じました」

「授業とか試験とか、やりたくないことをやっていると長く感じますよね。俺はあまりそうした憶えはないですが」

「いまとなってはいい思い出ですけどね。あのときの経験がいまのわたしを作っています」

 しみじみとセレナは語る。

「いい思い出ですか」

「ええ。同じ学年の生徒が亡くなりましたが、些細な問題ですね」

「おや、それは大変だ」

 青年は紫の瞳を見張った。

「そうですか? 二人の魔術師の人生が変わった程度の影響しかない、ちょっとした出来事ですよ」

 にこりと微笑んで、セレナは学院に入学した一年目のことを思い出しはじめた。



 四周目の十月上旬、窓の外が暗くなっていく空き教室にて。テオに口づけされた瞬間、セレナの頭にテオの言葉が流れ込んできた。

「学院長が魔術で盗聴しているようだ。転移魔術ですぐにここまで来るだろう」

 セレナの肩が跳ねたが、同時にテオの唐突な変化の理由を理解した。

「君は意識を失ったふりをして。今日以降は、俺のことと時間を繰り返していることは、忘れたふりをしてくれ」

「――学院長を欺くために?」

「ああ」

 返事があった。セレナが頭に思い浮かべた疑問も、テオに伝わっているようだ。

「学院長は最近、時空の乱れを察知していたようだった。君が原因だと知られたら、どんな目に遭わされるか」

 過去に戻る回数が増えるごとに、学院長がいう時空の乱れは大きくなっていったのだろうか。気づかれるのは時間の問題だったのだろう。

 そして学院長が敵だと判断した存在は、どんな扱いをされるかわかったものではないという。

「心配してくれたの?」

「するだろう、この状況では」

 テオはもしかしたら、本当にセレナの記憶を消すこともできたのかもしれない。でも、そうしなかった。二周目の祭りの夜のように、すべてを自分で背負ってセレナを遠ざけることは選ばなかった。

 互いの事情を知って現状を確認し合ったからというのもあるが、テオがそうした選択をしてくれたことが、嬉しかった。

「それで、この言葉を介さない会話はあなたの能力なの? ……もしかして、他人の記憶を見ることができるのも?」

「そう。精神感応、と言えばいいのか。魔術ではなく能力に分類される力だ。精神に干渉し他者の記憶を見る力は、学院長も知っている。だが言葉を介さない会話は誰にも――親以外に教えていないし、ほとんど使ったことはない」

 テオがいま使っている力は魔術ではない。そして三周目の学院長との会話で、彼はテオの能力のすべてを知っているわけではないと言っていた。それなら学院長に勘付かれる可能性は低いのではないか。

「この能力の発動条件は?」

「触れている間だけ」

 三周目の祭りの夜、破壊の魔術式が発動する直前に、テオに腕をつかまれたときのことを思い出した。そのとき口に出したわけではないテオの言葉が、頭の中で響いた。あれはこの能力が無意識に発動したものだったのだろう。

 テオはこれまで隠していた切り札を出した。そうまでしないと学院長を欺けないと思ってのことだろう。だがこの場で学院長をやり過ごすだけでは駄目だ。

「だったらわたしが二人の間に道をつなぐわ。触れていない間でも、心の中で会話できるようにしてみせる」

 セレナ自身に精神感応能力はないが、そうした能力を魔術によって拡張させることならできる。一周目の未来で魔術師として成功した経験があるのだから。

「……なんのために」

「あなたが生き残って、学院長の手の内から逃れるために」

 これ以上過去に戻ってやり直そうとすると、もっと早い段階でセレナが時空の乱れの原因だと気づかれて、学院長に拘束されるかもしれない。テオの死を回避するなら、今回の十月末の先へ行くしかなかった。

「どうせ学院長を出し抜くのなら、徹底的にやりましょう」

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