オーブンレンジ

増田朋美

オーブンレンジ

寒い日であった。日が出ないと寒いというか、最近は日が出てきても寒いような気がする。こうなってくれてやっと冬らしい季節になってくれたという人も居ることだろう。なんだかこういうふうに季節が季節らしくなってくれるのも、もう終わりになってしまうのかなという気がする。

その日、杉ちゃんと蘭は、寒いねえと言いながら、家の近所にあるゴミ捨て場へ燃えるゴミを捨てにいった。今日は燃えるゴミの日であるから、ゴミ袋に入ったゴミが大量に捨てられているのだろうなと思ったら、何故かゴミ捨て場に、電子レンジが捨ててあった。

「あれえこれはなんだ。今日は燃えるゴミの日であるはずなのに、なんでこんなものが捨てられているんだろう。」

杉ちゃんは、予定していたゴミ袋をゴミ捨て場に置き、電子レンジを持ってみた。いわゆる、オーブン機能のついた、小型のオーブンレンジで、特に汚れもなく、まだまだきれいなものであった。

「なんだかまだ十分使えそうだね。これではなんだかこのまま捨てちまうのももったいないくらいだ。もしかしたら、まだ稼働するかもしれない。ちょっとうちへ持って帰って確認してみよう。」

と、杉ちゃんの一言に蘭も賛同し、二人はオーブンレンジを杉ちゃんの家に持ち帰った。そして食堂のテーブルの上において、電源コードを入れてみた。すると、電源が入った。蘭が温め調理のボタンを押してみると、電子レンジは正常に稼働した。他にも搭載されているオーブン機能や、解凍機能のボタンを押しても、オーブンレンジはちゃんと動くのであった。これなら、別に使用しても何も問題はない。ただ、調理時間の設定などは、ボタンではなく、つまみを回してするようになっていたので、ちょっと世代の古いオーブンレンジだと思われる。

「何だ、これなら全然つかえるじゃないか。捨てちゃうなんて、なんだかもったいないよ。それなら、ほしい人にあげたほうが絶対良いぜ。」

と、杉ちゃんはそういった。オーブンレンジではあった。でも、最新型を好む若い人には不向きだと思われる可能性もあった。

「どうせ誰かに譲るのなら、知っている人に譲りたいな。メルカリのような誰だかわからない人にあげるのは、好きじゃないのでね。よし、製鉄所へ持っていって、使ってもらおう。」

と、蘭は言った。杉ちゃんも蘭も実はメルカリのようなフリマアプリは好きではなかった。誰なのかわからない顔が見えない人に譲るのは、やっぱり不安な事もある。二人は、蘭が用意したタクシーで、オーブンレンジを持って、製鉄所に向かった。

製鉄所は大渕にあった。と言っても、名前の通り鉄を作る施設ではなく、単に家の中で居場所がない人達が、勉強や仕事をするために使用する場所である。利用者の中には様々なものが居る。単に家にいるのが嫌だからという理由の人ばかりではない。中には、重大な精神疾患や、身体障害を持っているものも居る。そういう人はときに大変なトラブルを引き起こすこともある。中には、こちらの話が全く通じない人もいるので、そういう人の扱いには困るのであるが、その人達は決して、嘘はつかない。本当のことを本当の事以上に感じてしまって、それに対応できない人たちだから。

「こんにちはあ。ちょっとさあ、ここで使ってほしいものがあるんだけどさあ。使ってくれないかな。」

と、杉ちゃんは玄関の引き戸を開けて、すぐ中へ入った。中へ入ってみると、製鉄所は異様な雰囲気になっている。何故か台所の方から、女性の泣き声が聞こえる。

「どうしたの?」

と、杉ちゃんが利用者に聞くと、

「ちょっとボヤ騒ぎがあったんですよ。まあ幸い、すぐに消化器で消してくれましたから、良かったようなもので。」

と、その利用者は答えた。

「ボヤって、誰かが火を付けたのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「彼女ですよ。原野幸恵さん。幸恵さんが、揚げ物を作っていたときに、電話と宅配便の来客があって、その間に油に火が着いてしまったそうです。」

利用者はそういった。原野幸恵さんという人は、病名こそ本人が口にしないので不明であるが、何か精神障害のようなものがあると思われる人であった。病名は不詳でも、明らかに他の人と自分は違うと彼女は言っていた。例えば電話を受けたときに、聞きながらメモを取ることなどは、全くできないし、相次いで物事が起きた場合、一人で対応できず、泣き出してしまったことがある。一昔前なら、ちょっと変なやつとして、放置しておくこともできたかもしれないが、最近はHSPとか、ASDといった変なアルファベットの称号をつけておかないと、やって行けない時代でもある。その中で大切なものは、癒やすこと、許すこと、そして、流すことの三本柱だと思う。

