7月16日(金曜) 入念な予習①

 一学期の終業式が近付いてきたある日、俺たちは五人揃って視聴覚室のドアの前に集まっていた。

 視聴覚室に逃げ込むとすると、そこから脱出する際、一番ネックになるのはドアの開閉音ではないか、という話になったのだ。

 音が鳴る人形を使って〈モヤゾンビ〉の注意を引くにしても、まずはドアを開けないことには始まらない。

 可能な限り音を出さないようにドアを開ける練習をする――、そのつもりだったのだが、行ってみると視聴覚室に掛けられた鍵によって、その計画は容易く頓挫してしまった。


「なんでだろ? こないだは普通に開いてたよなあ?」


 広瀬の言うとおり、前回下見に訪れたときに鍵が掛かっていたという記憶はない。

 だが考えてみれば、学校の副教室が都合よく、常時開放されているとみなす方がどうかしている。


「視聴覚室って、確かアニメ研究会の活動場所でしたよね?」

「「あっ」」


 磯辺の言葉に、白峰まで含めた他の四人が、同じように声を上げて反応した。


「どうしたんですか? みんなして」

「そうだった。アニ研、活動停止食らったんだったわ。そういや、あいつらの部室って視聴覚室だったなー」

「あー、そうね。繋がった繋がった。色々とね」


 三年生の間ではそれなりに大きなニュースだったので、磯辺以外の四人は全員知っていたが、その事件の舞台が視聴覚室だということは、噂のあらすじから抜け落ちていたらしい。


「ああ、ごめんごめん。アニ研の奴らさ。いかがわしい動画見てたのが見つかって部室没収されたんだってよ」


 一人、蚊帳の外状態の磯辺を察して広瀬が説明する。


「いかがわしい……」

「AVよ、AV」


「え……」


 ダイレクトに言ったな、吉岡は。

 好奇心旺盛な磯辺でもさすがに反応に困った様子だ。


「俺はギリ、イメージビデオレベルだったって聞いたけど。まあいいや。それで今、空いた部屋の使用権を持ってるのが吹奏楽部ってわけ。こうして鍵してあるのが正常な状態で、前は……、単にアニ研の奴らがズボラしてたってことだな」

「それがさぁ、イソッチ、聞いてよ。この話が面白いのはその後でね……」

「はあ……」


 吉岡が磯辺相手に嬉々として喋り始めたのは、これが恋愛絡みの話だからだ。

 もともとこの視聴覚室に関しては、吹奏楽部の女子が楽器のパート別の練習部屋を増やすため、アニ研に部室の明け渡しを要求していたという事実があった。

 当然、アニ研側は拒否したが、中の一人が吹奏楽部の女子に気があり、自分たちの部室をどうにかして吹奏楽部に譲ろうと画策したのが問題のAV騒ぎ、という噂だ。

 その男子が吹奏楽女子に好意を寄せていたことや、わざと視聴現場が見つかるように企んだ事実関係についてはネタが上がっているのだが、仮に計画が上手く運んだとしても、その女子との関係がどうにもなりそうもない不器用さが、男子からは憐れみを、女子からは顰蹙を買っていた。

 現場を目撃させるために呼び出したのが、こともあろうに、その意中の吹奏楽女子だったのだ。さすがにもうちょっとマシな、別の方法があっただろうにと皆が思った。

 しかし、その話にはさらに続きがある。

 噂が広まってから暫く後になって、何がどう転んだのか、そのアニ研男子と吹奏楽女子が付き合うことになったという続報が流れたのだ。

 この話題はそれでさらに学校中で持ち切りの噂となった。

 俺ですら知っているくらいだ。いや、別学年の磯辺は知らなかったようなので、学校中の噂というのは盛り過ぎか。


「問題が増えたわね。この部屋を開けておいてもらうか、鍵を調達する算段をしておかないと、いざって時にここで立ち往生する羽目になるわ」


 磯辺を真ん中に据えて恋愛話で盛り上がる三人を横目で見ながら、白峰が俺の側に近付いてきて言った。


「ここの鍵が必要になる状況だがなあ……。俺の見た夢が現実に起こるんだとしたら、俺たちが何かしておく必要ってあるのかな?」

「どういうこと?」


「どのみち俺たちは中に入れるんじゃないかってこと」


 俺の見た夢では、視聴覚室の前までたどり着いた場面と、中に入った後の場面とで映像が途切れている。

 その間に起きた出来事は気になるが、結果は見えているのだから、何らかの理由でそのとき視聴覚室のドアは開いている、と考えても良いのではないだろうか。


「分からない。そうなるかもしれないけど、だからと言って準備を怠っていい理由にはならない。私たちが今からする努力の結果、未来で中に入れたのかも知れない。……でしょ?」



