6月10日(木曜) 俺たちの生存戦略③
「でも、封じ込めるって言っても、佐野の言うような得体の知れない化け物、どうやって相手にすんのよ。瞬間移動するみたいに速いんでしょ?」
「そうですね。今回、〈モヤゾンビ〉については特に新しい情報もなかったですしね」
「上手くいくかは分からないけど、対抗策は一つ考えてあるわ」
そう言うと、白峰はカバンの中から、手の平サイズの小さな縫いぐるみを取り出した。
ウサギ、いや、ハムスターか何かか?
何を模したものかよく分からないが、ふさふさした毛並みのファンシーな人形だ。
女子を相手にこう言うのは全く失礼な話だが、画角的にミスマッチ感が拭えない。
ギャップの大きなその取り合わせに、俺はしばし、自分が口を開けたままにしていることにも気付かずに呆然としてしまった。
他の皆が俺と同じ感想を抱いたのかどうかは分からない。白峰が考えた策と聞き、期待したが、予想外の物が出てきたことに虚を突かれた、といったところだろうか。
とにかく皆で無言のまま白峰の説明を待った。
白峰はその微妙な空気を察したのか、少し怯む、というか、俺の見間違いでなければ、恥ずかしそうな表情を見せた。
何か言おうとして一度口を開いたが、すぐには言葉が出なかったようで、それを誤魔化すように、あたふたとした様子で手に持った人形の腹の部分をもう片方の手で押し、部室の隅に向かって放り投げる。
人形が床に落ちるのとほぼ同時に、その中から愛らしいトーンを装った女性の声が流れてきた。
『おはよう! 今日はなにして遊ぶー?』
それが幼児向けに作られた玩具であることはすぐに分かった。
「ああ、なるほど」
弾んだ声を上げながら、磯辺が落ちた人形のところへ駆け寄る。
「あ、ありがと。ごめんね」
「待て。俺にも分かったぜ。その音で〈モヤゾンビ〉を引き寄せようってことだろ?」
「……そう。最初は進路の確保とか、緊急回避用に考えてたんだけど」
「床に投げた理由は何だったの?」
くすりと笑いながら吉岡が訊く。
「……落ちたときの音は、ほとんどしなかったでしょ?」
白峰はいつもどおり淡泊に、いや、少し拗ねたようにも聞こえる口振りでそう返した。
俺は一見噛み合っていないように思える今のやり取りの意味を考える。
「……時限式にするってことか? 起動時間をいじって」
俺がそう聞くと、白峰はコクリと頷いた。
少しあどけなくも見える何気ないその仕草は、俺を大いに動揺させたが、それを悟らせまいと、俺は必死で平静を装いそっと目を逸らした。
「なるほどぉ。このフワフワなら、うっかり下に落としても大丈夫そうですね」
拾い上げた人形を両手で撫でながら磯辺が席に戻る。
「ちょっとぉ。自分たちだけで分かってないで説明してよ」
「人形が喋り出したときには、その場からなるべく離れておきたいってこと……、だよな?」
「そう。〈モヤゾンビ〉にとって、音はただのトリガーで、襲う対象は目で見て判断している可能性は捨てきれないから。注意を引き付けた先に人が居たんじゃ意味ないでしょ?」
「ふーん。ねえ、〈モヤゾンビ〉って、そんな小さな物音にまで反応するの?」
「……静まり返った校舎の中で、あいつらがどういう動きをするのか、はっきりした情報はないからな。ただ、足音を殺して移動してたくらいだから、相当過敏に反応するっていう想定はしておいたほうが良いんじゃないか?」
吉岡のその問いは、どう考えても俺に向かっていたので答えたが、俺が知っている情報は全て皆に伝えてあるのだ。今さら俺に新情報の棚出しを期待されても困る。
「そっか。何か行動するにしても、そのときは外の騒ぎが収まった後だもんね……」
「なあ、時限式にするのはいいけど、それってそんな簡単に中身いじれるのか?」
広瀬が手を差し出すのを見て、磯辺がその手の上に人形を置く。
広瀬が片手で握り、親指に力を込めて腹の部分を押し込むと、人形がまた同じ音声を喋り出した。ちょっとうるさい。
「起動時間の設定ではないけれど、再生する音声は入れ替えできるらしいわ。……貸して」
今度は白峰が広瀬から人形を受け取る。
白峰は人形の頭の部分を捻り、くるくると、電球をソケットから取り外すようにして、胴体から頭を引き抜いた。
頭の下には棒状のケースが付いており、それを引っ張ってさらに抜くと、その接合部からUSB端子が顔を覗かせていた。
「最初に無音時間を入れておけば簡易的なタイマーになるでしょ? 問題はどのくらいの長さの音声ファイルに対応しているかだけど……、レビューにはそこまで書いてなかったし、それは実際試してみるのが早いと思って」
レビュー、ということは通販サイトで買ったのか。
「へえぇ、結構しっかりできてんだな。……これいくら?」
「ねえねえ、思ったんだけど、小さな音でも危ないってことは、この内履きもヤバくないかな?」
吉岡はそう言って足をひねり、自分が履いた内履きの裏側を上に向けた。
学校指定の靴で、ソールは簡素なゴム製だ。普段の学校生活ではあまり意識したことがなかったが、静かな場所では床と擦れ合って鳴る音が意外と響くかもしれない。
「そうですね。何かもっと音が出なさそうな靴探しましょうか?」
「いや、それなら普通に裸足じゃね?」
「えー? 危ないですよー」
話題はあちこちに行ったり来たりしながらも、俺たちは着々と計画を進めた。
白峰は人形の音声機能が想定どおりに動くことを確認すると、次の週にはそれと同じものを鞄いっぱいに詰めて現れ、部室でその音声を入れ替える作業や動作確認を黙々とこなし始めた。
広瀬たちは学校の見取り図を大きくコピーしてきて、視聴覚室に入るまでや視聴覚室から出た後のルートについての相談をよくしていた。
こんな行動にどこまで意味があるかは分からないが、皆で目的を持って何かをすることで気が紛れたのは確かだった。
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