クレープ祭り




 きゅうり、レタス、大葉、かいわれ大根、水切り玉ねぎ、カラーピーマン、とまと、魚肉ソーセージ、錦糸卵、照り焼きチキン、甘煮牛肉、辛煮牛肉、塩胡椒炒め豚、イカ、マグロ、ブリ、甘エビ、タコ、サーモン、苺、キウイ、白桃、黄桃、ばなな、文旦、刻みチョコ、ブルーベリージャム、甘夏ジャム、桜ジャム、ピーナッツバター、チョコクリーム、生クリーム、カスタード、マスタード、マヨネーズ、醤油、わさび。

 桜色のクレープをどしどし焼くから好きに食べてね。

 との珊瑚の有難いお言葉に甘えて集まったみんなは各々好き勝手に食べていた。

 一列に並べられたテーブルの上に、クレープを焼く電気プレートや材料、飲み物、湯呑や皿、箸、スプーンなどが所狭しと置かれていた緑山家の庭にて。

 晴天の中、綿雲が悠々と空を泳ぎ、風も凪いでいて、雀の鳴き声が遠くから聞こえた、心地よい日であった。


「よく平気な顔してここに来れるな」


 梨響は顔をしかめて鉤羅を睨みつけるも、鉤羅はどこ吹く風でかいわれ大根と甘エビを桜色クレープでくるくると筒状に巻いては口に放り込んだ。

 噛まずに呑み込む勢いだったが、きちんと三十回噛んでおり、その度にまりものように丸っこいアフロも一緒に揺れ動いていた。


「おぬしが懇意にしているむすめっこの危機的状況ならば本気を出すかと思いきやあのざま。わしは悲しい」

「てめえ完全に便乗したな」

「おう。まあ、あのひ弱な人間が人質にせずともいずれわしが「それ以上言ったらマジでゆるさねえからな、ジジイ」


 腹の底から凍りつくような殺気に、けれど鉤羅は嬉しそうに笑うだけだった。

 喜ばせるだろうと予想はついていたがその通りで。自分の言など届いていないだろうと思いながら梨響はそれでも釘はさしておいた。


「今後、俺と闘う為に凛香や珊瑚を人質に取ろうなんて考えるなよ。そんなことしたら、一生闘わねえからな」

「ふん。人質にされたくないなら、定期的にわしと闘うんだな」


 そっぽを向いて頬を膨らませる鉤羅に、怒りが最骨頂に達した梨響は知るかと言いたい気持ちを必死に抑えながら、百年後に闘ってやるよと言えば約束だと念押しされた。梨響は投げやりに手を振った。


