しんさんからの贈り物

恵喜どうこ

しんさんからの贈り物

 社務所の前にうずたかく積まれた段ボールを、龍尾義一たつおぎいち利一りいち親子は呆然と見上げた。一〇〇箱ある。何度も数え直したから間違いない。全ての箱に見覚えのある赤いカップ麺がプリントされている。この赤いきつねのピラミッドは突然現れた。昨夜まではなかった。朝起きたらあったのだ。なんのいたずらなのか。二人にはさっぱりわからない。


 寄付だろうか。たしかに義一が宮司を務める白狐しらこ神社は有事の際の避難場所になっているし、これだけのカップ麺なら過疎化の進む村だ。全戸に行き渡る。なにせ一二〇〇食分だ。備蓄食料として保管できる場所もある。ただ、どうやらそういうものではないらしい。年の瀬が迫っている十二月二十九日。箱とともに置かれていた手紙、しかも今どき珍しく和紙に墨書きされたものをあらためる。


振舞蕎麦ふるまいそばの代わりに皆と召し上がれ』


と、流麗な文字でしたためられている。差出人の名前や住所もない代わりに『しん』という仮名文字の朱印が紙の端にそっと押印されていた。


「信八爺ちゃんじゃない?」


 利一が言ったが、義一は頷けなかった。たしかにそうとも思えるが、村長の信八が一言もなく送ってよこすはずもない。誰かは謎だが善意の贈り物であろう。

 だがしかし世が世だ。そう簡単に信じてよいものか。毒でも入っていまいか。老人ばかりの限界集落にいったい誰がこんな施しをしようというのか。


「送り主がわからない以上、食べるのはちょっと抵抗があるなあ」と義一がぽつりと呟くと、利一が「それなら俺が調べてやるよ」と胸を張った。


 利一は十一歳。村の唯一の子供だ。二年前に母、つまり義一の妻である康代を亡くしてからは親子二人である。本来なら町に降りるべきだと思う。山間の小さな村での生活は不便が多い。学校も遠い。友達はいない。ただ利一は神社から離れたくないと言った。彼にとって、この村そのものが家族であり、家だからだ。


 義一は息子に託すことにした。皆にかわいがられている利一なら見つけられるかもしれない。新種の感染症が流行って以来、人との距離を保たねばならなくなった。恒例の祭り事の一切が行われなくなり、晦日の振舞蕎麦も感染拡大を懸念してからはできていない。早く終息するようにとお参りする熱心な村人たちの背中もここ二年でぐっと小さくなった気がする。


「それじゃあ、頼むよ」と期待を込めて言うと、利一は「任せろ」と自信ありげに笑った。


 *


 二対の稲荷像が盗まれたことに気づいたのは十二月三十一日大晦日の早朝のこと。見つけたのは利一だ。利一は村中を駆けずり回って聞き込みしたが、とうとう送り主を見つけられなかった。今日こそ送り主が見つかるようにお参りしよう――そう思って朝早く拝殿に向かった。すると稲荷像がない。義一を叩き起こし、外へ連れ出したときにもやはり拝殿前の稲荷像は土台だけを残して、きれいさっぱり消えていた。


「誰がこんな罰当たりなことを……」

「悪いことが起きるのかな?」

「憑き物落としをしたほうがいいかな」

「どうやって?」

「村の人たちを集めてお祓いをするのさ」

「足の悪い人たちはどうするの?」

「父さんが迎えに行けばいい」

「だけど、そんな人ばっかだよ」


 たしかにそうだ。家に引きこもる生活が続いているから余計にだ。人手が足りない。若者がいない。せめて家族が帰省できればよかったが、今年も帰省者はほとんどない。


 困り果てていたら「あのお」と声を掛けられた。振り返ると、そこに見慣れない青年が二人立っていた。すらりと背の高い、派手なスカジャンを羽織った青年たちは浮世絵のようにつりあがった目を細めて「ここ、白狐神社ですよね?」と訊いた。「はい」と義一が答えると、青年たちはホッとしたように息をついた。


「こちらで振舞蕎麦があると聞いて都会からやってきた者です。今年はありますか?」

「いやあ、残念ながら……」

「あれはそのための用意じゃないんですか?」


 青年のひとりが社務所の前のピラミッドを指さした。


「送り主が誰だかわからないんでどうしたものかと思って」

「村を出て行った子供さんたちが相談して、匿名で送ったのではないですか?」

「誰も送ってないと言うんです」

「段ボールに穴でも空いていましたか? 開けられた跡があったとか?」

「さあ? それも確認していないのでわかりません」

「じゃあ確認しましょう」

「それで大丈夫なら、振舞蕎麦をやっていただけませんか? 年越しそばを村人全員で食べれば、厄落としにもなって一石二鳥ですよ。ぼくらも手伝いますし」

「でも、うどんですよ?」

「だってここ、稲荷神社でしょ? 稲荷と言えばお揚げじゃないですか」


 それもそうだ。年越しそばの由来は『手軽で縁起がいい』からだし、大晦日に食べるのも「一年の厄落とし」の意味がある。それにやりたいと思っていたのだ。村の人たちをなんとか元気づけたい。お祓いをしようと言ったのも義一だ。調べてなんともなければ、やってみるべきかもしれない。こうして若い人手も増えたことだし。


