第8話 私には分かります
「おい晴日、顔にパック張り付けまま仕事するのやめろ、ただのホラーだ」
「話しかけないでください、文章飛びます」
私は鬼のような速度でキーボードを打った。
月曜日はずっと国立図書館にいたし、夜から告白したテンションで仕事したけど文章が変すぎて全修正。
火曜日は反動が来て実家に帰って倒れるように寝て、二日経った今、やっと仕事ができるレベルになってきた。
つまり私は今、四日分の仕事を高速で終わらせているっ!
今朝出勤前におにぎり買いに行ったら、隼人さんが奥から出てきてくれ「おはよう」って言ってくれた。
奥から出てきてくれたのは初めて! すごく嬉しい。
「よし!」
今日は約束の木曜日……隼人さんと美和子さんの演劇を見に行くのだ。
仕事をするにあたり、最も有効かつ速度を上げるのは締め切りという終わりの時間だ。
今日は19時におにぎり屋さんに行く、そう決まっているのが最高に集中力を上げてくれる、よっしゃここまで出来てれば明日朝確認でいける!
写真選びは今日の夜戻ってきたらやろう。
サイトで確認すると、劇自体は1時間半程度で終わるようだった。挨拶含めても2時間くらいだろうか。
ひょ、ひょっとすると隼人さんとご飯とか行けるかもしれないから!
その場合は明日の朝やろうかな!!
パックを投げ捨ててメイクを済ませて外に飛び出す。
少し早めにお店をしめたのか、隼人さんが店の前に立っていた。
その服装は黒のハイネックに黒のパンツ。それに紺色のシャツを羽織ってて……すごくかっこいい……。
口ごもってモゴモゴしてしまうが、なんとか顔を上げる。
「っ、あ、と。……お待たせしました」
「行こうか」
隼人さんが歩きだしたので、私は後ろについていく。
うう……あんなにペラペラ話して告白したのに、私服姿を見ただけで言葉が詰まって出てこないとか、それでもライターか?!
さっきまでキーボードを壊れるくらい早く叩いて記事をサラサラ書いてたのに、隼人さんを前にすると語彙力が小学生レベルになるのをなんとかしたい。
まず考えてきた会話を頭から取り出す。
「あの、美和子さんに伺ったんですけど、隼人さんも舞台に立たれていたんですね」
「小学校のときからね。父が音楽家で、入れられてた」
「音楽家?!……歌手さんみたいな……?」
「そうだね、ずっとフランスにいてほとんど日本にはいない」
「だからそんな素晴らしい声なんですね!」
私が言うと、隼人さんは目元だけで微笑んだ。
好きです!!
ああ、会話してるけど、隼人さんの声は私のお腹の奥にいつも響く。
ただの声なのに暖かいお湯に浸かっていて、それを震わされているような感覚。
それに、やっぱり優しい。
隼人さんはものすごく身長が高いから、当然歩幅も大きい。
私は身長が155cmしかないので、わりと小さい。
だから一緒に歩いていても私は完全に小走りになる。
でもそれは仕事先の人たちと歩いている時も同じなんだけど……隼人さんはそれに気が付いたのか、歩幅を小さくして、私に合わせてくれた。
話すときも少し背中をまげてくれてる気がする。
私は思わず、少し背伸びしながら歩いてみた。
少し隼人さんが近くなる。
隼人さんと歩くように、5cmくらいのヒールを買ってみようと思った。
ヒールは苦手だけど少しでも隼人さんの近くでお話がしたいの。
人生で初めて来た小劇場は、一見普通のマンションに見えた。
これが劇場なの? 看板が無かったら全く気が付かないと思う。
でも中に入ると奥にものすごく長くて、天井も高かった。
舞台のようなものはなく、高さや幅を自由に使える場所のようだ。
椅子は備え付けではなく、小さな椅子が並べてあり、そこには大量のチラシ……すべて他の劇団の広告が置いてあり驚いた。
世界には私が知らないことが山のようにある。
椅子も席も小さく、隼人さんと腕が触れてしまう。
私は触れるたびに緊張してしまうので腕をねじらせて小さくなっていた。
すると隼人さんは私のほうを見て小さな声で
「……そんなに小さくならなくても大丈夫」
と優しい声で言ってくれた。私は少しだけ気楽になって力を抜いたらやっぱり隼人さんに腕が触れてビクリとなった。
接触は緊張する。それに隼人さんとの距離が近すぎる。
「おつかれー!」
スーツを着た陽気なおじさんが両手を振りながら隼人さんに寄ってきた。
隼人さんは私をその男の人に紹介してくれた。
「この劇団とかを管理してる社長の塩野さん」
「はじめまして!」
私は挨拶をして名乗った。
塩野さんという方は推定70才手前、髪の毛は全部白くて恰幅がいい。
仕事柄ファッションチェックをしてしまうんだけど、スーツは10万以下だけど靴が良い物だし、何より時計が高いからわりとお金を持っている人だ。
