《最後の夢》

 気付くと体育館へと続く外階段の下にいた。

 錯綜する記憶が混乱をもたらす。

 この階段はさっき上ったはずではなかったか?

 時間が巻き戻ったような不思議な錯覚に襲われた。


 そうだ。これは夢だ。

 また、あの夢を見ている!


 目の前には見慣れた平たい箱型の機械が置かれていた。その機械から何本ものコードが階段の上に向かって伸びている。それは白峰が夏休み前から準備していた〈モヤゾンビ〉を体育館に追い込むための装置だった。

 そのことを認識し、今がどういった段階にあるのかが理解できた。

 ここにこうしているということは、夢の世界では全てが上手くいったに違いない。

 ここは大詰め。最後に校内のモヤゾンビを全てあぶり出し、ことごとく体育館に誘導して封じ込める。今はその作戦の最終段階なのだ。


 視界が移り、遠くで吉岡が手を振るのが見えた。

 吉岡は今度は校舎の壁の向こう側の、ここからは見えない場所に向かい、両手で大きく丸を作って合図した。

 長い待機時間。

 視界に映っていなくても、校舎の向こう側で何が行われているかは分かっている。

 意識を遠くに持っていかれないように、努めて頭を空にした。

 ただ吉岡の姿を眺める。

 しばらくして吉岡に動きがあった。

 身構えて、タイミングを計り、人形を下手投げで放る。

 次の瞬間には人形が転がった場所に黒い影が姿を現していた。

 間を置かずに、吉岡がこちらに向かって次の人形を投げる。

 まるでフイルムのコマが飛んだように、黒い影が一瞬でその位置を変える。

 視界がサッと流れ、手元に置かれた小さな時計の所で止まった。

 目の前を〈モヤゾンビ〉が通り抜ける生暖かい湿った風を感じた。

 夢の中の自分はそちらを見ていないが確かに〈分かる〉。

 〈モヤゾンビ〉は今、体育館の外階段を少し上がった先にいる。

 目と鼻の先だ。

 しかし、以前感じた圧迫されるような恐怖感はなかった。

 緊張はしている。だがそれは、失敗できないという責任感から発せられるものだった。

 視界は時計に固定されたまま。

 白峰が持ってきた小さなアナログの目覚まし時計。

 時計の針は三時半頃を指していた。

 だが今、時刻は重要ではない。

 重要なのは秒針だ。

 五秒が過ぎる。次は一〇秒。その次は一五秒。

 手元は見えないが、そのタイミングで次々とボタンを操作しているはずだった。

 コードの先はそれぞれが小さなスピーカーと繋がっていた。

 順にそれらを鳴らすことで、〈モヤゾンビ〉をどんどん体育館の奥の方へ誘導していくという寸法だ。

 視覚から得られる情報は、自分が知っている計画と符合するものであり、何もかも順調に推移していることが窺えた。


 夢の中の自分は階段の一番上にあるドアの辺りを仰ぎ見る。

 階段を囲うブロック塀から広瀬が顔を出して両手で丸を作った。

 体育館に入った〈モヤゾンビ〉の位置を最後に調整するのは広瀬である。その役割はこの夢の中でも同じようだ。

 最初の頃は、終点に絶えず大きな音を出し続ける音源を用意し、そこに集める計画だったのだが、一つの音源に対しては、最も近い〈モヤゾンビ〉一体しか反応しない性質が予想されたため修正を余儀なくされた。

 白峰が提案した解決策は単純だった。

 ボールを投げて壁や床に当て、その音でより奥の方へ追いやっていけばよい。

 無限に、とはいかないまでも、体育館の広さがあれば、それでかなりの数を中に誘導することができるはずだった。


 夢の中の自分は張り巡らされたコードを慎重に避けながら階段を上っていた。

 最上部に着くと、そこには広瀬の他に長谷川の姿もあった。長谷川の脇にはテニスボールがカゴいっぱいに詰めて置いてある。おそらく二人で交代しながら投げていたのだろう。

 長谷川は今、片手にあの音の出る人形を握り、いつでも投げられる構えで体育館の中を窺っていた。

 慎重にコードを引き、中からスピーカーを回収しているのは広瀬一人だ。ここでヘマをするわけにはいかないから、多少時間が掛かっても、こういう場合は一人に任せたほうが良いだろう。

 コードを擦って音を鳴らさないよう、どういう間隔で滑りを良くするためのクッションを付ければ良いか、皆でワイワイと試行錯誤していた放課後のことが思い起こされる。

 広瀬がコードを抜き終わると、夢の中の自分はドアの陰から中を覗き込んだ。

 体育館の奥には沢山の〈モヤゾンビ〉が集められていて、その足元には幾つものテニスボールが転がっている。

 壇の下に集うそれらの姿はさながら彼らの全校集会だ。

 だが、そこにいる〈モヤゾンビ〉の数は思ったよりも少ない。

 パッと見、三十体を超える程度。多く見積もっても五十体には届かないだろう。

 収容限界に達したのでここを閉めようとしている可能性も考えたが、そうではないのなら、つまり、さっき中に入れたのが最後の一匹だったというわけだ。


 ──初見殺しはネタが割れればチョロいもんさ。

 そう言って笑っていた広瀬の顔が思い出される。

 今、一仕事終えたばかりの広瀬はチョロいという言葉とは程遠い、疲労困憊といった表情をしていた。

 次に長谷川が慎重に体育館に足を踏み入れ、カーリングの玉のような形状のドアストッパーを片手で持ち上げる。閉じようとするドアを自分の身体全体で受け止め、そこから徐々に出口に向かって弧を描くようにして移動する。

