買い物
「で、決まった?」
「うーん、もうちょっと……、待ってください」
寒いから早くしてほしい。凍えそうだ。
わたしはカシミアのマフラーを、口元まで引き上げた。着物の手元と足元は、異常にスースーして、冷たい空気がはいってきた。
やることがない。道路をはさんだ向こうがわにあるキャロットタワーをながめた。ほとんどの人が、ベージュのロングコートを着て、駅やビルに吸いこまれていく。
わたしとやっちゃんは、かれこれ三十分、うす暗いアーケードの下で過ごしていた。
「さっちゃんよ、中であったまっていたらどうだい?」
店主の田中さんのありがたいお言葉。よろこんで店内に入ろうとしたら、ガシッとうでをつかまれた。
「さっちゃん先輩、ちょっとまってください。この緑とピンク、どっちがいいと思います?」
「どっちでもいいでしょ。さっさと決めちゃいなさい」
ガサガサ、ビニールに入った帛紗(ふくさ)ばさみが音を立てる。右手にはピンク色、左手には緑色。
「このピンクは、サクラがいっぱいでキレイなんですけど。でも、ずっとつづけるなら、しぶめのこの緑のほうがいいんじゃないのかなって、思うんですけど……」
よく売れる商品だからなのか。帛紗(ふくさ)ばさみだけ、軒下に出して売っている。こんなに寒いのだから、店内で売ってくれればいいのに。心のなかで文句を言う。
「早く決めなさいよ。お稽古におくれちゃうでしょう?」
「まだ時間ありますよ」
やっちゃんは、右うでにつけた真っ黄色の腕時計をずいと見せつけてくる。プラスチック製のチープなつくりだ。
「まだほかにも買うものがあるのよ。これでいいじゃない」
ワゴンのなかで、いちばんド派手なものを手に取った。腕時計とおなじ、真っ黄色の生地に、赤色で利休梅がえがかれている。ちょっと趣味がわるそう。
「うわ、ちょーハデっすね。じゃ、それにしよっと」
「あ、いや……」
やっぱりやめておいたら。その言葉を出すまえに、やっちゃんは黄色の帛紗(ふくさ)ばさみを持って、店内に入った。
「それ、なかなか売れなくてね。お嬢ちゃんに買ってもらえて、よろこんでるよ」
「ええー、ほんとですか! うれしいです。
あの、わたし、お嬢ちゃんじゃなくて、やっちゃんって言います!」
「やっちゃんか、そうかそうか。それじゃ、お次はこれだ」
田中さんは、たくさんの菓子楊枝を持ってきた。ステンレス製で、かっちりとした布の入れ物にはいっている。
「お菓子を食べるときの道具だよ。普通の形と鶴の形、入れ物のガラもさまざまだから、好きなのを選ぶといい」
「はあい」
やっちゃんは、ひとつひとつ手に取って見くらべはじめた。またさっきのくり返しだ。
しばらくは動かなそうなので、わたしは店内の商品をひやかすことにした。
田中茶舗。創業は江戸時代で、東京大空襲でいちど焼けてしまったものの、現在まで場所をほぼ変えずに続けてきたという。店主の田中さんとタエ子先生は付き合いが長く、いつもこのお店でお茶を卸してもらっている。お茶だけでなく、お茶うけのちょっとしたお菓子から、手を触れるのがためらわれるほど高価な茶道具まで、なんでもおいてある。
ガラスケースの向こうがわにある萩焼の茶碗をなめるように見る。あれで点てられたらどれだけ幸せだろうか……。
うで組みをして考えていると、奥さんからお声がかかった。
「あの子、茶道はじめたて?」
「そうです。このあとのお稽古が二回目です」
「へえ、じゃあ、長く使えるいいものを売らなきゃね」
明らかに売れのこりの帛紗さばきを押し付けてしまった。ズキンと胸の奥が痛んだ。
「扇子と帛紗は一番オーソドックスなやつをください」
「あら、いいやつのにしておけばいいのに」
「まだつづけるとは限りませんから。それに、帛紗は消耗品ですし」
「そうねえ」
奥さんは会釈して下がっていった。やっちゃんは、まだ決めかねているようだった。
「決まった?」
「まだ、です……」
やっちゃんの手には、やっぱり二種類の菓子楊枝がある。どっちをえらんでも、にたりよったりだ。
「毎回つかうものだから、飽きなさそうなほうでいいんじゃない?」
「じゃあ、こっち!」
やっちゃんは、はじめて自分でえらんだ。買った道具を包んでもらっている間に、わたしは小袋のお菓子をふたつほど買った。
やっちゃんは、ちゃっかり猫模様の懐紙を見つけていた。追加でお買い上げ。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
「また来てね、やっちゃん」
「はい!」
いつの間にか、田中さんと仲良くなったようだ。ブンブンと手を振るやっちゃんの反対の手を引いて、お店をあとにした。
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