第4話 70点の男に興味はない


「よし、準備オッケー」


 私はキャリーケースに三日分の服を入れた。

 うちの会社の隣にフィットネスジムがあり私はそこの会員だ。

 23時までしか開いてないが、気分転換兼ねて時間内に広いお風呂に入り、あとは適当に漫画喫茶や健康ランドで寝ていた。

 水曜日と週末は実家に帰り、洗濯と服の入れ替え。

 会社に簡易ベッドはあるけど、あそこで寝てると叩き起こされて仕事差し込まれるからイヤだ。

 今日仕事終わったら勇気だして隼人さんの所に行ってみようと思ってる。

 まずお家賃いくらですか……? からだ。



「おはようございます」


 電車の中で睡眠を貪り、再出社した。

 年俸制で出社時間に縛りがなく、仕事さえやればよい出版社が私には向いている。

 荷物を置いた瞬間に中島デスクに捕まった。


「晴日良かった。今からPスタ行ける? 琥珀こはくさん2時間押しでミサキちゃんグダグダしてるみたい」

「了解です」


 私の仕事は雑誌の編集だが、読モの管理もしている。

 下は小学生から上は高校生までいるが、みんな一癖も二癖もあり大変だ。

 でも私は実家が大家族でどんな年齢にも対応できるのが特技で、それを見込んで頼まれている。

 うちの雑誌『MOKOMOKO(もこもこ)』の一番人気のモデル、ミサキも恋愛で気分が上下するタイプだが、服が憑依する系で私は面白いと思っている。

 スタジオに入るとミサキが茶色の髪の毛の先っぽをくるくる回しながら、グダグダと文句を言っていた。


「晴日さーん、琥珀さんまだ来ないの? やる気でないーー」

「ミサキお待たせ! 琥珀さんあと2時間は無理だって。先に撮れるとこだけ撮っちゃお? 私も話があるんだ」

「え? なになに? ついに隼人さんとエッチした?」

「いやいや、でも……同居する、か、も?」

「えーーーちょとまって、ただのストーカーだったのになんで急にそうなるの? エッチしたから?」

「詳しい話は撮影終わったら」

「秒で終わらせてくる!」


 ミサキは制服を脱ぎ捨ててすぐに衣装チェンジして、撮影を始めた。

 制服を着ていた時の幼い表情は消えて、一気に妖艶な大人の顔を見せる。

 着せられた服が真っ赤なドレスだからだ。

 ミサキはいつも服を着ない、服を演じているのだ。

 続けたら良い女優さんになれると思う。読モの管理で楽しいのは成長が見られる所だ。


「琥珀さん入られます!」

 

 順調に撮影していたら、アシスタントが走ってきた。

 えええ?! 今やっとミサキのスイッチが入ったのに、勝手に遅刻して「2時間後」とか言ってたのに30分で適当にくるヤツに撮影分断されるの、マジクソなんだけど、絶対口には出せない。

 だって『琥珀さん』は今一番人気の俳優で、今どの雑誌も琥珀さんが載っていれば売り上げアップ。

 来季のドラマも有名女優と組むことが決まっている。

 そしてうちみたいな小さな雑誌社は「琥珀さんが出てくれるなら、それだけで大歓迎です!」状態なのだ。

 

「お待たせして申し訳ないです!」


 第二マネージャーの三宅さんがペコペコ頭を下げながら入ってくる。

 私はそれをみて「ははん……」と思う。三宅さんが来たってことは、どっかの撮影待たせてるか、抜けてきたんだな、たぶん気分で。

 第一マネージャーの金本さんは、そっちの現場にいるのだろう。

 

