居残り
あっという間に、綺羅さんのお点前もクライマックス。お釜の蓋をしめて、柄杓、蓋置とお棗をかざる。建水とお茶碗と持って帰る。
そして、水指。最後は、よっこいしょ、なんて言わなかった。綺羅さんはだまって立ち上がり、茶道口へさがる。正面に置いて、礼。
総礼
これでお点前はおしまいだ。
「ふうー」
こちらにまできこえる、大きなため息。水指と帛紗を片付けて、綺羅さんは扇子を取りだした。
「ありがとうございました」
「おつかれさまでした。私たちも勉強になったわ。ありがとうございました。さて、今日のお稽古はここまでにしましょうか。サチさんは残ってね」
きた。お説教タイムだ。言われることは大体わかっている。肩をすくませるしかない。
「やっちゃんもね」
予想外の言葉だった。急に、はやく帰りたくなった。思わず、お尻をもぞもぞとさせてしまう。となりを見れば、やっちゃんも同じようにしていた。わたしは動きをとめた。やることなすこと、おんなじなのがはずかしい。
「では、あとかたづけをはじめましょう」
パンパン、と先生が手をたたく。中井さんを筆頭に、それぞれが使った道具や水屋の片づけをしていく。綺羅さんは、やっちゃんの手を取って、道具のしまいかたを説明していた。
「じゃあ、気をつけてくださいね」
玄関で、先生とやっちゃんといっしょに、中井さんと綺羅さんをお見送りする。
「さて、じゃあ二人は茶室に戻って。さっきのところにお座んなさい」
ならんで座る。先生は、お釜の下をすこしだけのぞいて、奥へ下がっていった。ふたりきりで待つ。しばらく無言のときが続いた。
わたしはじっと畳の目を数えていた。
「いち、に、さん……」
やっちゃんはすだれ天井を見上げて、すだれの数をかぞえている。あきれた。
「はあ」
大きなため息がもれた。
「さっちゃん先輩は、とっても茶道が好きなんですね」
「……山田さんに、わたしのなにがわかるっていうの?」
「やっちゃんです。やっちゃんって呼んでください。
秋の茶会で、はじめてお点前を見たときから、さっちゃん先輩のファンです」
「ファン、ねえ。そんな大層なものじゃないわよ。見世物じゃないのだから」
「でも、茶道は見せるためにやるんでしょ」
「お客さんにおもてなしするためにやるものよ」
「さあ、どうかしらね」
いつの間にか、火起こしを持った先生が点前座にいた。釜敷を置いて、ひょいとお釜を持ち上げた。灰の上にある炭をちょんちょんと、火箸でなおしていく。
「お湯を沸かすから、少し時間がかかるわ。そのあいだに、ちょっとお話をしましょう」
きた。わたしは背すじをのばした。
「サチさん、謝りなさい。先ほどまでのやっちゃんに対する態度は、失礼よ」
「わかってます」
「わかっているなら、なおさらね。今日のサチさんは、茶道にふさわしくないわ」
茶道にふさわしくない。その言葉が、わたしの心にズキンとささった。
「……すみませんでした」
やっちゃんに向かって、頭を下げた。いつもの礼よりも、低く、深く、長く。
「謝らないでください! 顔をあげてください! あの、わたし……」
「大変、失礼いたしました」
「わたし、知ってます。あのお茶会が、どんなに特別なものか。だから、さっちゃん先輩が怒るのも、無理ないです……」
「私が、サチさんがずっと一華庵でお点前をしたがっていたことを教えたからね」
いつか、重要文化財に指定されるかもしれない、大切な茶室だ。その管理は厳重で、年に一度、十一月しか一般公開されない。それをありがたがって来る人は多い。その期間の目玉が、あの茶会なのだ。
つかうお道具は、ぜんぶ庭園の博物館で管理されている道具だ。いつもより丁寧に、なんてものじゃない。とにかく細心の注意をはらって、お点前をする必要がある。素人がさわって、うっかり、なんてことは許されないのだ。
「だったら、なんで」
「だから、やりたいと思ったんです。
そうでなきゃ、百万円以上するお道具なんて、庶民のわたしはさわれない。さっちゃん先輩は、このさき、なんどでもその機会があるかもだけど」
その言葉は、なにかほかの意味をふくんでいるようだった。
やっちゃんの真っ黒な瞳の奥で、小さな炎がゆれている。
「どういう、意味よ」
「わたしは……」
「お湯が沸いたわ。話はそこまでにしましょう。まあ、ごゆるりと。老人の一杯に付き合いなさいな」
わたしたちは口をつぐんで、きちんと席についた。
めったと見られない先生のお点前。じっくり見るのが吉である。
先生の着物は、ベージュのような亜麻色。茶室の色合いともあいまって、全体的にすべてがぼやけて見える。
先生は、棚の上にお棗を置く。真っ黒な京の真塗だ。水指、さっき使ったのとはちがう、染付のもの。わざわざそこまでして、わたしたちにお茶を飲んでほしいのか。
「しっかり、見ていなさい。来年、やっていただきますからね」
茶道口で、先生は優雅に礼をした。
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