赤いきつねと緑のたぬきとシャンパンゴールドの猫ちゃん

さき

赤と緑とシャンパンゴールドの会議室

 




「先輩、せーんぱい!」


 数度呼ばれて我に返った。

 振り返れば後輩が私を見つめている。


「ごめんね、ちょっとぼーっとしてた」

「大丈夫ですか? なんか最近よく考え事してますよね」

「うーん……、季節的なものかなぁ。それか入社三年目のマンネリかも」

「えぇ、転職とかやめてくださいね!? 先輩が居なくなったら生きていけない!」


 大袈裟に悲鳴をあげる後輩を苦笑しながら宥める。


「転職なんてしないよ。それで、なんで私のこと呼んでたの?」

「あ、そうだ。受付から、会議室にお客さんが来てるって連絡がありましたよ」

「そっか、ありがとう」


 机の上の資料を手早く片付ける。

 マウスを動かし、パソコンをスリープ状態に切り替える。初期設定のままのデスクトップ画像の上にアイコンが乱雑に散っており、それらがパッと消えて暗くなった。

 携帯電話を手に取る。こちらの待ち受け画面も初期設定のままだ。


「それじゃ、行ってくるね」

「はーい、いってらっしゃい」


 ひらひらと片手を振る後輩に見送られ、会議室へと向かった。



 ◆◆◆



 会議室の扉を前に立ち止まり、深く息を吐く。

 ここ最近ぼーっとする事が多い。仕事に身が入らない。仕事も生活も中弛みしているのだろうか。だけどそれを引きずっていては駄目だ。


「失礼の無いように対応しないと」


 今日の打ち合わせ相手は、全国的に名の知れた、そして誰しもに愛されている相手だ。気の良い方々だが失礼の無いようにしないと。

 そう自分に言い聞かせ、扉を数度ノックしてゆっくりと開けた。


「お待たせしました。本日はよろしくお願いいたします。赤いきつねさん、緑のたぬきさん!」


 気持ちを切り替えるように明るい声で挨拶をする。

 そこに居るのは、今日の打ち合わせ相手。赤いスカーフを首に巻いた赤いきつねさんと、緑のハンチング帽を被った緑のたぬきさん。


 そして……、


「今日はよろしくおねがいします!」


 と、元気いっぱいの挨拶をする……、猫。


「猫?」

「はじめまして、シャンパンゴールドの猫ちゃんです!」


 自らを『シャンパンゴールドの猫ちゃん』と名乗った猫がペコリと頭を下げた。

 ふわふわの柔らかそうな毛、ピンと張った髭、アーモンドのようなくりっと丸い瞳。

 そんな『シャンパンゴールドの猫ちゃん』が、たぬきさんときつねさんの間に座っている。


「えーっと……、猫、さん?」

「猫ちゃんは猫ちゃんなので、猫ちゃんで良いです」

「そ、そうですか……。それで、猫ちゃんはどうして今日ここに?」

「猫ちゃんは、赤いきつねさんや緑のたぬきさんみたいに、シャンパンゴールドの猫ちゃんになりにきました!」


 はっきりと告げてくる猫ちゃんに、私は理解が及ばず数度瞬きをし……、


「あの、よくわからないんで説明してもらえますか」


 と、きつねさんとたぬきさんに尋ねた。

 これは自分で理解するのは不可能だ。




 きつねさんとたぬきさん曰く、猫ちゃんは赤いきつねと緑のたぬきに憧れ、自分もと思い二匹について来たらしい。

 シャンパンゴールドは自分で決めた色だろうか。


「なるほど……。でも、せっかく来て頂いたところ申し訳ないんですが……」


 言葉を濁しつつ猫ちゃんを見れば、猫ちゃんは理解したと言いたげにうんと頷いた。


「わかりました、大丈夫です」

「分かってもらえましたか、良かった。それならお帰り頂いて……」

「猫ちゃんは可愛いので、シャンパンゴールド以外の色でも似合います」

「まったく通じてない」

「パープルピンクの猫ちゃんでも、サファイアブルーの猫ちゃんでも良いです」

「お洒落な色を選ぶ……。いえ、そうじゃなくて」


 どうしたものか、と悩んで、ふと赤いきつねさんと緑のたぬきさんに視線をやった。

 きつねとたぬきながら、困ったと言いたげな表情を浮かべている。


「きつねさんとたぬきさんは、それぞれ具を象徴してるんです」

「具、ですか?」

「きつね、と言えばおあげ。たぬき、と言えば天ぷら。人間は『きつねとたぬき』と聞くだけで、美味しいうどんやお蕎麦を想像するんです」

「なるほど。きつねさんとたぬきさんは、美味しいうどんさんとお蕎麦さんなんですね」


 なにも動物だからというだけで、きつねとたぬきを採用しているわけではない。それぞれがうどんや蕎麦を連想させるのだ。

 それを話せば、猫ちゃんはふむふむと頷いた。どうやらようやく理解してくれたようだ。


「それなら、猫ちゃんの具は鰹節が良いです」

「これでも理解してくれない」

「猫ちゃんは可愛いので、パスタやスパゲッティでも大丈夫ですよ」

「いや、麺の種類の話でも無いんです」


 猫ちゃんは一向にこちらの話を理解してくれない。どうしたものか。これでは打ち合わせも始められない。

 ここは心を鬼にして、ときつく睨みつければ、猫ちゃんは三角耳をぴくりと揺らした。


「猫ちゃんは可愛いし、お仕事頑張りますよ。いっぱい働きます」

「駄目です、猫ちゃんとのお仕事は出来ません」

「そんな……、猫ちゃんはこんなに可愛いのに……!」