塩野さんは席に座って眉毛を下げた。
「隼人が珍しく女の子と来てるっていうから見に来ちゃった。横の席買ったから一緒にみていい?」
「私はもちろん問題ないです」
隼人さんは「ええ……?」みたいな顔をしていたが、私はその言葉を聞いて嬉しかった。
この場所に女の子を連れて来るの、珍しいんだ。
そんな小さなことが嬉しい。
そして演劇が始まった。
私は入社してファッション系→PC系→ゴシップ系→読モ管理……と部署を移動していて、舞台とか芸術系は全く詳しくない。
関連部署に行けば自動的に勉強するんだけど……と思いながら演劇を見ていた。
正直内容はよく分からないが、目の前で繰り広げられる俳優さん女優さんの演技に圧倒された。
なにより私が感動したのは、たまにはいるナレーションを隼人さんがやっていることだ。
半分は他の人がやっているのだが「ここ!」という時は隼人さんが読んでいる。
もう隼人さんの声マニアの私にはたまらないご褒美で、声が流れるたびに心の中でよだれを垂らしていた。
だって仕事用の隼人さんの声、きっと本気を出してる。
建物の空間を振動で振るわせて歌わせるような響き……圧倒的すぎて指先が震える。
演劇が終り、横にいた社長さんが私に感想を聞いてきた。
もう私が言えるのはたった一言だ。
「隼人さんがナレーションされてるなんて、聞いてませんでした。もうラストシーンの詩の朗読が素晴らしかったです。特に無駄に涙を誘ってない感じが最高でした。隼人さんの静かな声だからこそバエるというか、主人公たちの気持ちに寄り添って優しいのに、それでいて真摯な話し方が、もう最高でした!」
「え……」
私の感想を聞いて隼人さんも社長さんも絶句してしまった。
あ! 演劇を見に来たんだからまずは俳優さんとか女優さんを誉めないとダメだったかもしれない。
隼人さんの声ばかり集中して聞いていたから、感想がそれになってしまった。
慌てて髪の毛を耳にかけながら頭を下げる。
「あの、すいません私、演劇とか見たの初めてで失礼なことを言ってしまったかもしれません、申し訳ないです……! もちろん美和子さんも主役の方も素晴らしかったです。えっと内容はちょっと私には難しかったんですけど、えっと……」
私は慌てて謝った。
塩野さんは目をぱちくりさせて口を開く。
「隼人のナレーションって……ラストシーンと、あとはどこだと思う?」
「?? 冒頭のシーンと、牧場でふたりが出会ったシーン、それにパーティー会場の放送も隼人さんでしたね! というかナレーションの5割は隼人さんでしたね……中盤ダンスシーンの人は違う方でした」
「いや、全部隼人じゃないんじゃない……?」
「いえいえ、私、隼人さんの声だけは、私わかるんです。指先が痺れて……大好きな声なんです」
ドヤりながら思ったけど、こんな言葉隼人さんの目の前で言ってしまって大丈夫だろうか。
告白に続き、さらなる変態ぶりを見せつけてるだけでは……?
社長さんは驚いた表情で口を開く。
「晴日さんと言ったね、君は音大でてるか、絶対音感があるとか……?」
「?? 出版社で働く普通のOLですけど……」
社長さんが絶句するのと、隼人さんが今まで見た事ないくらい、顔をくしゃりとさせて笑ったのは同時だった。
私はその表情を見ただけで心臓が痛くて倒れそうになってしまう。
隼人さんが、笑った!!
そして口元に手を置いて目を細めながら、
「気が付いたのは、君が初めてだ」
と言った。
というか、生の劇を見ていて目の前の迫力ある演技より流れてくるナレーションにしか耳がいかないなんて、よく考えたら変態感想すぎる。
でもそれは仕方ない、隼人さんの声が好きすぎるのだ。
他のお客さんが帰り始めて、席には私たちしか残っていない。
「……行こう」
隼人さんが私の背中から腕を回して、左腕に優しくふれて立たせてくれる。
その大きな手に、背筋がぞくりとする。
隼人さんは狭い通路、私を守りながら進み、右肩上で口を開いた。
「なるほど……君は俺の声が好きなのか」
「ひえっ?!」
私は思わず耳を押えて振り向く。
こんな近くでしかも後ろから話しかけられたら心臓が持たない!!
『好き』とか容易く言わないでほしい。そして慌てて否定する。
「あの、声だけじゃ、ないですから。好きなのは」
そう言うと隼人さんはキョトンと目を丸くして少し恥ずかしそうに私を見て、
「……そうか」
と言ってうつむいた。
私は言い切ってから「なんでまたこんなところで普通に告白してるの?!」と顔が熱くなった。
恥ずかしすぎるんだけど!!
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