9月16日(木曜) 黄昏③

 放課後になり部室に皆が揃うと、俺は今朝見た夢についての説明を最初から始めた。

 ある程度あらましを語ったところで、各人が気になった箇所の質問をする形を取る。俺が一から十まで細部を順に説明をするよりもそのほうが効率が良いだろう。

 その間に、俺が授業中にしたためたメモを自由に回し読みしてもらうことにする。


「一応先に確認しておくけど、佐野君が見た今朝の夢は、以前の三回と比べて何か違うところはなかった? 例えば、鮮明さが落ちているように感じたとか。気付いたことがあれば何でも言って欲しいのだけれど」


 今回、白峰が一番先に確認してきたのは夢の内容よりも、前提の話だった。

 俺にとって約二か月ぶりに見た夢で、ネットでの報告事例もめっきり減っているのだから、何か変化があるのではと気にするのは当然だろう。


「いや、変わったところは何もなかったと思う。久しぶりだし、それに、いわゆる普通の夢とは違い過ぎるから、微妙な差があっても気付けていない可能性はあるけど」

「普通の夢は最近でも見てるんですか?」


「ああ、夏休み中に一度か二度は見てるんじゃないか?」

「ちょっと待てよ。聞いてないぞ。どんな夢だったんだよ」


 ヤレヤレ呆れたという感じで広瀬が文句を言う。


「もう憶えてない。起きてから何か夢見てたなぁってなるくらいの夢だし、言う必要もないだろ?」


 俺の言葉のあと、一旦皆が無言になった。


「あたしさぁ、最近ネットの書き込み減ったから、このまま尻切れトンボみたいに終わってくれるの期待してたんだよねー」


 誰に向かって言うでもない吉岡の独白。


「えっ、みんな違うの? 私だけ?」


 誰も合いの手を入れないことを吉岡は、賛同者なし、と捉えたようだ。


「そんなことないですよ。何も起こらないに越したことはないって、皆思ってますけど」

「まあ、もともと万が一の場合に備えるって感じの話だからな。地震や火事みたいな」

「情報は、できるだけ沢山あった方がいいわ」


「美尋はぶっちゃけ、今の段階でどのくらいの確率だと思ってるの?」

「……分からないわ。正確な確率を弾いて出せるようなものじゃないでしょう?」


 俺の書いたメモに視線を置いたまま白峰が静かに答える。

 表情に目立った変化は見えないが、返答には迷いが感じられた。気のせいかもしれないが、最近は白峰の微妙な感情の起伏が分かるようになってきた気がする。


「私はどちらかというと佐野先輩の夢が現実になる可能性がかなり高まったんじゃないかと思います。ほら、前にも言ったじゃないですか。どの未来が選択されるかの岐路にあるんじゃないかって話。他の夢の報告例が減ってるのは、別の方向に伸びる可能性の枝が剪定されてるってことなんじゃないですかねぇ」


 白峰が気を遣って言葉を選んだというのにこの女は……。


「ごめん、何? 枝? 木の話?」


 案の定、吉岡が不安そうな顔になった。


「イソッチのSF好きは筋金入りだよなあ」

「えー? 真面目な話、してますよ?」


「それより、具体的な実行計画、詰めておいた方がいいんじゃないか」


 今さら、あるのないので議論していても始まらないので、話の軌道修正を促す。


「そうね。私から気になったことを聞いていい?」


 そう言って白峰は俺が書いたメモを皆が見えるようにして置いた。


「ここ。この床に落ちてるスピーカーなんだけど、どんなふうに壊れていたのかもっと詳しく聞きたいわ」


 白峰が指差したのは、俺が描いた学校の簡易的な見取り図だ。

 一階の調理実習室前の廊下の中間地点に四角い印をして、スピーカーという注釈を入れてある。


「目に見えた破損はなかったな。ただ落ちて転がってた。音が出る方が上向きになってたから、壁に付いてた背面がどうなっていたかは分からない」


 俺は夢の中、意味深に静止していた視線のことを思い出しながら答えた。


「やっぱり、何か意味があると思うか?」

「自分自身へのメッセージなんじゃないかって話? それは分からないけど、まず先にどうやって壊れたのかが気になって」

「壁の上の方に付いてるアレだろ? あんなの普通簡単に落ちたりしないよな」


「〈モヤゾンビ〉がやったってことですか?」

「わざわざジャンプして? 何のために?」

「そりゃあ、あれ。ほら、音が出てるからだよ」


「そうね。人形の出す音に反応して殴りつけてたっていう話だから、音を出す物に対して物理的に攻撃する習性があるんだろうけど、その力のレベル感が分かればいいなと思って」


