ちょっと贅沢な赤いきつね

@murasaburo

第1話

 コンビニのカップ麺売り場でどれにするか悩むふりをする。悩んだとしてもけっきょくいつも同じものを選んでしまうのだが。

 味に関しては保守的で冒険はあまりできないが、作り方には自分流がある。せっかちだからたいてい完成時間の前に食べ始めることになるのだ。3分だったら2分、5分だったら3分というように。ちょっとアルデンテ加減のほうが好みなのもあるが、時間が惜しいというのが大きな理由だろう。要するに貧乏性なのだ。

 こんなささいな時間の使い方でさえ親父との違いを突きつけられた。それは三十年ほど前に遡る。


 ぼくは東北の太平洋側に続くリアス式海岸にある小さな島で生まれ育った。この地域は遠洋漁業の基地としても知られ、そこに生活する多くの人間がその恩恵を受けていた。ぼくの親父も遠洋漁業の船員として一年のほとんどを海の上で暮らしていた。毎日が危険と隣り合わせでその苦労は言葉ではいい尽くせないだろう。

 だからか家に帰ってくると毎晩宴会のような飲み方をしていた。酒を飲んでいる時間が大半を占めていたので、親父がカップ麺をすすっている姿を見たことなどなかった。麺類を食べるにしても母親が拵えたものばかりだったはずだ。母親としては陸(おか)でとる限られた貴重な食事に手軽なカップ麺を出すのは気が引けたはずだった。だからきっと親父はカップ麺が好きではないのだろうとぼくの勝手な想像で決めつけていたのだ。

 そんななか元気だった親父も沖で腰を怪我をして入院した時期があった。ぼくが高校生の頃だ。幸い怪我の具合は大したことはなかったが、休養の意味も込めてしばらく入院することにしたのだ。島から本土の高校に船で通っていたぼくは同じく本土の病院に入院していた親父を毎日のように見舞うことになる。学校が終わる夕方頃に病室に顔を出していた。

 すると病室の小さなテーブルの上に、赤いきつねがお湯を入れた状態で置いてあった。

「病院の飯よりこっちの方がごっつお(ごちそう)なんだよな」といいながら親父はいっこうに食べようとしない。

「早ぐかんねど(早くたべないと)、伸びでしまうよ」とぼくがいうと

「伸びだぐれがうんめんだ(伸びたぐらいがおいしいんだ)」と。そもそもカップ麺をおいしいという親父に少し面食らったものだ。

 親父はぼくと違って30分ほどおいてからでないと食べ始めないらしい。以前SNSで10分ほどたってから食べる、10分〇〇が流行ったがそれよりずっと昔のことだ。

 麺が伸びたやわらかい状態が好みらしいが、それよりぬるくなったものを食べたかったのだ。船での食事はできたてのおいしいものをあったかいうちにゆっくり味わって食べるほどの時間的な余裕はなく、冷めたものをただ栄養としてかき込んでいただけなのだろう。その食べ方を何十年も続けてきて、いつの間にか親父の当たり前の食べ方になったのだ。ぼくら三人姉弟を育てるために。

 その後病室に行く度に作りかけの赤いきつねがあった。今思うとその赤い容器の周囲にはほのかな出汁の香りが漂い、ゆったりとした時間が流れていたような気がする。陸にいるときにしかできないささやかな楽しみだったのではないか。


 ぼくは今あの頃の親父と同じぐらいの年齢になっている。上京して三十年以上経ち、東京の荒波に揉まれたつもりでいるが親父ほどの苦労は絶対にしていないはず。天国の親父はどう答えるだろうか。

 そしてぼくはまた今日も、深夜のコンビニで赤いきつねを選んでしまう。家に帰ってお湯を注いだら、缶ビール二、三本飲んでいる間にちょうどいいやわらかさと温もりになるはずだ。これが親父の大切にしていた赤いきつねのできあがりを待つ贅沢な時間なのかな。

「どや、時間かげっと(時間をかけると)やっぱりうんめべ?(おいしいだろう?)」

 ビールを飲みすぎたせいか、酔った親父から話しかけられたように感じた。

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