5月24日(月曜) 忍び寄る悪夢⑤

 吉岡に引っ張られて行った手洗いから戻ってくると、磯部はまるで何事もなかったかのように、すっかりいつもの調子に戻っていた。


「やっぱり会報ですかね? 文化祭の」

「突然何だよ。もうちょい詳しく頼むわ」


「全校生徒への呼び掛け方法ですよ。どうせいっぱい印刷して配る予定ですし、一石二鳥じゃないですか?」

「んー、そうねぇ」


 しばし考える一同。


「いいかもな。突然、ゾンビが出るぞーって言って回るより、読み物にした方が自然な感じするし」

「その代わり、真面目に聞いてもらえなくなる可能性が高くなるけどね。何せ、オ・カ・ル・ト研究会の会報なわけだし」


 吉岡の口から発せられる〈オカルト〉の文字列には自虐的な響きがこもっていた。


「別に作り話だと思われてもいいだろ? もし現実でピンチになったら、そのとききっと思い出すよ」


 広瀬は大体において楽観的な性格だ。

 だが、話を信じてもらえるかどうか以前に問題はある。


「そもそも部やクラスの出し物が沢山ある中で、こんな知名度の低い部の会報を手に取って読んでくれる人がそんなにいるかしら?」


 そう言って指摘したのは白峰だった。

 実際に会報が大量に捌けるかどうかは、宣伝次第だろうが、結局俺たちが派手に言い触らして回るのなら、あえて会報という形を取る意味がない。

 それに、文化祭合わせの会報ということならもう一つ別の問題がある。


「それともう一つ。文化祭は9月の終わりよ? 佐野君が夢に見てる未来が、見立てどおりに秋頃だとすると、警告として間に合うかどうかは微妙なところじゃない?」


 まあ、そういうことだな。

 俺は白峰と見解を同じくしたことに満足していた。ついでに、あの夢は現実には起こり得ない、という見立てについても合意に至りたいところだが。


 しばしの間、全員が押し黙った。

 皆、白峰の指摘のとおりだと理解したのだろう。


「サノヤスは何か意見ないのかよ?」 

「俺?」


「下手したら自分が死ぬかもしれないんだぞ? ネットの書き込みは、夢を見てる本人が死んで終わるパターンがほとんどだって、知ってるだろ?」

「ああ、夢の中、での話な」


 大体、夢の世界が現実になるなら、俺一人の死なんて問題にならないほど大量の死人が出るのは間違いない。いや、死人と呼んでいいのかさえ分からない、滅茶苦茶な有り様だ。

 ネットの掲示板に書き込みされた他の夢も、同じく現実になるのだと見なすなら、それこそ世界が今の様相を保っていられるかどうかすら怪しいものだ。

 こいつは本当にそこまで分かったうえで話をしているのだろうか。

 どうやって広瀬にそのことを分からせてやろうかと考えながら顔を上げると、妙な空気を感じた。

 広瀬も含めた全員が、黙って俺の方を見つめているのだ。

 俺が何を言うか期待して待っている……という感じではないな……。

 真剣に心配しているような顔だった。

 どうやら広瀬が言うとおり、今、この部室にいる人間の中で、一番死に際しているのは俺だと思われているのだ。

 不思議な気分だった。

 皆、今まで口にしなかっただけで、本当は俺に対し、ある種の後ろめたさを感じていたらしいのだ。先ほどの磯辺ではないが、不意に目の奥が熱くなるのを感じる。

 困った俺は少し大袈裟に頭を掻いてみせた。


