第9話 隼人さんのお仕事事情
「
「最初に仕事が決まった時に羽村市にいて夕方だったからという適当な付け方。それが昔の隼人の仕事ネームなんだ」
劇が終ったあと、劇場の上の階にある事務所に社長さんと隼人さんは連れてきてくれた。
隼人さんの昔の名前を聞いて、私は一瞬でスマホを取り出して検索する。
すると……履歴が出てきた!
18才までの間に10本くらい劇に出演している。
宝の山! でも演劇はアーカイブが残りにくい事だけは知っている。
晴日さん、お仕事チート使って良いですか? うちの会社は演劇の雑誌を三か月に一度出している。
その部署は宝塚や演劇が心底好きな人たちが集まっているエリート集団、あそこならデータや写真がある可能性が高い!
見たい……昔の隼人さんなんて超見たい、我慢できない!
でも履歴は18才で途切れている。
社長さんは続ける。
「隼人は事情があって……18才で一度仕事をやめてるんだ」
「もう表舞台に立つつもりはない」
話をふられた隼人さんは静かに言う。
社長さんは悲しそうに目を伏せて話を続ける。
「でもね僕も隼人の声がすごく好きで、あの作品の監督は僕なんだけど、たまに頼んでやってもらってたんだ」
社長さんは劇の監督も務めていたようだ。
それにしては残念な感想を述べてしまった気がする。
もう一度劇をみて感想を伝えたいと思った。
隼人さんは、顔や体の傷が気になって表に出ないのも、もちろんあると思う。
でも今の技術なら、傷はキレイに消せるはずなのだ。
隼人さんは房江さんを守れなかったことを、今も悔やみ続けているのかもしれない……なんとなく思った。
「塩野さんには世話になってるし、声の仕事は気に入っている」
隼人さんは静かに言う。
じゃあもっと仕事してください!! と思うけど、ガツガツ仕事したらおにぎり屋さんの隼人さんじゃなくなってしまう。
仕事で疲れた時におにぎり屋さんに行くと、隼人さんがいるのがすごく嬉しいのだ。
静かにお仕事をしている横顔も、大きな手も、お店に行くと目元だけで優しくほほ笑んでくれる所も大好きだ。
この素晴らしい声をみんなに聞いてほしいと思うのと同じくらい、そう思う。
私は少し背筋を伸ばして言う。
「美和子さんも知らなかったってことは、本当に秘密にしてるんですね。私、絶対、誰にも言いません」
社長さんと隼人さんが分かりやすく安堵したのが分かる。
でも……私はスマホをさっきチャチャッといじって、社長さんの仕事履歴を見てしまったのだ。
現在発売中の男性アイドルゲーム……『キラメキ・プリンセス』……そこに出演している人に「羽村夕」という名前は当然ない。
でもこの作品……映画になっていて、社長がいる奥の棚……たくさんDVDが入ってますね、9割が舞台関係……でもそこにありますね……映画のDVD!!
私は黙ってスマホ画面を社長に見せた。
それをみた社長は「ぐふ」と噴き出して笑う。
「……目ざといね、本当に隼人くんのファンなんだね」
「出てます……か?」
まあここで聞かなくても、ここを出た瞬間にDVD買って見れば一瞬で分かるんだけど、一応。
横を見ると隼人さんが苦笑していた。でもその表情を見れば分かる、隼人さんは声を聞かれることを、イヤだとは思ってない。
「……出てるよ」
隼人さんが微笑んで答えてくれた。
「買います!!」
私はその場で買った。
そしてゲームのダウンロードもかける。ゲームは苦手だから義弟の怜二に手伝ってもらおう。
でもちょっとまって、プリンセスって書いてあるから、隼人さんが王子様してるってこと?!
いやぁあああ!!! 興奮して頭が痛くなってきたし、喜びで口元が緩む。でもなんとか普通の顔を保つ。
これ以上変態がバレるわけにはいかない。でもはやくしたい!!