「おまたせしました~」


 琥珀さんは上下真っ白なスーツに身を包みサラサラとした髪の毛を揺らしながら入ってきた。

 この人外面はいいのだ、笑顔を絶やさないし、話し方も丸い。

 でもめっちゃくちゃ女癖悪くて、女優から読モまで裏で食い散らかしているのを私は知っている。

 特に女子高生が好きで、毎回自分が出るドラマに読モをねじ込んでくる。

 次のターゲットは私が可愛がっているミサキ。

 でも今一番売れている俳優に声をかけられたミサキは大喜びで、陵というメンズモデルの彼氏がいるはずなのに、完全に琥珀さんに夢中だ。

 撮影を中断したミサキは目を輝かせて走り寄ってきた。


「琥珀さん! 来てくださったんですね、待ってました」

「お待たせ、ミサキちゃん。ドレス可愛いね、制服のが可愛いけど」

「すぐ着替えますね!」

「待ってるよ」


 琥珀さんがミサキの後ろ姿を舐めるように見ている。その視線は完全に今から仕事する相手ではなく『女の子を性的に見ている』。

 未成年相手にする目つきじゃない、怪しすぎる!

 ミサキが衣装チェンジして撮影が再開。琥珀さんはミサキの腰を引き寄せたり、オーダーされてないポーズばかり取る。イライラしながら見守っていると、そこに群馬から戻ってきた桜ちゃんがきた。


「おつかれさまです、琥珀さん見に来ちゃいました」

「え? 桜ちゃんもアイツ好きなの?」


 私がそういうと桜ちゃんは横に席に座って目を輝かせた。


「顔も好きですけど、何より声が良いよね。ていうか、声好きなら晴日さんも琥珀さんの声も好きなんじゃないですか?」

「声? 言っとくけど私めっちゃ厳しいよ、声。隼人さんマニアだからね」

「それ絶対本人の前で言わない方がいいですよ……。でもよく聞いてみてくださいよ。琥珀さん朗読メインのラジオドラマを長年やってるんですけど、めっちゃいい声ですよ。私その番組が好きでファンなんです」

「えーー?」


 桜ちゃんがそこまで言うなら……私は目を閉じて話している琥珀さんの声に耳をすます。

 今度ご飯にいこうよ……とか、LINE教えて……とかミサキを口説いてる声しか聞こえくてイライラするが集中……。

 目を閉じて声を味わう。

 出ました、結論。


「うん、隼人さんが200点なら、琥珀さんは70点だね。たしかに隼人さん系統の良い声なのは認めるけど、結局低音のレベルが全然低いよ、もうさ凄いんだから隼人さんの声はあんなレベルじゃなくて聞くだけで指先がビリビリするもん」

「……なんの話?」

「きゃっ!!!」


 桜ちゃんが飛び上がる。

 後ろに琥珀さんが立っていた。聞かれてた!


「桜ちゃん、ひさしぶりだね。雑誌作るの楽しい?」

「はい、楽しいですよ!」

 

 桜ちゃんは笑顔で答えた。

 実は桜ちゃんも元私が担当していた読モだ。

 進学と同時にやめていたのだが、普通に選考突破して入社してきた。

 業界に詳しくて頭も良いので重宝している。それに私に対してフランクにツッコんでくれる相棒だ。

 琥珀さんは私を一瞥してさっさと戻っていった。

 結局こっちがほしい絵は全く撮らず、自分勝手にミサキとツーショットだけ撮影して「時間が」と消えていった。 

 ついでにミサキのLINEだけはゲットしたようで「見てみて、琥珀さんのアイコン可愛いよ?」と嬉しそうに見せてくれた。

 チワワの写真……私の情報では琥珀さんは動物嫌いでロケ全部断ってるらしい。

 ただの釣り写真じゃん。

 マジであの男……要警戒すぎる。



 撮影を終えて会社に戻った。

 時間は19時。窓から外を見ておにぎり屋さんを見ると片づけをしている隼人さんが目に入った。

 営業終了だ。……うう、緊張する。

 私はトイレに行って髪の毛とメイクを直して、なんなら歯も磨いて、服装も整えて……気が付いた。

 昨日酔いつぶれた所を運んでもらって、あげく今朝はマスカラどろどろのパンダ顔見られたんだから、もう取り繕っても無駄なのでは?