「あーあー。わあったよ」

「よし。まあ、安心せえ。こんな美味いもんを作るやつを殺しはせん」

「凛香も殺さないって口にしろ」

「はあい。わかりましたあ。殺しません。凛香もー」


 わざと語尾を伸ばす鉤羅に、怒りは天元突破する。


「ああああああ。ほんっとにむかつく」

「おまえは本当に鉤羅さんといると全部が大きく動くな」

「おう、神路。つよおなったな。わしには全然及ばんけど」

「鉤羅さん、今度こそあなたを超えますよ」


 会釈をして強い眼差しを向けてくる神路に、鉤羅は生意気なと鼻を鳴らした。


「まあ、せいぜい頑張れや」

「待ってください」


 凛香の元へと向かう鉤羅を神路は呼び止めた。鉤羅は素直に立ち止まって振り返った。

 笑い顔が実に不気味だ。


「凛香になんの用ですか?」

「唾をつけておこうかなーと」

「はあ?」

「どういう意味ですか?」


 詰め寄る梨響と神路の前でなだらかに両の手を振った鉤羅はだってと言葉を紡いだ。


「魂のまま閻魔大魔王のところに行ったんだろう。死後強い妖怪になりそうだから」

「僕の姉に変なことをしないでください」


 桜色クレープを補充しに来た珊瑚は鉤羅の横に立って、にっこりと笑った。

 鉤羅もまた無邪気に笑った。


「おお。むすこっこ。美味かったぞ」

「それはどうもありがとうございます」


 珊瑚は小さくお辞儀をして、再度念を押した。


「僕の姉に変なことをしないでください」

「えーだってー早くしないとー閻魔大魔王だって狙ってるってー噂だしー」

「閻魔大魔王にはすでに変なことをしないと約束を交わしてもらっているので、鉤羅さんも是非約束してくださいね」

「えー」


 口を尖らせてアフロを指に絡ませる鉤羅を見て、珊瑚は小さく淡く溜息を出した。


「約束してくれたら、週に一度は御馳走をふるまってあげますから」

「え、いいの?」


 鉤羅は目を輝かせたが、梨響は珊瑚を咎めた。


「おい珊瑚」

「仕方ないよ」


 通常、妖怪は人に限らず鉱物、植物、動物などに招かれないと異界から現世へとは行けない仕組みになっていた。

 鉤羅のように妖力の高い妖怪ならば仕組みを壊して行けるのだが、同時に修復もこなさなければならず、その際に根こそぎ妖力を搾り取られるので、できるのならば招かれたいと思っていた。


「えーじゃあー死後に勧誘することにするー」

「無理強いしない限りは、どうぞ」

「うん」

「このくそジジイ」

「ややこしいことになったな」


 神路の労わる視線に、珊瑚はまったくだとすごく同意しながら凛香へ視線を向けた。


「凛香さま。本当に申し訳ありませんでした。京一さまの分もお詫び申し上げます」

「ああ。確かに受け取ったから、俺にはもう謝らなくていい」

「はい」


 初めて凛香に対し謝罪をしたジイは凛香の澄んだ瞳を真正面から少し時間をかけて見ていたら、すっと心に薫風が通り過ぎて行って、少しだけ心身が軽くなったような気がした。

 つい、口を滑らせたいと思うくらいに。


「これからもご迷惑をおかけしますが、壮史さまと瀧雲の協力の下、眠りを確保して、自律して、なるべく他者を傷つけないようにしたいと思います。放浪癖は多分、いえ、確実に治らないですが」

「俺も走りは止められないからな。しょうがない。でも、とりあえず家には帰って来てくれ。連れて帰って来ていいから、壮史と二人きりでどうにかしようとか考えないでほしい。俺は。頼りにならないけど、神路や梨響、珊瑚はすっごく頼りになるから」

「凛香さまも」

「うん?」

「凛香さまも走ったまま帰らないという事態にはならないでくださいね。みなさまが慌てふためいて。とはならないとは思いますが。確実に平常心ではいられないと思いますから」


 承諾しようと開いた口は、しかし次の動作へと繋がらず。

 凛香はジイを座視しては、やおら口を閉ざして、曖昧に笑った。


「凛香さま?」

「うん。ちょっと。自信がない。かも。帰りたくないんじゃなくて。ただ。もっと」


 魂での自由な疾走を味わってしまったからだろう。

 際限のない世界を見てしまったからだろう。

 余計に思ってしまったのだ。

 もっともっと遠くへと駆け走りたい。

 帰る場所も、待っていてくれる人も、何もかもを忘れるほどにただ。


(俺は本当に、だめだめなお姉ちゃんだ)


 天空を仰いだ凛香は日光の眩さを見据えたのち、唇に指を立てて目尻を下げた。


「こんなだめだめな話、ジイさんと俺だけの内緒話にしてくれ」


 ふっと儚い真綿で包み込まれたような感覚に陥ったジイは少しだけ戸惑って、感情の正体を掴めないままに、とりあえずと、やわらかく微笑を浮かべた。


(あなたには助けられましたね)


