第17話 だから晴日、わらって(隼人視点)

 喫茶店から出ると「えへへ」と小さく笑って晴日さんが横に立った。

 俺は手を伸ばしてその小さな手を握る。

 晴日さんはパアアと本当にそういう音が聞こえそうなほど笑顔になり、俺の腕にしがみついてきた。

 身長差がかなりあるので、腕にしがみつかれても頭は二の腕より下にある。

 そこでぴょこぴょこと跳ねながら歩く姿を、素直に可愛いと思う。

 俺たちは家の前までゆっくり歩いた。


「会社に戻るのか?」

「お酒を飲んだので、一度寝ます」


 晴日さんがチラリと俺のほうを見た。

 その表情はお酒を飲んでいるのもあるが、ほんわりと甘くて優しい。

 もっと話がしたいと素直に思う。

 

「一緒に食事をとらないか。俺はずっとひとりで食事をしてきたから……誰かがいるとうれしい。夜は21時頃に食べている。朝は6時半だ。仕事が忙しいのは知っているから、タイミングが合う時で良い」

「はい! 食べたいです。あの、私も料理はできますよ」

「俺は調理師免許をもっているし、料理が好きだ」

「……ですよね」


 晴日さんは目を細めて、えへと苦笑した。

 生活を見ている限り、晴日さんの食生活の9割は外食で成り立っているように見える。料理はできると断言していたが、実家暮らしが長い所をみると俺が作ったほうが良いだろう。

 それにおにぎりの残りは毎日出るし、それに何かを追加しているだけで、凝ったものは作っていない。

 晴日さんはスッと一歩前に出て、もじもじと更にもう一歩前に出て、俺の胸元にポスンと飛び込んできた。


「……あの、私も隼人さんが好きです……何度も言ってるから、しつこいかもしれないですけど」

「何度聞いてもうれしい、ありがとう」

 そしてお腹あたりから顔をクッ……とあげて、

「おやすみなさい、隼人さん」

 とほほ笑んだ。

 俺は頭を優しく撫でてて丁寧に答えた。

「おやすみ、晴日さん」

 晴日さんは手を大きくぶんぶんと振りながら二階に入って行った。



 一階から家に入り、お風呂に入って着替えたら、一気に疲れが出てきた。

 俺だって恋愛をするのは10年ぶりで緊張しているのが本音だ。

 スマホを見ると雨宮から何通かLINEが入っていた。

 パーティーで知り合ったのだが、無邪気で元気で素直な子だと思った。

 人の心の入り込むのが上手なタイプで、唯一LINEを教えた。

 自分で言うのもなんだが、10年前はああいう感じだったと思う。

 あそこまで華やかではないが、自分自身の未来になんの迷いもなく、力を信じていた。

 まぶしくて少し羨ましいのだろう。懐かしくもあるし、頑張ってほしいと素直に思える。

 だから晴日さんに近づく姿を見て嫉妬したのかも知れない。

 あの頃の俺には出来ないことをする姿に。


 西久保さんも言っていたが、俺の10代は酷いものだった。

 演劇など目立つことをしていたしファンも多かった。まあ……調子に乗っていたと思う。

 人の気持ちに寄り添うとか、考えるとか、ほぼしてこなかった。

 だからおばあちゃんが俺にいつも「おはよう」とか「おやすみ」と声をかけてくれていたのに「へーへー」と生返事していた。

 挨拶という真っ当な言葉の交換が恥ずかしかったのだ。

 

 あの日……おばあちゃんは玄関まで出てきて俺に「いってらっしゃい」と言ってくれたのに俺はいつも通り「へーへー」と答えて学校へ行った。

 そしておばあちゃんは事故にあった。

 

 俺は箪笥の上の写真を見る。あの時の後悔は一生消えない。記憶も消えない。だからずっと動けずにいた。でも、その記憶を付け足して、塗り替えていくことはできる。俺はやっと気がついた。