 いやいや、今日が再スタートなんだから! 昨日までの私は忘れてほしい。


 私は横断歩道を渡って半分だけシャッターを閉めているおにぎり屋さんの前に立つ。

 マジで1分で来られて本当に便利だ。

 ふう、勇気を出してここをくぐって……と思ったら、シャッターの向こうから隼人さんが出てきた。


「っ……!! こんばんは」

 私は心の準備が出来ておらず、後ずさりした。

「こんばんは」

 隼人さんは静かに挨拶してくれた。仕事を終えたばかりなのか、エプロンに作業着姿だ。

 マスクと帽子を取って、髪の毛をほどいた。

 うう……カッコイイ。正直顔も、大きな身長も、しっかりとした体格も全部最高に好みだ。

 でも悟られないようにしっかりとした姿勢で表情を作って口を開く。

 

「今朝はお世話になりました。あの、ここの二階を賃貸に出すということですが、お家賃はおいくらでしょうか」

「賃貸……家賃……? 要らないよ」

「ええ?!」


 私は叫ぶ。

 でも受け入れてしまったらもう一度交渉する勇気はない。


「あの、家賃を取って頂かないと、逆に来にくいです! なんか悪くて。漫画喫茶も一晩2000円とかです」

「じゃあ月2000円」

「ええええ?! 適当だし安すぎませんか?!」

「二階は風呂もトイレも暖房もなくて、古い畳の間があるだけだ」

「寝るだけなので大丈夫です、全部目の前の会社にありますし」

「だから2000円でいい。はい、鍵」


 隼人さんはポケットから二階に通じる階段前にあるドアの鍵を渡してくれた。

 いとも簡単に手に入った鍵が私の掌の上でシャランと軽い音を立てた。

 なんか契約とか、決めごととか、いろいろしたほうが……!

 そう思ったけど、隼人さんは全く気にしていない。エプロンを取りながら、


「俺も夜中に出かけたりするから、うるさいかもしれない」

「いえいえいえいえ、私も夜遅いです!!」


 そういって胸を張った。

 なんだろうこの自慢、自分で言いながらよく分からない。

 でも私がそう言うと隼人さんは目元だけで笑って、


「……知ってる」


 と言った。

 その言葉の響きに私の指先はビリビリ痺れて泣きそうになる。

 知ってますか! そうですか! 私は最高に隼人さんが好きです!!

 口に出せない気持ちを心の中で再生して真顔で頭を下げた。

 

「あの、さっそく今晩から、お世話になります」

「布団朝のままだから、そのまま使って」

「はい!!」


 おにぎり屋の奥に歩いて行く隼人さんを私は見送った。

 そして手元にある鍵をみる。

 やった、夢じゃない、私隼人さんの寝起きしてる二階に住める!

 でも同時にさっきの隼人さんの言葉を反芻する。


「俺も夜中に出かける」


 ……実はずっと見てたのにブレーキをかけていたのは理由がある。


 隼人さんは真夜中によく出かけているのを私は知っていた。

 コンビニで会ったときもあれは深夜1時くらいだったはずだ。

 私のように時間関係なく働いているなら深夜1時に出歩くのは、あるあるだけど……朝からお店をしている方は、出歩く時間じゃない気がする。

 彼女に会いに行っている……実は結婚してる……多額の借金があり深夜も働いてる……夜中にホスト……死に別れた弟を探している……夜中にしかできない裏稼業をしている……。

 仕事で適当文を量産していると妄想だけは立派になる。


「うぐぐぐ……」


 私は鍵を握りしめた。

 これからも近づくと沢山見えて、沢山心が痛いこともあるんだろうな。

 でも、好きなんだもん……もっと知りたい、近づきたい。

 隼人さんが好きなんだもん。


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