第16話 俺は君と(隼人視点)

 最初に晴日さんに「ここで寝ればよい」と言った理由は、あのままの生活では身体に悪そうだと思ったからだ。

 もちろんおつりを持ってきてくれた小さな手と、優しさを知っていたから悪い子ではないと知っていたのもある。

 部屋はあいているし、会社の目の前だ。飲兵衛や漫画喫茶で眠るなら、二階で寝ればいい……その程度の気持ちだった。

 でも晴日さんはふり向くと、いつもニコニコと近くで笑っている存在になった。

 そして感想がたくさん書き込まれた手紙を見た時に、どうしようもなく……自分の中の隠していた気持ちに気が付いた。


 誰にも気が付かれず、声を仕事をしているのはイヤでは無かった。

 表に立つ商品としての価値を失った自分にもできることがある。それが嬉しかった。

 それに声の仕事は面白い。同じ言葉なのに出し方ひとつで違う感情を見ている人に伝えることができる。

 それにおにぎり屋の仕事もあるから、夜中に少しスタジオに入り、録音する……それだけで良かった。


 でも晴日さんのまっすぐな目と感想、そして思いは、俺の心の奥に届いた。

 そして気が付いた。


 ずっと誰かに、こうして認めて欲しかった。

 気が付いてほしかったんだと。


 俺の声を聞いて素直に目を輝かせる姿を見られるだけで良い。

 まっすぐにそう思っていたが……昨日仕事でドラゴンのスタジオに行ったら、晴日さんと雨宮ケンが話していた。

 そして晴日さんはとても楽しそうに雨宮と話して、LINEの交換をしていた。

 親し気な笑顔、距離、そして雨宮ケンは晴日さんの肩に触れていた。

 恐ろしく息が苦しくなって、驚いた。

 そしてすぐに気が付いた、嫉妬していると。


 触れるな、と迷いなく思っていた。


 正直、最初はただ仕事を誉めてくれる存在が嬉しかった。

 十年間動けずにいた俺を突き動かしてくれる人。

 でも……俺は晴日さんに恋をし始めていると気が付いた。


 好きだと伝えられている。だったら踏み込めばいい。

 そんな勇気は……ここ十年で失ってしまった。

 それでも仕事にいくたびに誰かと話している晴日さんを平然と見続ける自信も無かった。

 もう少し晴日さんに近づきたい、話したい、俺のことも知ってほしい。

 そう思って食事に誘うことにした。


 


「久しぶりだね、隼人!」

西久保にしくぼさん、ご無沙汰しております」


 昔よく通った居酒屋にお世話になっていた先輩……西久保さんを呼び出した。

 ずっと面倒を見てもらっていたお兄さん的存在だ。

 どんなサポートを使えば学業と介護を両立できるか……など親身になって相談に乗ってくれた。

 結局事故にあい、その後は二年に一度くらい会う程度だったが……今日は晴日さんに会って欲しかった。


「こちら、小清水晴日さん。一緒に住んでる」

「はじめまして、小清水です。西久保さんも声が素晴らしいですね」

「はは、隼人と同じくらい低いでしょ」


 西久保さんは俺と同じくらい声が低い。

 今は舞台からは引退、洋画の吹き替えの仕事だけを続けている。色々なキャラクターを声だけで演じ分けるプロフェッショナルで、西久保さんの仕事だけはすべてチェックするほど尊敬している。

 店内に入り、俺たちは乾杯した。この店は昔からよく通っていた店で何も変わっておらず10年前に戻ったように落ち着く。

 店長の陽さんが近づいてきた。

 

「隼人くん久しぶりだねー、西久保さんも!」

「陽ちゃん~~、年取ったねえ~~。いつもの隼人スペシャル頼むよ!」

「西久保さんだって頭真っ白じゃないか。スペシャル了解、なつかしいねえ~~」


 舞台が終わってここにくると、いつも鍋を食べていた。

 それは肉がたっぷり入っていて、家でおばあちゃんやおじいちゃんと魚をメインに食べていた俺のために西久保さんがいつも頼んでくれていたものだ。

 そんなことまだ覚えていてくれたのかと嬉しくなる。

 西久保さんは嬉しそうに酒を飲みながら晴日さんと話す。


「事務所に所属するなんて、このお嬢ちゃんのおかげかい? 俺がどれだけ言ってもダメだったのになあ」

「いえいえ、私は本当にただの隼人さんのファンなんです」

「ファンって復帰前はおにぎり屋だろ。おにぎりのファンかい? いやあ~もう何でもいいよ、めでたい。しかもドラゴンだって? CMみたよ」

「私も見ました!! もう声がっ……声がすごくて……!!」


 笑顔で話している表情が可愛くて仕方ない。

 西久保さんはニヤニヤしながら口を開いた。


「お姉ちゃん、隼人の子供の頃の話、聞きたいだろ」

「っ……!! いくら積めばいいですか?!?!」

「面白いお姉ちゃんだな。俺が初めて隼人に会った時、隼人は小学2年生だった。歌の仕事してる両親が託児所代わりに連れてきたんだ。これが今の隼人からは想像できないくらいのクソガキで自意識過剰でさ~」

