6月10日(木曜) 俺たちの生存戦略②

 話は多少前後する。

 部室棟北口階段の増築の件が明らかになったその日には、俺も含めて、皆が相当なショックを受けていた。

 特に吉岡の動揺が酷く、顔面を蒼白にさせ、端から見て分かるほど身体を震わせる状態であったため、白峰が抱き締めたり、背中を擦ったりして介抱する必要があった。

 後になって本人が白状したことだが、本当は最初から、俺が話す夢が現実になるのでないかという強い恐怖感を抱いており、それをずっとひた隠しにしていたらしい。

 あの吉岡が、と驚く一方で俺は、その怯えた様子に対し、夢の中で見る吉岡の印象に近いものを感じていた。

 それから数日が経ち、全員がある程度冷静に考えられるようになってからは皆、一つの予知が的中したことと、夢で見た内容が全て現実に起こることとは、必ずしもイコールで結ばれないと見なすようになっていた。

 まず、北口階段の改修計画自体はかなり以前から存在していたので、その気になれば誰でもその情報を知ることができたという事実があった。

 生徒への情報開示こそなかったが、少なくとも白峰は知っていたのだから、同じことが俺に対して言えないはずがない。

 話の構図的には、『まだ観たことのない映画の内容が夢の中で正確に再現されていた』と主張するネット掲示板のコテハン男の状況と大差がないわけだ。

 何もかも俺の企みによる悪戯であるという説は、当然俺が全力で否定したが、俺本人も自覚しないうちに、どこかで増築にまつわる情報を摂取し、無意識に構築した推論がたまたま当たったという説明は成り立つ。

 例えば、工事の見積もりをしに学校を訪れた業者を見かけた、とかそのような理屈だ。

 ただ、それらは、白峰が吉岡を落ち着かせるために話して聞かせた説であって、多少もっともらしく聞こえれば、実際にそういうことが起こり得たかどうかはどうでもよかった。


 白峰はさらに、ネットに書かれていた別の説も引き合いに出した。

 それは、異常に現実感の強い夢を見たという報告が急速に増えているのは、『多くの人間の無意識が集積されることで起きている現象ではないか』という仮説だった。

 離れた場所にいる複数の脳が何かのきっかけで繋がりを持つことにより、従来よりも遥かに情報密度の高い夢として知覚される現象という説明だ(掲示板では確か、量子もつれ、とか、エンタングルメントとかいう言葉が並んでいた)。

 『人類5G化説』の一派閥だが、この仮説に基づけば、俺自身が知る由のない階段の精緻な情景が、夢の中で再現されたことにも一応説明が付く。

 ……まあ、どこの誰とも知れない工事関係者の頭の中にある設計図が、俺の脳に読み込まれたという荒唐無稽な説明ではあるのだが。

 ちなみにその説を推していた者の言説によれば、『明晰夢4K』の中に現れる様々な不思議な現象は、本来の夢と同様に、あくまで無意識が紡ぐ奔放な空想の産物に過ぎないという。

 現実と見紛う景色が再現されていることと、その中で起きた出来事が現実になるかどうかは全く関係がない。そればかりか、インプットとアウトプットがアベコベなので絶対にあり得ないときっぱり言い切っていた。

 俺もできることなら、その仮説を信じたい。


 一方磯辺は、こんな可能性もありますよ、と言って得意気に自説を講じたが、それは治まりかけていた吉岡の不安を再び煽る結果となった。

 簡単に言えば、今ネット上で報告されている夢は全て未来に起きる出来事だと言えるし、そうでないとも言える状態。

 要するに世界は今、様々な可能性の岐路にあり、誰が見た夢が現実になるのかはこれから決まることであって、その中から俺が見た夢が、選ばれし一つの未来になる可能性はかなり低い、という主張だった。

 確かにその理屈なら〈モヤゾンビ〉は現れないかもしれないが、ネット上で報告されている夢のほぼ全てが、とても人の手に負えそうもない悪夢であることを考えると、その中のどれが現実になったとしても絶望でしかない。


 結局、その日吉岡を一番勇気付けたのは、広瀬が最後に強い調子で言い切った「悪い予想が全部的中したとしても、それは今日や明日の話じゃない」という言葉だった。

 何故なら、予知夢の確かさを強固に証明するはずの、問題のエレベーター自体が、まだ影も形もないのだから。

 それから数日、ネットの書き込みを読み直し、意見の交換を重ねた結果、俺たちは、絶対に予知夢が現実になるとは言えないが、起きてしまった場合の備えはしておこうという落としどころを見つけていた。

 何のことはない。最初から白峰が話していたとおりのスタンスなのだが、全員の腑に落ちるまで時間を取って話し合うことに意味があったように思う。

 三度目の夢を見る前の段階で、俺たちが想定した予知の実現確率は大体五〇パーセント。

 これは、吉岡を安心させてやろうと、白峰が適当にでっち上げた数字だが、事にあたる危機感と俺たちの精神的安寧を両立させるためには、なかなか適当なバランスだった。


 その上で、オカルト研究会に出入りしている今の五人以外に、この情報を拡散させることについては皆が消極的になった。

 危惧していることが現実になるなら、当然俺たちだけで抱えられる問題ではないので、大人に相談するという考えもなくはないだろう。

 だが、手に負えないのは大人にしたところで同じはずだし、建設的な議論をする前に、まず俺の予知夢の話を信じさせることが絶望的に困難だ。

 そんなことに時間や労力を割いてはいられない。

 また、磯部の話した、今が複数の可能性の岐路ではないかという説が、皆をそういった考えに誘導した側面も否定できない。 

 より多くの人間が俺の予知夢のことを知り、意識することによって、俺の夢が現実化する未来を引き寄せてしまうのでは、と恐れたのだ。

 オカルトが過ぎる考えだということは分かっていたが、それが絶対にありえないと言い切ることは誰にもできなかった。

 俺たちはすでに、エレベーター棟増築が予知された件で、常軌を逸した事例を目の当たりにしていたのだから。


 情報開示に消極的になったもう一つの大きな理由は、夢が現実になった場合の俺たちの行動プランに関係していた。

 仮に学校中の生徒が俺の夢のことを知っていた場合、事が起きた後の皆の行動も当然変わってくるはずだ。

 当然、そのことによって、事態が好転する結果もあり得るだろうが、裏目に出る可能性もある。だから少なくとも、ここにいる五人のうち三人が無事に視聴覚室までたどり着くというルートを安易に捨てるのは得策ではない。

 そう強く主張したのは白峰と磯辺の二人だった。

 二人は俺が見る夢に未だ姿を見せていないので、ルートをなぞることで生存が約束されるメンバーには含まれない。

 それでも二人は、学校中がパニックになったときに、どの場所がより安全かという情報が分かっているだけでもかなり生存率が上がるはずだからと言って譲らなかった。

 俺を含む残りの三人は多少渋ったものの、俺が今後見るであろう夢の展開によっては方針転換もあり得るという条件を付けて了承した。

 結論を先延ばしにする優柔不断な策だが、情報が流布された後では元のプランに戻すことができない以上、ギリギリまで選択肢を残すしかなかったのだ。

 そして、その次に俺が見た三度目の夢においてもなお、そのプランを破棄するに足るネガティブな材料は出てこなかった。

 視聴覚室に入ることができれば、カップラーメンをすする余裕さえできているらしいのだから、むしろ積極的に夢の行動をなぞる利点は増したと言っていい。

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