 残り三〇度ぐらいの角度までドアが閉まったとき、広瀬が長谷川と身体の位置を入れ替えてドアの支えを引き継ぎ、そしてそのまま最後まで締め切った。

 恐る恐る三人で顔を見合わせる。

 二人は、満足げな、やり終えたという表情を浮かべていた。

 きっと自分も同じ表情をしているのだろう。


 階段の下に目を転じると、機材が置いてある所にまで吉岡がやって来ているのが見えた。

 吉岡が嬉しそうに表情を緩めて口を開く。

 一瞬ヒヤリとしたが、何も起こらない。

 少なくとも、声の届く範囲に動き回れる〈モヤゾンビ〉はいないということは分かった。

 雰囲気的に、大丈夫なんだよね、と言っていた気がする。

 大丈夫じゃなかったら一体どうするつもりだったのか……。

 だが、怖がりの吉岡がそうしているということは、夢の世界の彼らにとって、〈モヤゾンビ〉はすでに大した脅威と見なされていないに違いない。

 吉岡はそのまま引き返して中庭の方に駆けて行った。

 一方で残った三人は地面に散らばったコードを巻いて束ねていった。

 事前の計画では、万が一捕り漏らしがあった場合や、閉じ込めていた〈モヤゾンビ〉が抜け出した場合に備えて、第二体育館で同じように捕獲するための準備をしておこうと決めてあった。そのためにコードを巻き取っているのだ。

 しばらくすると吉岡が磯辺を連れて戻ってきた。

 その後ろには中原と岩見、それに倉田の姿もあった。

 だが、白峰の姿はない。

 やはり、白峰だけがいない。


 音を出す機械の操作をしていたのが白峰ではないことに気付いたときから、すでに嫌な予感はあった。

 だが、それを突き詰めて考えた途端、この夢から弾き出されるのではないかと恐れ、努めてその考えを頭から追い出していたのだ。

 嫌な予感が的中したことに息が詰まるような胸の痛みを覚える。

 全てのことが上手く運び、脅威を取り除いたはずなのに、その場に白峰がいないことなどあって良いわけがない。

 全員が階段下に集まり会話を始めても、そこに白峰が姿を見せることはなかった。

 皆、全てが終わったような顔をしている。

 何故、そんなふうに笑っていられるのだ。白峰がいないのに。

 もしかすると、今もどこかで別行動をしているのだろうか。

 慎重な性格の白峰のことだ。万が一に備えて、今も放送室に残っているのか?

 いや、もしかすると、この夢の世界の俺たちは、白峰の説得に成功して、学校に来させないようにできたのだろうか。そんなこともあり得るのか?


 知っているなら教えてくれ!

 白峰はどこにいるんだ!


 視界が暗くなり意識が途切れそうになっていた。

 だが、このまま、何も分からないまま現実に戻るわけにはいかない。

 何としてでも確かめなければ。白峰が今どこにいるのかを。

 仮にだ。仮に、すでに、この世界に、白峰がいないのだとすれば、白峰の身に何が起きたかを、何処で何が起きたのかを知らなければならない。

 それが、今のこの成功した結末を反故にしかねない行動だとしても、〈俺〉は……!

 〈俺〉は、そこに行って、白峰を助けたい!


 いつしか、そこにいる皆が俺の顔を心配そうに見つめていた。

 そうだ。聞いてくれ。大事なことだ。

 俺は夢に向かって懸命に声を振り絞る。


「白峰は何処なんだ!? ……っ、白峰は、何処に!?」


 悲痛な叫びがコンクリートの壁に反響する。

 喉が焼けるように痛い。

 吉岡に両肩をつかまれて、強引にそちらを向かされた。

 だが、吉岡はこちらを見ていなかった。

 俺の肩を強く握ったまま、うつむいて身体を震わせていた。

 困った俺は広瀬を見る。

 磯辺を見る。

 どちらも困惑した表情でこちらを見つめていた。

 どうしたんだ? おい、吉岡!

 俺がまだ見ていない時間に、何が起きたのかを説明してくれ。

 キョロキョロと辺りを見渡す。

 どこかに白峰がいないか、そのヒントがないかと、階段の陰やグラウンドの奥などに目を凝らす。


「佐野なの?」


 吉岡の震える声がした。

 夢だというのに、はっきりとその声が聞こえた。

 顔を上げた吉岡の瞳からは大粒の涙がポタポタと滴り続けていた。


 何かがおかしい。

 ……何がおかしい?

 そういえば妙だ。俺は夢に干渉できている。

 皆、そのことに驚いているのか?

 しかし、今はそんなことを気にしている場合ではないんだ。

 俺は少しでも情報を持って戻らなければならないんだ。


「頼む。白峰は? 教えてくれ。俺ならまだ間に合う。現実に戻って白峰を助けられる!」


 俺は吉岡の肩をつかみ返して強く握った。


「っ……もうっ、助けてもらったんだよ? 佐野、あんたが私たちを助けてくれたの。美尋は……、ここにいるよ?」


 磯辺が吉岡の腕に触れ、何かを手渡す。

 吉岡が俺に向けたそれ……、開かれた小さな鏡には……、俺がこの夢の中でずっと探し求めていた白峰の姿が映っていた。


 ああ……、そうか……。


 鏡の中の白峰は、緊張が解けたように、安らいだ表情で俺に微笑み掛けていた。

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