「まず……、はっきりさせとくと、俺は自分が見ている夢が現実になるなんて、欠片も思ってないからな」


 口に出してみると少し気持ちが落ち着いた。

 本当は自分から切り出すつもりはなかったわけだが。

 俺があれは予知夢ではなかった、と言って話せば、聞く人間は初めからそういうものかと思うだけだろう。

 そうではなく、あくまで客観的な情報だけで俺と同じ結論に達するのを確認したかった。

 そうすることで、自分の推論の妥当性を確かなものにしたかったのだ。

 だが、さすがにこういう流れになってしまっては無理だ。


「まあ、俺たちはサノヤスと同じ体験をしてないから、感覚的なことは分からないけど、普通の夢じゃないってのは確かなんだろ?」

「ああ、それは間違いない。ただの夢じゃないって確信があるから、こうやって情報を共有して、あれが何なのか真剣に知りたいと思ってるんだ。だけど、その夢を予知夢だと思うかどうかはまた別の話だ」


「予知夢じゃなきゃ何だって言うんだよ」

「それは俺に聞くなよ」


 自分でも不機嫌な口調になっているのが分かった。


「まぁあ私も? 予知夢だとか漫画みたいな話、信じてないんだけどさあ。美尋とかは肯定派なわけじゃん。ネットでも、結構本気にしてる人は多いみたいだし。それに対して、夢を見た本人が、それは違うって考えるには、それなりの理由があると思うんだけど、それ一回整理してみない?」


 俺は大きく溜息を吐いた。

 そして、諦めてタネ明かし……、というか、皆の誤った認識を正すために、注意を払うべき箇所を示してやることにする。


「レポートの最後の方、階段を上るくだりがあるだろ? その直前の部分を読んで何か思うところはないか?」


 俺のその言葉を聞いて、俺以外の四人は手元のルーズリーフを再び手に取り、その箇所を読み返した。


「この、エレベーターって何だよ?」「エレベーターって書いてありますけど」


 広瀬と磯辺がほぼ同時に、声を揃えるようにして言った。

 まるで、今初めてその単語が目に入ったというような反応だ。

 これまでの様子から予想はできていたが、さすがに肩を落とさざるを得ない。


「えっ? どういうこと?」


 吉岡に至っては、まだ事態がよく飲み込めていないようだ。

 白峰は黙ってこちらを見ていた。

 白峰の瞳の中に、非難めいた色が浮かんでいるのを見るのが怖くて、俺はその目を直視できない。その視線に気付かない振りをしてタネ明かしを急ぐ。


「それが予知夢じゃないと俺が考える根拠だ。学校の中があまりに本物と同じだったから、現実の延長線上の出来事なのかもっていう錯覚があったけど、確実に現実と異なる物が見つかった以上、あれを予知夢だと考える方が難しいだろ?」

「いやいやいや。だったら最初からそう言えよ」


「だから……、直接言いたくなかったんだよ。俺からそう切り出したら議論の余地なく、予知夢だって線は消えるだろ?」

「だとしてもよー。そんな重要な情報なら普通もっと目立つように書かねぇか?」

「そうですね。確かに私たちが注意散漫だったんですけど。この流れで書いてあったら読み飛ばしちゃうかもしれないです。それ以外は今の部室棟の階段をそのままイメージしても話が通じますし。他の部分に比べて明らかに表現を端折り過ぎてると思います」