 ちらりと隣を伺う。利一は疑心の目で青年たちを見ている。こんな過疎村にやってくること自体信じられないのだろう。


 重なった偶然。そこになにか意味があるように感じる。単なる勘。でも信じてみたい。意を決して義一は頷いた。利一は黙ったままだった。

 青年たちと箱を調べたがどれも問題ない。ピラミッドの頂上に一個だけ緑のたぬきが置かれていたことだけが不思議だった。


「なんで一個だけなのかなあ? そりゃあ、私は蕎麦派だけど」

「誰かきつねが食べられない人のためとか? 甘いお揚げが苦手みたいな」


 その言葉に利一はハッとした。蕎麦は苦手だが、あの甘いお揚げはもっと苦手だった。義一にいつもお揚げと天ぷらを交換してもらっている。それに気づいたのか、義一も利一を見た。二人は目をまん丸くして赤と緑のカップ麺を見比べた。


「まるで私らのことをよく知っている誰かが送ってきたみたいだなあ」という呟きに、青年たちはクスッと笑った。


 *


 東出ひがしで西入にしいりと名乗った青年たちはとにかくよく働いた。神社内の清掃、振舞蕎麦のための椅子や机、テントなどの設営も流れるようにすいすいとこなしていく。かがり火や焚火の準備を整えたのは午後三時前のこと。簡単に昼食を済ませ信八に連絡を入れる。振舞蕎麦のことを村中に知らせてもらうと、夜の七時には村役たちが集まってきた。やってきた人たちの顔はやる気に満ちていた。婦人会が甘酒を用意すると台所へ飛んでいき、村役たちは足の悪い村人たちを連れに出かけた。東出と西入も村役についていく。九時には全員が神社に集まった。甘酒を手に、わくわくと胸を躍らせているようだった。


 いよいよカップ麺の準備に取り掛かったのが午後十時半。一二〇〇個のカップ麺の準備も東出と西入の二人に掛かれば、ものともしなかった。次から次に用意されるカップ麺に婦人会が湯を注ぎ、村役が配る。義一と利一の手に赤と緑のカップ麺が手渡されたのを最後に、カップ麺は全員に行き渡った。


 東出と西入と共に拝殿前の椅子に一礼してから腰を下ろす。五分待って四人揃って蓋を開けると、それぞれの器から白い湯気がふわりと立ち上った。お出汁を口にした青年たちが幸せそうに吐息をこぼした。義一と利一も二人に倣った。温かいお出汁が冷えた体を芯から温めてくれる。ふうふうと冷ましながら麺をすすった。ずるずるっと心地のいい音が重なって和音になった。義一の隣ではふはふ言って鼻水を拭きながら『赤いたぬき』を食べる利一に、義一の口元も自然とほころんだ。振り返れば、誰もがそんな顔をしていた。身も心もあったまったいい顔だ。義一は心底、やってよかったと思った。


「本当にありがとうございました」と義一はカップ麺を膝に置いて青年たちに頭を下げた。お出汁を飲み干した二人はキョトンとした顔で義一を見た。


「村の元気を取り戻せたのはお二人のおかげです。お二人がいなかったら、こうはならなかった」


 誰かに背中を押されなかったら、できなかった。カップ麺も備蓄されるだけで終わっていたと思う。でも、そうしなかったことで、しばらく見られなかった村人たちの本当に幸せそうな顔を見ることができた。そしてなにより利一のほころんだ顔も――


「じゃあ、もうひとつだけ。願い事をしてみませんか?」

「願い事?」

「みんなが喜びそうな願い事です」

「利一、なにかあるかい?」


 青年たちは利一を見つめた。利一は目を瞑った。村の人たち全員が喜びそうな願い事。花火もない。祭りもない。それができたらいいのにと思う。みんな元気がなくなったから。でも、本当にそれが原因? 利一も寂しい。それは花火や祭りがないからではない。母と会えなくなったせいだ。きっとみんなも……


「家族! 遠くにいる家族に会わせてあげたい!」

「利一、それはいくらなんでも……」という言葉は「そうだね」という青年たちの言葉に遮られた。


「さすが我らが見込んだ男だ」


 クスクスと青年たちは顔を見合わせて笑い、利一の丸い頭をポンポンと叩いた。それからすくっと立ち上がり「その願い、わが主が聞き届けた」と大鳥居のほうを指さした。指の先を追った親子は声を失った。鳥居の向こうから「お父さん」「お母さん」という声が聞こえてきた。村を離れた家族が帰ってきたのだ。


「これはいったい……」


 そう思って青年へ視線を戻した。またもや二人は息を飲んだ。青年たちの姿はなく、ただ空になったカップ麺が椅子にポツンと置かれているだけだ。


「父ちゃん、あれ!」


 利一が義一の袖を引っ張った。彼の指すほうを見て、義一は全てを理解した。

 消えた二対の稲荷像がきちんと戻っていた。その顔は心なしかほほ笑んでいるように見える。


「父ちゃん。俺、カップ麺の送り主わかったよ」


 利一はそう言って拝殿を見つめた。義一も頷いた。

『しん』は神の音読みだったねという息子の言葉に、義一はふふっと笑みをこぼした。


 了

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