「ああそうなんだ。それで、原野さんはどうしてる?」

「はい。水穂さんと一緒にいます。」

水穂さんもご苦労なものだ。そういう女性の相手ができるなんて、水穂さんだけである。それは善ともとれるし、悪ともとることができるが、いずれにしても、水穂さんが、そういう女性たちの話を聞く役目になって居るのは確かだった。

「で、台所はどうなった?すごい損傷か?」

杉ちゃんが聞くと、

「いえ、それはありません。他のものに引火する前に消化器があったので、すぐ止めましたから。」

と、利用者は答えた。そうなると、火が天井に達するほどの大規模なものではなかったようである。原野さんのような女性には、周りに燃えるものがなかったので良かったじゃないかと考えを切り替えることができないことが多い。それでいつまでも泣きはらすのだ。そうなると、気持ちの問題だ。それは個性と言うことも考えられるが、現在の世の中では一つの障害として、障害者福祉の対象にしてしまおうという考え方のほうが、多く通用している。そう割り切ってしまうのも良いのかもしれないが、人種差別の一種と考える人も居るだろう。繊細な人を少数民族として扱うのか、それとも、一般の人として扱うのかは、現在個人の意識にかけられていると言える。

「そうか。まあ、火事にならないだけでも良かったじゃないか。それよりさ、実は、家の近所のゴミ捨て場に、立派なオーブンレンジが捨ててあった。誰が捨てたのか知らないが、まだしっかり使えるから、ここで使ってもらおうと思って、持ってきただよ。まだまだ使えると思うから、使ってみてくれ。レンジは蘭が持っている。」

杉ちゃんは、いきなり話題を変えて、要件を言った。

「そうですか。ありがとうございます。残念ながら、原野さんのことで、今はちょっと、お相手できませんよ。」

利用者は申し訳無さそうに言った。

「そうか。じゃあ、そのボヤ騒ぎを起こした原野さんに話を聞こう。」

杉ちゃんは、すぐに切り替えてそう言った。蘭は、あまり手を出さないほうが良いのではと言ったが、杉ちゃんという人は、すぐに他人のなにかに首を突っ込むのである。

「とにかく彼女に会わせろよ。」

と言って、杉ちゃんは製鉄所の中に入ってしまった。蘭はその間に、利用者に、持ってきたオーブンレンジの操作の仕方などを話して聞かせた。つまみをひねって調理時間を設定するというやり方なので、利用者は多少戸惑っているような感じであった。まあ確かに、現在流行りのオーブンレンジは、ボタン一つで、なんでもしてしまうものなので、それになれてしまっているのだろう。

「このようにつかえば、オーブンとしても使用できますので、これで楽しく料理してください。」

「はい、わかりました。わざわざ蘭さんに持ってきていただいて、ありがとうございます。」

利用者はオーブンレンジを受け取って台所に持っていった。

一方その頃杉ちゃんの方は、縁側に言って、原野幸恵さんが、水穂さんと話している現場へ乱入していたのだった。

「あたしもう料理はできないですよね。こんな大騒ぎを起こして、ほんのちょっと電話をしたいと思っただけなんです。まさか宅配便が来るなんて、そんな事何も予想していなかったんです。」

原野さんは、涙をこぼしていった。

「でも良かったじゃないですか。すぐに火を消してもらえたんですから。他の人がいてくれたから、良かったですよ。それで良かったと思いましょうよ。そうしないと、次に料理ができなくなりますよ。」

水穂さんは、優しく原野さんに言った。

「そうそう、それに火事と喧嘩は江戸の華って言うくらい、頻繁にこういうことはあるんだよ。いちいちこんなこと気にかけていたら、やっていけなくなっちまうよ。そうなると、生きていくことだってできなくなる。だからお前さんは気にしないでやっていけばいいの。」

わざと明るい声で杉ちゃんは言った。

「それに江戸時代は、大名火消しという。スターのような火消しもいたんだよ。それくらい、火事というのは、身近にあるの。だから、気にしすぎないで、今まで通りにやればいいさ。」