 そう指摘されるであろうことは予想できていた。

 それについては不公平さを認めざるを得ない。


「すまん。強烈な違和感を感じたのは俺の主観だから、結論を誘導しないように、あえて強調しなかったんだ。詳しい話は指摘されてから口で説明しようと思って」


 表立って文句を付けてきた広瀬と磯辺に言い訳をするていではあったが、その言葉は白峰に向けてのものでもあった。

 俺が歪んだ情報の出し方をしたせいで、誤った結論へと導いてしまったという負い目があった。


「それにしても流石にやり過ぎだろ。俺たちを騙してどうするんだよ」

「私はぁ……書いてあるとおりに読んでたけどねえ? ああ、エレベーターが出てきたのかーって」


「ああ?」


 広瀬が芝居がかった大袈裟な声と仕草で、吉岡を咎めるように睨む。


「えー? 何でよ? ネットに書いてある夢だって、もっと突拍子もない展開になるじゃん。それと何が違うの?」


 なるほど。同じレポートを読んでいるのに、人によってこうも捉え方が違うのか。

 吉岡の感覚は、俺が夢の中で考えていた想像に近い気がする。

 夢が、より普通の夢のような振る舞いを見せているという感覚だ。


「吉岡先輩が言うのは、夢の中で起きる異常現象の一つとして、校舎の構造が様変わりしたっていう解釈ですか?」

「そうそう」

「あっ、そういうのもありか?」


「いえ、ないと思います。だとしたら凄く特殊な例ですね。ネットの、本物っぽい書き込みの中では、夢の中で起きる異常現象は全部単一じゃないですか。佐野先輩の夢は、ゾンビみたいなのが現れて感染していくってタイプだから、それと校舎の構造が変化するって現象は共存しそうにないです」


 そこで一旦会話が途切れた。

 皆、情報を咀嚼するのにそれぞれの時間が必要なのだろう。


「うーん。やっぱ佐野が色んな書き込みを読んだせいでイメージが混ざっちゃったとか?」

「そうですねえ。それがあり得るんだとしたら、これから同じような報告が増えていくかも。まだ、分からないですけど」

「どちらにしろ、そんな勝手に夢の内容が変わってくんだとしたら、それって予知夢じゃなくね?」


 まあ、そういうことだな。

 これでどうにか、個々の夢の内容ではなく、こういった夢を見るようになった原因や、その影響などについて話ができるはずだが……。


 皆の意見を聞きながらも、俺は発言のない白峰の様子が気になっていた。

 白峰は虚空の一点に目線を据えながら、一人考えに耽っている様子だったが、俺の視線に気が付くと、すぐにこちらに向き直って言った。


「その……、口で説明するつもりだったっていう、詳しい話を聞かせてくれない?」


 それなら乞われるまでもない。

 俺は夢で見たエレベーター区画の構造を説明し始めた。

 現実ではボロボロの階段と簡素な出入口がある場所に、しっかりとしたコンクリートで設えられた区画ができていたこと。エレベーターを中心に螺旋状の階段が伸びていたこと。それを見た瞬間に自分がどれだけ動揺を覚えたか、など。

 随分遠回りはしたが、本当はずっと話したかった、あの夢に関する自分なりの解釈も、ここぞとばかりに話して聞かせた。

 対して白峰は、階段の色や材質、特徴的な模様がなかったかどうかなど、実際に夢の中で見聞きした具体的な情報を詳しく知りたがった。

 建材の種類を詳しく説明するだけの言葉や知識は持ち合わせていないが、俺はなるべく見たとおりの情報が正しく伝わるように腐心した。

 広瀬たちも時々割り込んできたが、相づち程度のもので、基本的には白峰が質問し、俺が答えるという流れがしばらく続く。

 皆、暗黙のうちに、今は白峰の手番だと了解し、それを邪魔しないようにしているのだ。

 ただの漫然とした聞き取りではなく、その裏には白峰の何らかの意図が感じられた。



「ごめんなさい」


 俺が一通り説明を終えたところで白峰が静かにそう言った。

 説明するのに夢中になっていた自分の中の熱が、急速に冷えていくのを感じる。


「佐野君が意図的に情報を絞っていたのと同じように、私にも言ってなかったことがあるの」


 そうたっぷりと前置きをされたことで、俺にはこれから続く白峰の言葉に、おおよその見当が付いた。

 具体的な話の中身が分かったというわけではない。

 そうではなく、これまで自分が前提としていたものが覆されるのではないか、という悪い予感だ。

 俺だけではない。他の三人も、一様に集中して白峰の次の言葉を待った。


「部室棟の北口階段ね。改修計画があるの。佐野君が夢で見たエレベーターと階段は、これから増築されるのよ」

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