隼人さんは目を伏せて小さく笑い「DVDは家にあるから、あげるのに」と言った。
私は両手をパタパタして顔を仰ぎながら首をぶんぶん振った。
「チート行為を使うのは、ファンとして良くないですから!!」
社長さんが椅子にひっくり返って爆笑した。
笑いごとじゃない、こういうのはちゃんと自分で買わないとファンじゃない。
それに借りたら返さないとダメじゃないか。そんなのあり得ない。
まあ会社の演劇部にチート使おうと思ってたけど、それはチートじゃなくて……地の利みたいな感じ?
働いてるボーナスみたいなものだから違うの!
隼人さんは立ち上がりながら言った。
「ファンじゃなくて、友達でしょう?」
「っ……!!!! そ、ぅ、でし、た、ね!!」
その言葉と響きが凄まじくて私はスマホを落とした。
もう色々バケツから溢れて気持ちが爆発しそうだ。
隼人さんは私のスマホを拾って、渡してくれた。
傷だらけの、大きな手。すごく好きな手。
初めてこの手に触れたあの夜を私は今も思い出す。
そして今、もう一度触れて、スマホを受け取った。
「帰ろうか」
「はい!」
私は社長さんにお礼を言って、隼人さんと事務所を出た。
隼人さんは今度は最初から私の歩調をに合わせてくれる。
来る時はただ緊張していたけど、今は行きの100倍ワクワクしている。
隼人さんが声のお仕事をしていて、たくさん隼人さんの声を聞くことが出来る。
なにより、それを知れたことが嬉しかった。
そしてこれは私の願望だけど、夜出かけているのはお仕事だろう。
でもきっと細かくは教えてくれない。
そんなのどうでもいい、だって情報サイトが教えてくれるもん~~!!
さっきパパッとぐぐったけど、隼人さんは『
これまた楠の木にみぞれが乗っていたからではないかと連想するが……何かのタイミングで聞きたい。
さっきのゲームは監督さんが社長の昔からの友達で、頼まれて出演しているようだ。
調べたら楠さんのファンはものすごく多くて、今時めずらしく顔出し一切NGな所も妄想を書きたてるようで、超人気声優さんだった。
はあはあ、調べれば調べるほど出てくる情報にスマホをいじる指が止められないっ!
もっと早く調べていたら……と思うけど、楠さんのファンにはなったかも知れないけど恋はしなかったと思う。私は今、間違いなく隼人さんに恋してる。
おにぎり屋さんでシャケおにぎりを握っている優しくて声が素敵で優しい隼人さんが、好きなんだ。
おにぎり屋さんの前についたので、私は頭をさげてお礼を言った。
「今日は本当に楽しかったです、ありがとうございました。あの……色々情報を無理に聞いてしまって、すいませんでした」
嬉しくてグイグイしすぎたし、たぶん変態もあふれ出ていた。
私は素直に謝った。
隼人さんはゆっくりとまばたきをして、口元に握りこぶしをあてて少し言葉を探して……口を開いた。
「声の仕事は……誰にも気が付かれなくていいと思ってたけど、喜んでもらえると嬉しい気持ちを、思い出した。俺のほうこそ、ありがとう」
「そんなの、こちらこそ、お仕事続けていて下さってありがとうございます。配給うれしいです」
なんだこの返答。
でももうそれしか言えなかった。
隼人さんはちょっとまって……と言って、おにぎり屋さんの奥に行ってCDを持ってきてくれた。
そこには【朗読劇】と書いてあった。
「最近だと、俺はこの仕事が一番楽しかったから」
「ありがとうございますっ……今日はこれを聞いて徹夜で仕事します!」
「君にちゃんと寝てほしいからウチの二階を貸したんだけど」
隼人さんはそう言って薄くほほ笑んだ。
ああなんですかその私殺しのセリフ……好きです……じゃあ聞きながら寝ます……絶対無理……。
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