「杉ちゃんって面白いこと言うんだね。」

水穂さんはそれだけ言った。

「まあとにかくな。今回のボヤは、ちょっとのことで済んだんだから、それで良かったんだ。竜吐水のようなものがあったんだから、それで良かったね。もうそれで良いの。後はもう考えるな。火事と喧嘩は江戸の華。わかったか。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。原野さんはまだ涙をこぼして泣いているが、杉ちゃんも水穂さんもこれ以上何もいわないことにした。まず、彼女に涙が切れるまで泣かせてやることも必要だと思ったのであった。その間に蘭は、利用者と一緒に台所に行き、オーブンレンジを調理台の上に置くという作業をやっていた。

それが終わって、原野さんが泣き止んでくれたのを確認すると、杉ちゃんと蘭は、タクシーで帰った。利用者は良いものをありがとうございますと言っていたが、ちょっと古いタイプのオーブンレンジなので、使用する回数は少ないなと呟いていた。

その数日後のことであった。ボヤがあったことも忘れられて、平凡な日常が戻って着たかに見えた。製鉄所もそれは同じことだと思われたのであるが。

「やっぱり怖いの?」

利用者の一人が、原野幸恵さんに言った。ちょうど利用者たちは、昼食の支度をしているところであったが、原野さんは、誰かがガスコンロに火をつけようとすると、怖がって泣き出してしまうのだ。

「もしかしたら、PTSDとか、そういうものになってしまったのかな。」

泣いている原野さんを見て別の男性利用者が言った。

「俺、影浦先生に聞いてみようか?これだけ怖がられていては、食事の支度ができないもの。それじゃあ、俺たちも困る。日常の仕事に支障をきたすようでは、病気と考えたほうが良いんじゃないのかな?」

男性というのは、こうなった時筋道を通して考えることがうまく、対策を口にできるものであった。それが性による違いというものでもあると思う。

「そうね。あたしもそう思うわ。それなら、影浦先生に聞いたほうが良いと思う。ねえ原野さんも、そのほうが良いでしょう。そうやって、火を見て泣きたくなってしまうのであれば、治療を受けたほうが良いわ。」

それに同調した女性利用者が、そういう事を言った。

「もし、可能であれば、入院させてもらって、少し休ませてもらったらどう?」

利用者たちの間には、入院させてもらうということは、あまり珍しいことでは無いのだが、一般人側で考えると、非常に、難しいことであった。確かに入院させてもらうと、本人には嬉しいことになるかもしれないが、周りの家族などは、非常な迷惑にもなる。それほど、体を壊して入院するのとは、わけが違う。

「でも、彼女をそういうところに入れてしまうのも、なんか可哀想よ。そういうところは、世の中から捨てられてしまって、もうやる気のない人の集まりでもあるのよ。」

別の女性利用者がそういう通り、精神病院というのは、そういう雰囲気が漂っているところでもあった。日本でそういうところに入れられてしまうというのは、実はそういう意味があることを、利用者たちは知っている。欧米のように、ちょっと疲れたから休みたいというニュアンスは、日本には無いのだ。

「こんにちは、今日も手伝いに来たよ。」

玄関の戸がガラッとあいて、杉ちゃんがやってきた。

「また変な雰囲気になっているじゃないか。何か、おかしなことを話し合ってたの?」

杉ちゃんは、いつもと変わらない様子で、みんなが居る台所にやってきた。

「おかしなことじゃないんですけどね。あの、原野さんがガスコンロに火をつけるたびに怖がって泣き出すようになっちゃったんですよ。それで、この間のボヤ騒ぎが、まだ記憶に残っているようなら、少し専門的な治療を受けたほうが良いのでは無いかって、言ってたんです。」

男性利用者が、起こっていることをまとめていった。

「そうなのかあ。それは大変だなあ。こないだの、火事と喧嘩は江戸の華の話、聞かなかったの?治療をすると言っても、結局は現実世界で生きていかなきゃならないんだし、隔離するのは僕は望まないな。体の病気とはそこが違うんだよな。」

と、杉ちゃんはすぐ言った。

「でもどうしたらいいんですか。俺たち、これでは、料理ができませんよ。彼女に、火を見ないように、台所から離れてもらうように言っても、だめなんですよ。」

そう男性利用者が言う通り、原野さんは、泣いていた。

「そうか。だったら今ここで言ってみな。なんでそんなに泣いちまうのかをな。」

杉ちゃんが言うと、

「杉ちゃんの話だって、ちゃんと聞きました。そういうことは、もう割り切るしか無いと思っています。でも、思えば思うほど、また同じ事をしてしまうじゃないかって、恐怖を感じてしまって、どうしても泣いてしまうんです。」

