最初でサイゴの逃避行

鐘絵くま

最初でサイゴの逃避行

 室内に衣擦きぬずれと吐息の音が響く。そこに、甘くとろけるような声が混じる。


「……っ、王位選は誰に、お入れに?」

「ああっ! ……リリー様、に」

「ねえ……オリヴィア様に、なさらない?」

「いっ、いいわ、アンナ……。オリヴィア様にするっ、わ」


 なまめかしい視線を彼女に投げつつ、私は心の中で「任務完了」と抑揚よくようなく言った。



 私の住む西ロマノフは、東ロマノフとの国境線に近い街で諜報ちょうほう活動が盛んに行われ、見えない場所で戦いが続いている。

 私は西側の女性籠絡じょせいろうらく専門スパイとして八年間、王族から庶民まで何十人も落とし、操ってきた。

 しかし、今回のターゲットである東ロマノフの女性籠絡じょせいろうらくスパイ指導官、カーリ・オルセン攻略は難航中なんこうちゅうだ。

 彼女は胸から尻にかけてメリハリのある身体で、妖艶ようえんなオーラをまとっていた。誰でも歓迎していそうな刺激的な雰囲気を出している癖に、いざ攻め込むと鉄壁のガード。


 こうなったらと、私は東側のスパイ学校に生徒として潜り込んだ。

 十名の新人が集まった教室にカーリが入ってきた。


「新入生、よく聞きなさい。女性を落とすには、生嚙なまかじりの知識じゃダメ。十分な技術と経験。これで女性は開かれるの。いい?」


 カーリの甘さのある声と挑発的な視線に、生唾なまつばを飲み込む生徒が数名いた。


 座学中も彼女は妖艶さに満ちていて、毒のように私の心を侵食していった。



「次、アンナ・コルホネン。実技の部屋にいらっしゃい」

「はい」


 私はカーリとの実技演習を純粋にたのしんでしまった。私の身体に舌をわせながら怪しく光るカーリの瞳に心奪われた。


「これであえぐなんて、まだまだね」


 快楽におぼれていた私の自尊心が、むくっと起き上がった。


「今度は私が。オルセン指導官、声、気を付けてください」

「ふ、言うわね」


 私はこれまでの技術を結集してカーリを攻め立てた。押し一方からの絶妙な焦らしで、カーリを絶頂に押し上げた。


「……やるわね。私をよろこばせた生徒は、初めてよ」


 とカーリは言い、不敵な笑みを浮かべた。


 次の実技もお互いに激しかった。

 欲だけが先行して、理性は置き去り。カーリは指導というより、心の底からたのしんでいた感じがした。


 三度目の実技指導中、私は任務を忘れて、身も心も全てカーリのとりこになっていた。


「オルセン指導官……好きです」


 カーリの目が見開かれた。

 驚いたような複雑な表情をしていたのは一瞬で、すぐに妖艶ようえんな笑みを浮かべて、「私もよ」と言った。


「それは、演技?」

「いいえ、本気」


 それからは実技指導とかこつけて、一日に何度も愛し合った。カーリの悦びは私の喜びで、私の快感はカーリの悦びだった。


 こんな日がずっと続けばいい、そう思っていたところに、早くカーリを始末するようにとの指令が来た。

 今まで命を奪うことなんて何とも思っていなかったのに、今は胸が押しつぶされそうなくらいに苦しい。でも、やるしかない。それがスパイだと自分に言い聞かせ、カーリを実技指導室に呼び出した。

 私はカーリの頭に銃口を突き付け、カチャリと銃のハンマーを引いた。

 と同時に、カーリの銃が私に向けられる。


「いつか、こんな日が来るんじゃないかと思ってたわ」


 カーリの瞳が揺れる。

 スパイ同士の恋なんて悲恋ひれんしかないことを知っていたのに、本気で溺れてしまった。私は愛するカーリに殺されるなら本望だと思い、目を閉じて、力なく銃を下げた。


「……殺して」

「…………」


 目を開けると、カーリは銃を下ろしていた。


「アンナを殺せない」

「お互い、スパイ失格ですね」


 任務を失敗したスパイの行く末は、川か海かの二択だ。それも殺された後だから、自分じゃ選べない。そんな未来しかないなら、このままカーリと行けるところまで行ってみるのも悪くないかもしれない。


「……逃げましょうか」

「あら、奇遇きぐうね。私もそう思ってたとこよ」


 カーリは優しく微笑んで続けた。


「まずは各国の要人を籠絡して、安全を確保しましょう」

「それ賛成です」


 どちらからともなく声を立てて笑った。

 私は愛する人の手を取り、希望ある明日を手に入れるための一歩を踏み出した。

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最初でサイゴの逃避行 鐘絵くま @Kuma-KaneE

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