 あの晩、もしかしたら説得に来ていた喜朗を無意識下で殺していたのかもしれなかったのだ。

 頼りないと言うが、そんなことは決してない。

 凛香は助けたのだ。

 喜朗もジイも。


「では、私もだめだめになった時は、凛香さまにお話しします。ああいえ。凛香さまと、壮史さまに」

「ぜひそうしてくれ。ほら。凛香。俺手製のクレープだぞ。味わえ」


 二人に割って入って来た壮史は三つの味別クレープを乗せた皿を凛香と、そしてジイに手渡した。


「ああ。ありがとうな」

「ありがとうございます。壮史さま」

「ああ」


 壮史の桜色クレープの中身の説明を聞いている凛香から視線を移し、空に浮かぶ喜朗と立花を見上げて、ジイは深々と頭を下げたのであった。


「京一さん。瀧雲さん。いらっしゃい」


 縁台に座っていた京一と瀧雲の元に、珊瑚は何も巻いていない焼き立ての桜色クレープを持って来た。


「ほんのりと桜の味がしますからどうぞ」

「ありがとうございます」

「………」


 瀧雲は嬉々として受け取り、京一は無言で受け取って皿を足に乗せて、桜色クレープを手で掴んだ。

 瀧雲と珊瑚は目を丸くした。

 初めてだったのだ。

 京一が自ら食べる意思を見せたのは。

 もしかしたら庭でわいわいと同じものを食べているみんなに触発されたのかもしれない。

 瀧雲はそう思いながら、自らも手で掴んで熱いですねえと言いながら、口に運んだ。


「こんなに薄い生地なのに、サクッとしてもちっとして、ほんのり桜味がして美味しいですね。買い占めたいくらいですよ」

「買い占めなくても食べられるので安心してください」

「贅沢ですねえ」


 脂下がった瀧雲はちらと横目で京一を一瞥すれば、京一は無表情のまま黙々とゆっくりと食べ続けていた。

 珊瑚は瀧雲を見て小さく頷くと、お代りを持ってきますねと言って、少し離れた電気プレートのところへ向かった。

 瀧雲はクレープを焼く珊瑚を見ながら、みんなの喋り声を聞きながら、京一の気配を感じながら、もう一度、しみじみと言った。

 贅沢だと。
















「で。閻魔大魔王。凛香を傍に置いておく理由を教えてくれますか?」


 天国にて。

 式神を閻魔大魔王の元へ飛ばした瀧雲が単刀直入に訊くと、鬘を外して机に置いた閻魔大魔王はさらっさらの紫色の髪を背中に流して、泣きぼくろを軽く掻きながら口を薄く開いた。


「一目惚れ。死後何か役に立つかもしれない。魂の保護の三点」

「………二点は珊瑚に聞かせられませんが。魂の保護とは、やはり凛香は呼ばれているのですか?」

「いや。わからない。だが、それを見極める為ではない」


 身の内から歓喜に湛えて、率先して従いたくなる絶世の声で言ったのち、閻魔大魔王は溜息をくゆらせた。


「この頃、とみに殺がれた、しかも若い霊が天国に来ている」

「私に解決できる問題ですか」


 昨今の目も耳も塞ぎたくなる問題とは別に。

 言葉を紡いだ瀧雲に対し、閻魔大魔王はやおら頷いた。


「そなたは安眠薬香を作り明日へ、明日へと生かし続ける眠りを与えるが、あやつらは繋ぐ生ではなく、断ち切る生を与える。眠らせずに身を燃やし続ける生を」


 閻魔大魔王はしかと瀧雲を見据えた。


「痛ましく、けれど確かに惹きつける充実した生き方だ。若くして死したとしてもやり切ったと言えよう。某は好まないが、受け入れる。本人がずっと続けたいと思っているのならばな」

「無理強いさせられているわけですか」

「わからない。だからそなたに頼む」

「………わかりました。依頼は受けましょう」

「助かる。凛香も無理はさせない。ただ見ていたいだけだ。癒される」

「………魂の保護はもしかしなくても閻魔大魔王のことですか?」

「ああ。某の魂を保護しないと天国は大混乱に陥るぞ」

「胸を張って言わないでください」

「しかし凛香の魂も向かう場所を決めておいた方がいいだろう」

「否定はしませんが。あの子は。まったく。珊瑚のおかげで元気満々で。閻魔大魔王の予想を超えて、どこまででも行きますから、保護と言うならきちんと見ていてくださいね」


 閻魔大魔王は目を丸くして、次いで、やわらかく笑った。


「そなたに大事な相手ができてよかった」

「前途全難ですけどね。お姉ちゃん大好きっこですから」


 瀧雲は苦笑を零した。


「本当に強力な好敵手ですよ」
















「凛香。行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 駆け走る凛香を目を眇めて見送る珊瑚であった。

 いつものように。

 けれど、いつまでも見られない後姿を焼き付けて。












(2022.3.4)




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