 最近の白峰は予知夢が現実になる確率は半々だと口で言いながらも、実際には、それはもう絶対確実に、間違いなく現実になる、という前提で行動しているように見えた。

 動揺の激しかった吉岡相手には半々ぐらいという見立てを言ってなだめたが、白峰の思う半々とはそういう意味ではなかったのだ。

 仮に百回の試行で五十回も起きるような確率だとすれば、普通に考えて全く安心できる数字ではない。生死に関わる大問題ならなおさらだ。医者からの癌宣告の方がまだ良心的と言えるだろう。それが、白峰から直接聞いた彼女の偽らざる本音の見解だった。

 予知夢というオカルト話でさえなければ、実に現実的で合理的な態度と言えるのではないか。

 しかし、途方もない未来が迫りつつあると半ば確信していながらも、白峰自身からは全く悲壮感らしきものが感じられなかった。

 まるでテスト勉強の範囲を一つずつ潰していくように、綿密に準備しておけば、それが〈モヤゾンビ〉という得体の知れない現象相手でも十分対処可能だと、そう考えているようだった。

 そして、だからこそ白峰は、他の誰よりも真剣に、準備を万全なものにしたいと考えているのだ。


 改めて彼女の実直さを感じ、俺は先ほど自分が不用意に発した運命論めいた投げ槍な言葉を心の中で詫びた。

 挽回するためにも、今すぐ何か建設的な提案を返したいところだったが、生憎と良い考えが思い浮かばない。

 職員室から鍵を拝借し、こっそりスペアキーを作る、ぐらいの発想が関の山だ。単純に犯罪的だし、学生が合鍵を作りに店を訪れた時点で不審に思われ、そこから学校側に通報されないとも限らない。

 白峰ならそのあたりを上手く回避する手立てを思い付くかもしれないが、倫理観を問われかねない提案を自分から切り出すのは少々ためらわれた。


 そんな折、廊下の角から楽器ケースを抱えた女子三人が姿を現す。

 静かな練習場所を首尾よく手に入れた、噂の吹奏楽部員たちだった。

 三人は視聴覚室の前に思いがけず男女の五人組がたむろしているのを見て、その場で立ち止まる。


「何か。……御用?」


 先頭にいた女子が、警戒感も露わにそう声を掛けてきた。


「あ……」


 背を向けて話をしていた吉岡が、その声で初めて吹奏楽部の存在に気付き、しまった、という分かり易い表情を浮かべた。

 彼女たちに直接聞かれたかどうかは分からないが、時期や場所、それから吉岡のあからさまな態度を見て、自分たち絡みの噂話をされていたことには勘付いたかもしれない。


「あー、違うの。ごめんごめん。用があるのは視聴覚室の方、っていうか、視聴覚室のこのドアにね」


 吉岡が誤魔化すようにそう言った。

 俺たちがここにいる本来の目的は忘れていなかったようだ。


「ドア?」


 そう問い返す彼女の声には、明らかに不機嫌な響きが混じっているのが分かった。

 表向き喧嘩になるような会話ではないのだが、何故だか胃がキリキリと痛む。

 頼むぞ、吉岡……。

 女同士で口論になったら、広瀬でも止められないだろう。

 俺に仲裁の能がないのは言うに及ばずだ。


「そうそう。ていうか、ちょうど良かったわ。閉まってたからどうしようって話してたのよ。今からここ開けるんでしょ?」

「そうだけど……、使いたいの?」


「うん、ドアだけね。ちょっと確認したいことがあるの。大丈夫大丈夫、練習の邪魔はしないから。お願いっ」


 吹奏楽部のその女子は、何だかんだと渋ったものの、結局吉岡の強引さに押し切られ、俺たちがこの場に留まってドアを検分することを了承した。

 俺の緊張はただの取り越し苦労だったのか、それとも吉岡のコミュ力の賜物か。

 とにかく、その場が穏便に済んだことに対し、俺は人知れず胸を撫で下ろしていた。

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