嫉妬
お茶がでてきた。
「まずはわたしがいただくわね。つぎ飲んでもらうから、やっちゃんもしっかり見ていてね」
「はい」
先生は立ち上がって、お茶碗を取りにでる。席にもどって、居ずまいを直す。やっちゃんとの間にお茶碗を置く。さっき、お菓子をいただいたときと同じ手順だ。
「お先に」
「どーぞ」
先生はお茶碗を正面に置いて、畳に手をつく。
「頂戴いたします」
先生に合わせて、綺羅さんも礼をかえす。わたしは次のお茶碗を取りに水屋へもどり、綺羅さんのうしろに置いておいてあげた。
「さすが、気が利くわね」
「いえ……」
中井さんの言葉も、今日ばかりは嫌味にきこえてしまう。おほめの言葉に対するお礼の声は、いつもより小さくなった。お茶を飲みほし終えた先生は、目をいさめる。
ああ、きっとあとで怒られる。
「綺羅さん、もう一服点ててちょうだい。やっちゃん用だから、薄めにお願いね」
「いえ、普通に点ててください。ふつうの濃さのを飲みたいです」
「じゃあ、お望みのままに」
綺羅さんは口笛を吹きそうな調子で、すいすいと茶碗をすすいでいく。さっきまで緊張していた様子がウソのよう。
綺羅さんのお点前は、自由奔放で気まぐれ。うつり変わりのはげしい天気のよう。調子が良さそうに、あるいは悪そうにお点前をする。
「綺羅さんは、ほんとうに気分屋さんねえ」
「ね、ね、そこがいいところでもあるでしょう?」
わるびれもせず、同意をもとめる綺羅さん。
シャカシャカシャカ
茶筅の音も絶好調。やっちゃんは目を閉じて、心地よさそうに聞いている。
「点ておわったときにね、泡で三日月のお池ができるのが理想とされているの。さて、綺羅さんのお茶はどうでしょうね」
綺羅さんの動きが急にぎこちなくなる。先生は意地悪だ。冗談だろうが、綺羅さんにとってはプレッシャーだ。
「作ろうと思ってつくるものでもないの。自然にできているのが理想よ」
「そんなこと言われたってえ」
綺羅さんは自信なさそうに、点ておわる。そっと、泡をこわさないように、お茶碗をだす。
「じゃあやっちゃん。出番よ。立ち上がって、わたしとおんなじように動いてね」
二人で、いち、に、さん。と足をすすめて、お茶碗を取りに行く。やっちゃんは、わあと歓声をあげた。
「きら先輩、先生。お池、できてますよ!」
「そりゃよかった」
安心して、ほっと息をはく綺羅さん。中井さんもにこにこしながら、よかったですねとよろこんでいる。
なんとなく居心地の悪さがつづいている。わたしだけ、お稽古にうまく参加できていない。やっちゃんがチヤホヤされてうれしくない気持ち。仲良くしようとは思えない。ド素人のくせして、わたしの居場所をうばおうとしているじゃま者なのだから。
「じゃあ、左手に乗っけて、右手はお茶碗を持って。膝をくって、……そう、ちょっとななめににじって立ち上がる。足をかけて帰りますよ。左足をかけて、右足を出して、はい、いち、に、さん。ばっちりですね」
「ばっちり! やった!」
よろこびの言葉を口に出すやっちゃん。わたしは表情を変えず、ぼんやりと座っていた。
「居ずまいを直して、お隣さんとの間においてね。言うセリフを覚えていますか?」
「お先に」
「どうぞ」
目を合わせず、礼だけをする。
「綺羅さん、もうご挨拶は受けなくていいから、先に進めてね」
「はい」
やっちゃんは、正面においてごあいさつ。左手にお茶碗を乗っけて、いち、に、と二回に分けて九十度回す。
おそるおそる、茶碗を口につけて、ひとくち。
「おいしい……」
思わず、心の言葉がもれてしまった。そんなふうに聞こえた。
そのとき、わたしは激しい嫉妬をおぼえた。
やっちゃんにではない。おいしいと言わせるお茶を点てた、綺羅さんにだ。
うらやましい。
そんなふうに、わたしもお茶を点てたい。
「サチさん。ひどい顔をしていますよ。茶道バカもほどほどにね」
先生の注意がはいる。感情が全部顔にでていたようだ。
わたしの様子に気付いた綺羅さんと中井さんはギョッとした。
やっちゃんは、うわー、と明るい声をだした。
「さっちゃん先輩! おめめ、キラキラーってしてますね!」
「キラキラってより、ギラギラだぜ……」
綺羅さんは、建水の上でお茶碗をかたむける。なかのお湯を完全に捨てきり、茶碗を上に向けた。その瞬間。
「おしまいください」
すかさず先生の言葉がはいる。綺羅さんは、茶碗を置いて両手をついた。
「おしまいいたします」
さて、お点前も残すところ、あと片付けのみ。綺羅さんは柄杓をにぎって、くむように持ちかえる。右手をすべらせる動き。水をさらさらと茶碗に入れて、茶筅通しをはじめる。お湯のときとはちがう、水の重い音が響く。
「点てるまではゆっくり、点ててからは手早くね」
綺羅さんは、ことさら早くお点前をすすめた。
「あらあら、早くやるのと、雑にやるのはちがうのよ。ていねいに。なごりを楽しんでもらってね」
「なごり、ってなんですか?」
「さあ、なんでしょうねえ」
やっちゃんの問いに、先生は答えなかった。
「いじわる」
やっちゃんはほっぺをふくらませた。
「やっていれば、わかるようになるわ。体で知るまで、言われたとおりおやりなさい」
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