「申し訳ないんですが、お帰りください」


 拒否の姿勢を示せば、猫ちゃんはようやく理解したのか、先程までぴょこんと立てていた三角耳をぺったりと伏せさせた。

 瞳に悲しさの色が浮かんでいる。


「そうですか……。猫ちゃんは何かの猫ちゃんになりたかったんですが、ここでも何の猫ちゃんにもなれないんですね」


 分かりました、と呟き、猫ちゃんがぴょんと椅子から降りた。

 ぺこりとこちらに頭を下げて、部屋の扉へと向かう。レバーハンドルには届かないが、ぴょんと飛んで前足を引っかけると、うまいこと扉を開けて出て行った。

 その後ろ姿からは寂しさが漂っている。力なく垂れた尻尾が扉の隙間に見え、それがするりと消えるとパタンと扉が閉められた。

 猫ちゃんの姿が見えなくなった瞬間、私の胸に言いようのない切なさが湧く。心を鬼にしたが、それも限界だ。


「猫ちゃん……」


 あの猫ちゃんはどこに帰るのだろうか。

『何かの猫ちゃんになりたかった』と言っていたが、あの猫ちゃんは何の猫ちゃんでも無いのだろうか。言葉の意味はよく分からないけれど、寂しさだけは伝わってくる。


「あの……、さっきの猫ちゃんはどこの子なんですか?」


 今更ながら、猫ちゃんの素性をきつねさんとたぬきさんに尋ねる。

 今までやりとりを静かに見守っていた二匹は、首元のスカーフを直し、頭上のハンチング帽の位置を調整し、喋り出した。


「あの猫は生まれてすぐに母猫と逸れてしまって、今日まで野良で暮らしていたそうです」

「それでなぁ、『何かの猫ちゃんになりたい』って言い出して、ここまで着いて来たんだよ」


 きつねさんとたぬきさんも説得を試みたようだが、猫ちゃんの必死さに根負けし、ここまで同行させてしまったという。


「そうなんですか。何かの猫ちゃんに……」


 今まで一人ぼっちならぬ一匹ぼっちで生きてきて、誰かに求められたいと思ったのだろう。

 そして、『赤いきつね』と『緑のたぬき』と出会い、二匹がいかに好かれているかを知り、同じように求められる存在になりたいと願ったのか。


 それを考えると居てもたってもいられなくなり、「少し待っていてください!」ときつねさんとたぬきさんに告げ、部屋を飛び出した。




 社内の廊下を、猫ちゃんがとぼとぼと歩いている。

 猫背なのは元からかもしれないが、俯いた姿勢と力なく垂れた尻尾、後ろ姿でも分かるぺたりと伏せた耳、見ているだけで胸が痛くなる。


「猫ちゃん!」


 声を掛ければ、伏せられていた耳がぴょんと立ち上がり、次いで猫ちゃんがくるりとこちらを向いた。

 丸い目が、悲しそうにこちらを見つめてくる。


「さっきのお姉さん……」

「あの……、シャンパンゴールドの猫ちゃんにはしてあげられないけど。でも、うちの猫ちゃんになりませんか?」


 問えば、猫ちゃんが丸い瞳をより丸くさせた。

 下がっていた尻尾がゆっくりと持ち上がる。


「お姉さんの猫ちゃん?」

「そう。うちに来て、私の猫ちゃんに。赤いきつねさんや緑のたぬきさんみたいに有名にはなれないけど、でも、私の特別な猫ちゃんになってほしいの」

「お姉さんの特別な猫ちゃん……」

「どうかな? うちに来てくれる?」


 尋ねれば、猫ちゃんは大きな瞳を輝かせ、


「なります……! 猫ちゃんはあなたの猫ちゃんになります!」


 嬉しそうに応えると、トタタッと小さい足で駆け寄り、私の腕の中にぴょんと飛び込んできた。



 ◆◆◆



「先輩、受付から連絡です。会議室にきつねさんとたぬきさんお通ししたそうでーす」


 後輩に呼ばれ、「はーい」と返す。

 机の上を片付けてマウスを動かす。画面に映るのは、猫ちゃんがお気に入りのクッションで丸まって眠る可愛い写真。以前まで画面に散らばっていたアイコンは、今は写真に被らないよう左端に纏めている。

「頑張ってくるね」と画面に声を掛けてスリープ状態に切り替え、次いで携帯電話を手に取った。

 携帯電話の画面には、玩具で遊ぶ猫ちゃんの写真。見ているだけで癒される。


「行ってくるね」

「はーい。いってらっしゃい。そうだ、先輩」

「なに?」

「先輩、最近凄く楽しそうですね。なんかキラキラしてますよ」


 いい感じです、と親指を立てる後輩に、私は「ありがと」と笑って返し、会議室へと向かった。




 今日も赤いきつねさんと緑のたぬきさんとの打ち合わせだ。

 本題に入る前に、二匹に猫ちゃんの写真を見せてあげよう。シャンパンゴールドのリボンを胸に飾っている写真。名前も決めたと話せばきっと喜んでくれる。

 そう考えて、扉をノックして開ける。


「お待たせしました、今日はよろしくお願いします!」


 そこに居るのは、赤いスカーフを巻いた赤いきつねさんと、緑のハンチング帽を被った緑のたぬきさん。


 そして二匹の間に座る……、


「はじめまして、濡羽色の鵺です」


 品良く挨拶をする、頭は猿,体はたぬき,尾は蛇,四肢は虎の鵺。


 鵺。


「さすがに鵺は無理です……!」



 思わず呻いた。

 今回の会議も難航しそうだ。





end


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