原野さんは、自分でもわかっていない様子だった。

「仕方ないので、杉ちゃんにもらった電子レンジで、みんな調理しているんですが、やっぱりガスコンロがつかえないと、何かと不便ですよ。原野さん、なんとかならないかな。」

男性利用者が言った。

「そうだねえ。まあ、それは、無理だからさ、無視して、ガスコンロを使ってしまってもいいと思うよ。彼女だって、いつかは割り切って過ごさないと行けないんだってことがわかると思うよ。今はその過渡期なんだ。それって一番つらいかもしれないけどさ、将来になって、ああいう時もあったな程度に思い出せたら、最高だよね。」

杉ちゃんは、いつもと変わらないように言った。

「もし、怖いと感じるんだったら、それを避けることなく思いっきり怖いと思え。そのほうが、怖くなくなったときの感動が大きくなるだろうからね。」

「杉ちゃん、そんな事いわないであげてよ。可哀想よ。原野さんだって、なりたくて病気になったわけじゃないでしょう。だから、彼女を責めるのは、コクと言うものよ。」

女性の利用者が、そういう事を言った。女性はそういうふうに共感したり、一緒に悩んだりする才能があるものが多い。それが女性の持つものだと思われた。

「まあそうだけど、放置していたら、ガスコンロは使えなくなっちまうぜ。」

「そうだけど杉ちゃん、どうせ、この製鉄所を出たら、あたしたちだって、要らないもの扱いされるんだから、それなら、原野さんに優しくしてあげたほうが良いわ。あたしたちは、要らないっていわれた辛さを知っている人間なんだから。」

別の女性利用者が、そういった。

「ま、まあ、、、そうだけど。でも、彼女が現実で耐えていく練習をさせるのが本当の優しさだと思うけどね。」

「それも確かにあるけれど、今は原野さんのために尽くしてあげたい。あたしたちだって、家族には出てけとか要らないとかそういわれている人間なんだし、それなら、誰かのために我慢することだって必要よ。」

女性利用者たちは相次いでそういう事を言うのだった。杉ちゃんも、これにはびっくりしたらしく、はああなるほどねえと言って黙ってしまった。

「まあいずれにしても、水穂さんにご飯を食べさせたいんだけど、おかゆがこれでは作れないなあ。」

杉ちゃんが思わずつぶやくと、原野さんが、涙を拭いていきなりこういう事を言うのだった。

「杉ちゃんあたし、おかゆ作るの手伝います。確かにあんなボヤを起こしてしまったけど、もう一度やり直したいの。」

「原野さん、無理しなくていいのよ。ちゃんと、お医者さんに今の状態を見てもらって、それから手伝ったほうが良いわ。病気を変なふうにしてしまったら、取り返しがつかなくなることだってあるのよ。」

優しい女性利用者がそう止めたが、原野さんは、いいえ私、やりますときっぱりいうのだった。

「そうか。じゃあまず、炊飯器にご飯があるかどうか確認してくれ。」

原野さんがそう言うので杉ちゃんは直ぐに指示を出した。原野さんは、炊飯器を開けて、まだご飯がありますといった。杉ちゃんは、それを取り出して、水の入った片手鍋に入れた。そして、原野さんに渡し、

「これをひにかけてくれ。」

と言った。

「原野さん、無理しなくていいわよ。」

女性利用者がそう言う通り、原野さんはちょっとべそをかいた。でも、顔中涙で濡らしながら、それを持って、ガスコンロの上におき、ガスの火をつけた。

「よし、じゃあ。沸騰するまでここで待機だな。その間に、味付け用の塩を出しておこう。」

杉ちゃんは、戸棚の中から、塩の瓶を出した。やがて、ご飯は沸騰し始めた。杉ちゃんは、すぐに、その中に塩を入れて味付けした。味を確認すると、原野さんに、

「よし、じゃあ、火を止めてくれ。」

と言った。原野さんは、また涙で顔を濡らしながら、ガスコンロのスイッチを押して火を止めた。

「よし!できるようになったじゃないか。大丈夫だよ。これでオーブンレンジから卒業だ。本当に良かったな。それは、自分を大げさに褒めてやれ。お前さんは、もう大丈夫だって。」

杉ちゃんは、泣いている原野さんの肩を叩いて嬉しそうに言った。原野さんは、はいと言って小さく頷いた。杉ちゃんが、おかゆを、鍋からお皿に移すのを、製鉄所のやさしい利用者たちと、彼らを支えたオーブンレンジは、静かに見守っていたのだった。





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オーブンレンジ 増田朋美 @masubuchi4996

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