 声優という仕事は、実の所他の仕事を持っている人間に適しているかもしれないと思う。

 舞台のように長い練習は必要なく、収録時間が短い。

 もちろん監督に求められた声を瞬時に何個も演じわける必要があるが、俺は得意だと思う。

 夜動けない監督も多く、お昼の営業が終わり、15時以降の暇な時間に少しだけ収録にいく日も増えてきた。

 今日も昼すぎから少しだけ収録に向かう。


「隼人くん、おはよう! なんか現場では久しぶりねー。もう偉い人って疲れちゃうよ~~」

「おはようございます。よろしくお願いします」


 スタジオに入ると犬飼さんがいた。

 社長の塩野さんと犬飼さんは古い知り合いで、塩野さんは大切な仕事の時は犬飼さんに頼んでいた。

 犬飼さんは塩野さんより俺と年齢が近いと思うが、仕事が出来る人だと思う。

 その結果ドラゴンの専務までのぼってしまったのだが。

 でも基本的には現場に居たい人のように見える。それほど野心があるようにも見えないが、作りたい作品が多いようで、大きな会社に入ったほうが動きやすいのだろう。

 晴日さんに背中を押され、犬飼さんが専務になったタイミングだからこそ、動けたのだと思う。


「隼人くんならもう丸任せ。というか、私が少しでも隼人くんの声を聞きたかったんだよねー。よろしくー!」


 俺は静かに頷いて脚本を読み始めた。

 マイクの前に立つのが好きだと思う。

 静まった空間に声が響く。

 ずっと舞台に立っていたが、声ひとつで世界を構築するほうが難しいと知ったのは声優の仕事を始めてからだ。

 読みながら、まだ100%には程遠いと思う。

 10年間休んでいた喉は、まだ眠った状態だ。

 それでもみんな聞いてくれるから、少し安心している。

 金魚鉢の中から作業卓のほうを見ると、もう犬飼さんは居なかった。

 本当に忙しそうだ。俺はアシスタントの子に言われて、他にも何本か読んだ。

 スケジュールには書いて無かったが、別に構わない。

 読むのは好きだ。






 店に戻り、19時に店を閉めて掃除にお金の計算などをする。

 基本的におばあちゃんがやっていたことを引き継いでいるだけで、俺は何も新しいことをしていない。

 お米も古い知り合いから長く買っているし、具材もシンプルだ。

 だからこそ赤字も出ず長く続けているのだと思う。

 片づけ終わると20時半をすぎている。いつも通り風呂に入り、夕食の準備をする。

 LINEが鳴って確認したら、晴日さんだった。一緒にご飯食べたいです! と可愛いスタンプと共に送られてきていた。

 残りのおにぎりと、具だくさんの味噌汁、それに何があったかな……俺は一気に落ち着かなくなり、台所に向かった。

 21時を過ぎたころ、晴日さんが一階のドアを控えめにノックして、入ってきた。

 そして丸テーブルの前で正座して目を輝かせる。


「ちゃんとしたご飯だ……すごいっ……!」

「残り物だ」

「いただきます」

「どうぞ」


 晴日さんはもぐもぐと食べ始めた。

 なんというか……西久保さんと食事をした時も思ったが、晴日さんは食事を食べる速度がとても早い。

 ちゃんと噛んでいるのか怪しいレベルだ。

 俺がおにぎり一個食べる頃には、晴日さんは全て食べ終わっていた。

 お腹が痛くならないのだろうか……。

 食べ終わった晴日さんは俺の横でピシッ……と正座をして、封筒を出してきた。

 何が始まるのだ……?


「あの、やっぱりお世話になりすぎだと思うので、食費含めて二万円ほどお渡しすることにします。足りなかったら言ってください。あのでも、お金を出すということは、もっとご飯を一緒に食べたいし、お風呂、とかも、たまに借りれたりしたら、いいな、なんて……」

 

 晴日さんは真っ赤になりながらしどろもどろと言葉を出す。

 この家は古く、固定資産税のみ払っている状態だし、家賃など必要ないが……これは受け取ったほうが気楽になるのだろう。

 俺は静かに頷いて受け取った。

 それにずっと気になっていたのだ、古い風呂だが使えばよいのに……と。言ってよかった。


 食べ終えてお茶を入れる。

 晴日さんは渡すものを渡して安心したのかお茶を「ふあ~」と美味しそうに飲んでいる。

 俺も横に座ってお茶を飲んでいたら、膝の先が晴日さんに触れた。

 晴日さんはチラリと目の横で俺の方をみて、じり……と少し寄ってきた。

 そしてお茶を机に置いた。そしてもう少し、じり……と近寄ってきた。

 俺はもう笑ってしまう。なんでそんな数センチずつ。横にしていた膝をたてて、俺も飲んで居たお茶をトン……と置いた。

 すると「?!」と俺のほうを向いた。肩より下まである髪の毛がふわりと広がって甘い香りがする。

 ……可愛い。

 俺は晴日さんを引き寄せて、膝の間……あぐらの中にいれた。

 めちゃくちゃ軽くて余裕で膝で囲めてしまう。

 小さい、軽い、柔らかい……と思ったら石のように固い。

 覗き込むと口を一文字に結んで石のように固まっていた。またこの顔だ。

 俺の恋人は石だったのだろうか。

 耳元に口を寄せて後ろからいう。


「晴日、わらって」


 俺の膝の間で晴日さんが崩れ落ちた。

 ……やりすぎた。

 晴日さんはジリリジリリと離れてピシリと立った。

 そして顔を真っ赤にして、


「お仕事いってきます!!」


 と叫んだ。俺は答えた。


「いってらっしゃい」


 晴日さんはふわりとほほ笑んだ。

 過去は消えない、取り戻せない。

 だから俺はもう大切なものを手放さないし、毎日一つずつ言葉を積み上げる。

 そして次の10年を作る。

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