「……西久保さん、もういいです」


 俺は止めたが、晴日さんは目をキラキラさせながら西久保さんのコップにナミナミと日本酒を注ぐ。

 西久保さんはそれをカッパカッパと飲みながら、俺の子供時代の話をする。

 ちなみに俺がこの話を聞くのは200回目くらいだ。耳にタコができるほど聞いているし、何なら少しずつ脚色されて面白い話にされている。


「隼人は、牛乳が嫌いでな~」

「西久保さん、もういいですから」

「毎日ランドセルに入れて牛乳を劇団に持ち帰って誰かに飲ませてたんだけど、その日は牛乳嫌いなヤツしかいなくてさ。困った隼人は家からゼラチン持ってきて、劇団の台所でプリンにしてたんだよ!」

「そんな真面目な!」

「これがゼラチンが全然とけてなくて、ダマダマのドロドロで」

「ええ?!」

「でも捨てられなくて泣きながら食べてた」

「可愛すぎるっ……!!!」


 そんなことをしたのは1回だけだ。

 晴日さんが口元を押えて首がもげそうなほど振っている。

 お酒を飲んでそんなに頭をふったら気持ち悪くなるのでは……?

 でも頬を上気させて、こんなに楽しそうに話しているのははじめて見るから、良いか……と思ってしまうが、西久保さんはまだ話を続けるので俺はさすがに睨みつけた。

 俺のことを知ってほしいと思ったが、何もそこまで話さなくてもよい。

 晴日さんは「ちょっとおトイレ行ってきますね」と和室を出て行った。

 西久保さんは日本酒を俺に注ぎながら口を開いた。


「……なんだよお前、久しぶりに会いたいっていうから何かと思ったら、良いお嬢さんじゃないか」

「そう思います」

「ずっとさあ、心配してたんだよ。いつ見ても目が死んでてさあ」


 そんなつもりは無かった……。西久保さんは続ける。


「でも今日のお前全然違うよ。生きてるわ、お前やっと生き返ったんだなあ」

「……ありがとうございます」

「ゆっくり、ちゃんと積み重ねて行った先に、手を取ってくれる子がいたタイミングを逃すなよ。昔ばあちゃんの手を取り損ねたことを後悔してるなら尚、迷わずつかめ。今のお前は、掴めるだろう。……いい顔してる。俺は安心した。嬉しいな、酒が旨い」


 俺はその言葉を聞きながらうつむいた。

 そうだ。西久保さんと晴日さんを会わせたのは、こう言って欲しかったからだと気が付いた。

 背中を押してほしかったのだ。

 もう過去とは違うと。違う俺になれていると、そう言ってほしかったんだ。

 俺は酒を口に運んで顔を上げた。


「……いつまでも子どもですいません」

「お前が子どもじゃなくなったら淋しいんだよ!!」


 そう言って西久保は酒を飲んだ。

 戻ってきた晴日さんと西久保さんは連絡先を交換して別れた。


 



「最高に楽しかったです、ありがとうございました」

 

 晴日さんは俺に向かって頭を下げた。

 ちゃんと話をしたい……俺はそう思って晴日さんをコーヒーショップに誘った。

 確信した思いをちゃんと伝えようと思った。


 コーヒーをふたつ注文して奥のソファー席に晴日さんを座らせる。

 そして俺も横に座り、晴日さんの手を優しく包んだ。晴日さんは「!?」と驚いて一瞬顔を上げたが、俺が優しく握ると嬉しそうにほほ笑んで力を抜いた。

 俺は静かに口を開く。


「……晴日さんを紹介するつもりだったんだけど……俺がまだまだ子どもだと知らされただけだった」

「西久保さんの前だと本当にそんな感じでしたね。でもものすごく隼人さんを大切に思ってるのが分かりました。素敵ですね、そういう関係。店主さんも好物をたくさん覚えてて、良いなあと思いました」


 その言葉を聞いて静かに頷く。

 自分が出来なかったことだけ見つけて生きてきた。

 そして手元にすでにある幸せが見られてなかった。

 もう普通に暮らしているつもりだったのに……ずっと気にされていると気が付いてなかった。

 晴日さんが俺の日常を壊してくれたんだ。


 俺は晴日さんの手を掴んで、腕ごと引き寄せる。


「……ずっと失ったものばかりを見て、立ち止っていた。でも、晴日さんと一緒に、前に進みたいと思う」

「はい」

「……実は、スタジオに入った時、雨宮といたところをみて……年甲斐もなく嫉妬してしまった」

「!!」

 

 晴日さんはクッと俺の方を見た。


「……仕事の時は、誰とでも分け隔てなく話します。そのほうが取材対象との距離が近くなって良い記事が書けるので。でも、隼人さんは、特別で、全然違うんです」

「晴日さんの特別でありたいと気が付いた。俺は、晴日さんが好きなんだ」

「!!」


 晴日さんは俺の腕に両手でしがみ付いてきた。

 可愛くて優しく抱き寄せた。

 俺はもう、目の前にある幸せを手放さない。

 そう決めたんだ。

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