 なるほど。


「スピーカーを壊すぐらいだから結構な力ってことになるよな」

「えー? でもあの縫いぐるみの中の小さな機械すら壊せてないんでしょ? スピーカー本体は割れたり、潰れたりしてないってことは、実は大して力はないんじゃない?」

「どっちにしろ、知能はあんまり感じませんよね。機械的に動いてるだけって言うか。あってもチンパンジーレベルかなって。あー、ほら、引き戸も開けられてないじゃないですか」


「あー、ほんとだ。馬鹿じゃん。猿以下だよ」

「ああ。無茶苦茶速ぇし、捕まったらまず助からないくらいヤベー奴だけど、それ以外は結構ポンコツくせーな。俺、ちょっとやれそうなイメージ湧いてきたわ」


 直接夢で見た俺は、あの化け物の脅威の度合いを何となく理解していたが、状況を間接的に説明されただけの人間にとっては、こうやって落とし込む作業が必要なのか。

 もしかして、白峰はそういう効果を狙ってああいった質問をしたのだろうか。


「夢の中の私たちが安心してたからと言って、扉を閉めただけで完全に無力化できたとは限らないけどね。単に音を遮断することで急場を凌いだだけかもしれない。調理実習室には窓もあるでしょ?」


 窓。そうだ。調理実習室の窓からは中庭が見えていた。

 夢の中の俺はそちらにほとんど注意を向けていないようだった。もともとその場所は三階から見下ろして下調べ済みだった、ということだろうか。

 三度目の夢と同じく、夢の幕間の情報が抜けているので、俺たちがその間に取った行動は想像で補うしかない。


「窓かあ。何となく窓ガラスぐらいなら突き破ってきそうなイメージはあるけどな」

「一旦音を探知したときの動きはやっぱり物凄く速いみたいですしねぇ。人間ほどの大きさの物がそんな高速で動いたら……あっ、そうだ。きっとスピーカーぐらい壊れますよ」

「追跡中は物凄い力だけど、距離詰めた後はそうでもないってこと? じゃあ、組み付かれたとしても、蹴り飛ばせば振り払えないかなあ?」


 実際に見たこともない、言わば俺の空想の中にしか存在しない化け物について、俺たちは真剣に意見を出し合って、肉付けをしていった。

 もともと確実なことなど何もない、憶測と断定が勝ち過ぎな分析ではあるが、全員が概ね合意した〈モヤゾンビ〉の生態はこうだ──。


 〈モヤゾンビ〉は人間を襲うが、そこに意思や知性はなく、一定のアルゴリズムで動くロボットのようなものだと考えた方がよい。

 体積や質量は人間と同じぐらい。単純な力もおそらく人間が出せる強さを超えないが、ターゲットを定めて距離を詰めるときのスピードは物理法則では説明できない次元の速さで、回避不能と考えるべき。

 よって、〈モヤゾンビ〉に見つからないように動くことが戦略の大原則となる。

 獲物の場所を捉えていないとき、奴らは基本的にその場に留まったままで巡回などはしないようだ。音を頼りに人間を探知すると言っても、そのセンサーの精度はさほど高くなく、おそらく閾値が存在する。

 十分気を付けていれば、廊下を歩く音や衣擦れ、呼吸音などは拾われない。

 ただし、数メートル程の距離に近づいた場合、それは保証の限りではなく、真横を歩いて、すり抜けるといった芸当はおそらく難しいだろう。

 視覚が完全にないと見なして良いのかという点は結論を見送ったが、〈モヤゾンビ〉が静止しているとき、その視界に入ることは可能な限り避けておこう、ということになった。

 とは言っても、動いていない〈モヤゾンビ〉がどちらの方向を向いているか、外観からでは分からないと思うが。と、これは俺が念を押した。


 また、一つの音源に反応を見せる〈モヤゾンビ〉は、一番近くの一体のみではないか、という仮説も立てられた。

 静まり返った校舎の中、あの人形が出す音はそれなりに響くはずだ。

 それでも調理実習室でそれが鳴ったときに、引き寄せられたのが一体だけというのがその論拠だった。

 これは良い材料とも悪い材料とも言える。

 他の〈モヤゾンビ〉を呼び寄せずに済む反面、封じ込めを狙う場合、餌としての音源を〈モヤゾンビ〉の数だけ用意しなければならないことを意味するからだ。

 それと、夢の中で危うくタイムオーバーになりかけた反省を踏まえて、常に二投目を準備しておくことも基本戦術として俺から提案した。可能であれば各人に一つずつ。緊急回避用の人形を持たせて行動したい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る